九大にかんしては三校ほぼ同列。年による増減で1~3位になる。東大は近年、筑紫丘が修猷に並ぶ年もあるが全体的には修猷が東大、国立大医学科が多くてもやや抜けている。筑紫丘の理数科は事実上筑紫丘の中の特進。福岡、修猷の学区から受験可能だが第5学区の生徒みたいに普通科転科合格がないので受けてこない。理数科分40人定員が多いのが筑紫丘の有名大学進学数をあげている一員。なお、入学時の合格ボーダーは栄進の分析では毎年、修猷が2校より10点ちょい高い。
回答ありがとうございます。
筑紫が丘は、理数科で進学実績を伸ばしているということなんですね。
…筑紫が丘頑張ってほしいです
筑紫丘は学区制がうまくいったのですね。1973年に今の学区分けになり、同時に越境入学が厳しくなりました。1965年の九大合格数は、修猷183人
、福岡160人に対して筑紫丘は27人で今の春日よりやや上程度だった。福岡都市圏の人口増加で旧第6学区では優秀な生徒が筑紫丘に集まり始めました。
で、今のような押しも押されぬ一流高を築き上げました。
公立高校の学区制度は今、全国各地で廃止や学区統合がどんどん行われてます。福岡地区で学区統合があり修猷、福岡高と同一学区になったらどうなるか?懸念はそれくらいです。
でもなんのかんの言っても福岡および全国じゃ修猷館なんだよね。
筑紫丘は全然メジャーじゃない。OBと伝統はこんなに重いのかって社会人になったら身にしみるよ。
↑筑紫が丘理数のことでお尋ねですよ。質問の内容を理解出なかったみたいですね。
残念(-_-)/~~~ピシー!ピシー!
修猷館という高校は、全国区でしたか?存じませんでした。
修猷が全国区なわけないw
修猷とはこれからもよきライバルであってほしいですね。
まあ、修猷が全国区かどうかはともかく筑紫丘より名声高いのは事実ですから。
あっちは、卒業生に総理大臣、県知事(福岡、京都)、福岡市長、最高裁長官を輩出してますから(残念ながら筑高はいまだいない)
私は福岡地区で筑紫丘に理数科置いたのに
県のなにか配慮を感じますね。
(小倉、修猷館に置かれていないことを考えても)
理数に特化したクラスは明善以外はほとんど
2番手校に設置されているので、筑紫丘に作ったことが微妙に意図がありそうで。
福岡県で理数科がひじょうにうまく効果(進学面で)出ているのは、筑紫丘と明善でしょう。
そうですね。筑紫丘に理数ができるまでは、やはり修猷が頭一つ出ていたと感じます。今は、筑紫丘が理数効果によるものでしょうか…
政策上の意図はともかく、理数科の生徒さんはすごいですよね。毎年ではありませんが、結構東大理三合格していますよね(=^・^=)
高校の学区制が引かれたのは1964年頃だった。
それまでは越境入学で今の南区(?)辺りから
寄留というかたちで入試を受けていた。
修猷館高校がだんとつの1位、県で言えば北九州の小倉高校が福岡県では抜けていた。
市内では福岡高校に次ぐ3位。
その頃近くに城南高校が設立され、その校長が「筑紫ヶ丘は問題にしていない。われらが目標は修猷館である」とぬけぬけと報道陣に表明。
僕らは燃えたよ。幼なじみの武田鉄也は筑紫中央高校に合格。現役で福岡教育大に合格した。
あの頃は熾烈な競争世代(団塊の世代)だ。
九大の合格者数は100に満たなかった。
東大にはクラスから1人くらい。
しかし、私大(早稲田・慶応)は多かったよ。
僕もタモリ先輩に続いて1浪で合格を果たし、
商社に勤めた。
私は京都大学行きたかった。その当時理数系のクラスがなかった。