封建時代の武士階級への懐古 回帰 いいとも!
ここで話すことではないですし、それ以上に大運動会の方が良い意味で洗脳と言いますか、修猷に染まる行事だと思います。
運動会は好きではありませんでしたが
色々な人間模様が現れる行事でした。
2年生のときまで「運動会は嫌い」と言っていた人が、3年生になると幹部になって急に威張り散らして「お前ら気合いが入っとらん」と上段から怒声を浴びせてみたり。
部活がキツいからと運動会の練習をサボっていた人が、3年生になるとブロック長になってみたり。
色々な角度から芝居じみた演出があって
私は、ただ時が経ち通り過ぎるのを待っていました。
社会に出ても「こすい人」「ろくでもない人」「変わり身の速い人」はどこでも見出だすことはできます。そんなときに、母校の運動会のときのことを思い出します。
年齢を重ねると「またか」となり
感動も怒りも薄くなっていきますから、
まだ10代の多感な時期の出来事を忘れないようにしてもらいたいと思います。
運動会での出来事は絶対に自分自分の確信となり自信となり自分らしく生きて行く力となります。
入学して早々の、『応援練習』はきつかったです。気合が入っていなければ、先輩からの鉄拳制裁当たり前でしたし。
鉄拳制裁ですか。
誰かがだれかを殴るようなことが今の修猷では行われているのですか?
情けない。
いや行われてませんよ
鉄拳制裁はありません。そんなことする学校ではないので。ただし罵倒は別。
グラウンドを走って来いと言われたり
正座しろと言われたり
ありましたよ。
いづれも「気合いが入っていない」という理由でした。
そんなことはなかったのです。
立っている場所が壁際だったために
引き釣り出しやすかっただけなのです。
いわば、見せしめにされた訳です。
グラウンドを走っていたら
総務がやって来て言いました。
「怒りの気持ちは分かるだろうが、ここは、
俺の顔に免じて許してやって来れ。
俺が謝る。
応援部の連中には俺の方から注意するから
奴らの熱意に免じて、直接抗議しないでこらえてくれ、頼む」
「わかりました、黙って講堂にもどります。
心配なさらないでください」
総務にはそう伝えて、講堂へと戻りました。
長い年月で培われたその道を踏み修めるための精神強化の一つの伝統手段
君も三年生になればそこらが見えてくるだろう❗
素晴らしい先輩諸兄の足跡を見なさい❗
校風が嫌なら
他所へ行け!
どこも受け入れないだろうけど
OBによる応援歌指導という行事もありました。
中にはシベリアに何年も抑留されて戻って見えた方もいらっしゃいました。
流石に歌い込み方と説得力があり、感動を覚えました。
みなさん何らかのかたちで死の淵をさまよわれた方々でした。
生きて祖国に戻り、今、母校で後輩に応援歌指導を行うことが叶っている。
心の底から喜んでいらっしゃるお姿に
感動を覚え、練習にも自然と身が入りました。