生徒によって大きく異なります。あまり勉強しなくなるのは一部の生徒であり、入学後も全力で勉学に励む生徒は少なくありせん。学力が上がるか下がるかはあくまでも個人の問題です。自分は今春日ですがあまり勉強しなくなるなどのことは全くありませんし、学力も上がっております。「春日に入ると」ではなく、中学時代の自分に慢心して努力することなくただ言われたことだけを受動的に受け入れる人が春日に入ると」と訂正したほうが良いかと思います。あまり勉強しなくなるのはその本人が自分に甘く、環境のせいにして現実逃避しようとするからです。元々できる人は学校などにすがりません。
本当かどうかを確かめる前に、自分自身は確固たる将来への理念と目標を持っているかどうかを自問自答してみて下さい。もしないのならあなたはまずそこから考えていくべきです。
最後になりますが、どこの学校に進学しても高校の履修内容についていけなくなる可能性は個人によっては当確率で起こりうるものであり、春日に入ると学力が下がる、これには因果関係が成立しないことだけは述べておきます。
入試直前期にこのような誹謗中傷的要素を含んだ質問を投稿するよりも、目の前の己の課題に向き合い努力していくべきです。
たしかに
偏差値は県内ではトップクラスで難関高。
しかし 九大合格者数はわずか12人、近隣の私立高にも抜かれてる。
生徒一人ひとりは他校と勝負するつもりはありません。自らの目標、夢に適した学部各科に進むことを優先して進路を決めております。我々38期生の大きな特徴は九大に合格できる力を十分持っている生徒が、家庭の事情などや浪人できないなどの個々人の諸事情により、ランクを下げて熊本大学を受験し、合格した生徒が多かったことです。熊本大学合格者23名のうち現役は21名であり、当然の合格を得た生徒がその半数を占めていました。中には先生方から九大でもいけると勧められるのを押し切ってかなりランクを下げて絶対合格できるところを受けた生徒もいます。進路実績の数値からだけでは分からない、背景があるのです。
他校と争うつもりも全くありませんし、学校に寄与するために自分の大切な進路を犠牲にするつもりはありません。私立高校とは違って塾とのタイアップなどもない中、塾に家庭の金銭面の都合で行くことすらできない生徒もいます。
自分の夢を実現することが可能な大学であれば、大学名にこだわること自体がそもそも理屈に合わないと感じます。あなたは高校の評価基準は全て九大なのですか。九大以外は入学金を含め約400〜800万の
学費を親に負担させて行く価値はないというのですか。九大、九大、九大。あなたの考えが私には理解できません。
自分の進路に向かって全国の大学で頑張っている皆はゴミ以下で、生きる価値がないということですか。入試方式も受験者のレベルのばらつきも、優遇措置も異なる私立高校と比べて下だったら今、その高校に通っている生徒全ては死んだほうがマシということですか。
あなたは残念ながらそのような集団に囲まれていたのかもしれませんが、私は全く勉強する自分に対して冷やかしたり足を引っ張っられるようなことは3年間通ってきて今まで一度もありません。筑紫丘について多少勘違いされているようなのでここで補足説明を添えさせていただきます。筑紫丘高等学校は「友人同士が励まし合い」とあなたは言及していますが、筑紫丘高等学校の生徒はどちらかといえば自分の意思が強く、プライドの高い人が多いため、そのような表現は不適切であると考えます。最後にもう一度述べておきますが、私は高校一年のときから毎日6時40分に登校し、10分休みも欠かさず重要問題集等を解いておりますが、周りからそれを妨害するようなことをされたことは一度もありません。我々の学年では少なくともそのような傾向など存在しないと断言できます。それにあなた自身にも問題があるはずです。勉強する際に騒がしくしている人間がいるのであれば、自習室として開放している402講義室や、職員室前廊下など自分から行動を起こして勉学に集中できたはずです。私は今河合塾に通っており、筑紫丘の友人もいるのですが、筑紫丘でさえも「お前こんな時期にまだこのレベルかよ」
「その問題集俺はもうとっくに終わったけど」「この時期にもがいて意味あるのか」などの発言をする生徒は多々いるようです。
私は春日で友人と励まし合いながら勉学に励むことができております。全く仲の良くなかったクラスで
数学の成績がトップのクラスメイトから、自分が数3の複素数平面の問題で一人で悩んでいたときに、いきなり教えてくれた時はかなり驚きました。本当に最高の環境です。
学年により雰囲気もレベルも違うのです。頑張る校風はあると断言できます。