声出しじゃない。
アナクロな通過儀礼的行事で、新入り応援団員を擬似体験できるかも。
関係者は、黙して語らず。
ここだけじゃなく、御三家では当たり前に行なわれることです。
とりあえず校歌などはちゃんと覚えましょう。
久留米の明善のサイトには行事予定表から写真付きで載ってますよ。
御三家に限らず、地方の公立はやるんだよね。
修猷に入ったら最初の通過儀式です。
応援歌指導といいます。
中身は体験すれば分かりますので書きません。
個人的に応援歌指導は嫌いでした。
でも、今となっては懐かしい。
すぐすみますよ
お返事ありがとうございました。
病気で声が出にくく、また大声で圧迫
面接みたいなことをされるとパニックを起こしてしまいます。
事前に担任の先生か応援部に届けたら大丈夫でしょうか?
先生にいっても何もならないよ。先生入らないもん。パニックになるから逃げるのですか?
上級生目配りしてるから大丈夫。
あなたたちは、修猷館の生徒であっても、まだ修猷生ではありません。
修猷病には気をつけて!
なんだ、この新2年!!
おまえパニックの意味わかってんの?
それを逃げるだぁ? 勇気がないのと病気でできないのとは違うぞ。
修猷館の生徒と修猷生との違いを言ってみろ!
何様のつもりだ!! こんなのが修猷館の生徒なのか?? 気分が悪いわ。
無理だと思ったら、すぐに応援団員に言ってください。きちんと対応してくれます。(自分のクラスでも倒れかけた人がいましたがすぐに対応してくれました)
応援歌指導も大切ですが、あなたの体も大切です。
頑張ってください。
モンスターペアレントの保護者にはあきれますね。なんと品格のない言葉使い。
保護者のふりして、実は保護者ではないのかもしれませんね。
そうだね。内容からして保護者や卒業生のかいたものじゃないね。いつも現れるアンチの人でしょう。
でも言ってることは正論。
上級生(新2年)のパワハラ発言が発端。内容からして内部の人間のものなのかね。
いつもの修猷館に片想いアンチだけど俺じゃないよ
パワハラとして書いたつもりではありませんでしたが、言葉足らずでご心配をおかけしたことをお詫びします。
先生にいっても何もならないといったのは、修猷は生徒に自治が委ねられていることが多く特に各行事は、全て生徒の運営でおこなれているからです。先生方から、生徒へはこれはこうしろとか、そもそも口をださないで見守っているからです。三年の先輩が書いたように、キツいときはすぐ上級生へ事情を話して下さい。目配りしてるから大丈夫と書いたのは、ちゃんと上級生は色んなことを想定してその対応も用意してますとの意味だったんです。
"逃げるのか"は書き方悪かったですね。パニックのご心配があるからと最初から参加拒否なのかな?と思ったので。
毎年倒れたり、泣いたりとあります。きちんとフォローはあります。せっかく修猷に入ったので、この学校は自分の殻を破って挑戦することも経験してほしいと思いそのような表現になりました。入学直後、授業や学習でなく、応援歌指導を5日間連続で費やす意義がそのうち分かると思います。応援歌指導は、上級生主体ですが、4月終わりの遠足は、新入生が各クラスで内容の企画、往復の運営全て自分たちでします。その後、各場面で、有志やクラスで取り組むことがとてもある学校です。あなたも積極的に動ける人になってほしいです。
最後ですが、修猷生というのは、色んな意味合いが込められています。一般的に、そこの高校生を指す○○生とは、違う意味があります。私自身もまだ修猷館の生徒に過ぎないでしょう。
ご心配せずに入学してください。
さすが だね!
パワハラもこっちもオーバー表現だったかな。
頑張れ 新2年。
↑新2年生君、いい子だね。文面読んで少し感動しました。世の中、ちょっとした言葉足らずが相手を不快な気持にさせてしまう事があります。これもまた勉強です。
あなたもせっかくいい学校に通っているのですから、良識ある立派な修猷生に成長して下さい。
修猷生とか修猷の生徒とかそういうものが本当に嫌いな人もなかにはいるので馴染めなくても安心してね
↑
高校の時、修猷に馴染めなかった、すかんやったという人は案外と多いと思います。そんなはみ出し者?や横をぷいと向いた人をも許容してくれる度量の大きさや懐深さと自由がある高校でした。これからもそうあってほしいなあ。現役の時は修猷嫌いだった人が卒業後、年を重ねるにつれ、好きに変わる人がでるのも、らしいところです。
馴染めない人も3年いれば必然と押し出されるように卒業しますんで、短気を起こさずテキト−に過ごしてもいいから卒業してくださいね。
弱い犬ほどよく吠えるといいますが、
実際、指導している応援部の人たちは舐められないようにビビッています。
そのくらいの心持ちで斜めに構えて淡々と練習していいと思いますよ。
「正座しろ」なんて言う先輩もいます。
そのときは「いやです」と言って拒絶すればいいんです。
「あなたたちの指導はおかしい」と言うくらいの余裕を持って臨めば心理的な苦痛は弱まります。
でも、指導する方も一所懸命なので、彼らの期待に応えるのも人間としての器というものでしょう。