トップ高や東大生の子を持つ親は「何もしていない。勝手にそうなった」と説明するケースが多いですが、平均的な家庭の子と比べてみると、教育環境の格差はとんでもなく大きいものになっていると思います。
例えば熊高の場合ですと、まずお医者様のお子さんがかなり多く、小さなころからそれなりの環境を用意してあげているケースがほとんどのように見えます。
そして親が知的だと、子供もそれに影響されて知的に育ちやすい
・家に子供が興味をひかれそうな本をたくさん置いておく
・寝る前に読み聞かせをする
・最新の受験情報を子に伝える
・やる気が続くような場に連れていく
意識してやるようにしてたのは今書いたことくらいですかね???
”受験は親で決まる”で有名な佐藤亮子の著書にも載っていますが、受験において親のサポートは必須です。
献身的で効果的な協力を得られた子と、非協力的な態度であまり支援してもらえなかった子とでは、本人の地力以外の部分でかなりの差がでます
お子さんが小学生なのであれば、そこまで強く受験を意識する必要はないと思いますが、親が主体となって情報収集を行い、少しずつでいいので子にそれを伝えていくことは重要ではないでしょうか
お医者様のお宅のお子さんは、熊本大学付属の生徒さんが多いようです。同級生のお子さんも開業医のお子さんは、付属出身が多かったです。うちは、母子家庭ですが、中学2年から塾に行って公立中学から合格して国立大学医学部に進学してますが、本人のやる気次第ではないでしょうか。もちろん、都会の私学の中高一貫校に進学すのも今後はいいでしょう。新テストは、
英語がSPEAKINGが入るそうなので、そういう対策をしなくてはなりませんから。そういう情報をどこから仕入れるかが問題だと思います。
↑上の方がおっしゃるように本人のやる気次第だと思います。いくら親や塾など良い環境があっても本人が頑張らなければ合格しません。実際まわりで早くからお金もかけて塾にいっても不合格になった子が何人もいます。塾に通わなくても勉強はできます。
模試などを上手く利用していくのも手だと思います。
絶対に熊本高校に合格する!という本人の気持ち、やる気以外はないと思います。親は、見守るだけ。
ただ、小さい頃から、塾には行かなかったけど、どんな失敗をしても見方だし、挑戦した事を褒めて育てたような気がします。
愛情だけは感じて育ってくれていると信じてます。
安心して、挑戦出来る環境作り大事だと思います。
自分から考えて動ける子にしたいけど中々難しい
熊大附属小も医師家庭が約半数と言われています。幼少期から、小学校受験塾、七田式、公文式、めばえ、体育系の習い事、バイオリン、ピアノ、バレエと複数の習い事に通っている医師家庭であっても附属中内部進学に落ちる子は結構います。
附属中に進学すると、外部から合格されたお子さんもやはり医師家庭が多い。
熊高進学後、思うことは、開業医であれば私立医学部に進学でき医者になれます。勤務医、普通のサラリーマン家庭は国医に届かなければ、国立薬か地元崇城大学薬。
お子さんの地頭+努力できる才能か保護者の経済力。どちらかあれば、熊高に進学できなくてもなんとかなるのではないかと思います。
やる気や努力も大切ですか、地頭が良いかどうかが重要。親としてその見極めが出来なければ、子供にとって悲劇となる。
↑
本当にその通りです
出来の悪い子供に対して、出来の良い子供でなければ超えられないような高い壁を設定すると、子供の人格はかなり歪みます
地頭なんかないよ。
ある程度の地頭は、必要だと思います。
ただ幼い頃は、バランスのとれた食事。十分な睡眠。全身で遊ぶ。等、人間の土壌作りで、脳も健全に育ちますよ。遊びと勉強のバランス。気持ちの切り替えも出来てきます。小学生生活も楽しませてあげて下さいね。
地頭は必要とか必要じゃないとかではなくて、そんなものは存在しません。あるのは親の環境作り、そして子どものやる気だけです。
運動能力の高さは努力だけでは限界がある、環境もだけど遺伝的要素も絡んでる。学習能力も同じ。地頭という表現が受け入れ難しいなら、知能と表現した方がいいかもしれません。
体格は人それぞれだけど、頭の作り方は皆平等です。地頭だろうが知能だろうが、それは結局は勉強が出来ない人の言い訳に過ぎない。それだけ親の環境作りが重要だということです。
例をあげて申し訳ないが、第一高校に入学した子供が、熊高に入学した子より努力してないとか、やる気がないとか、そんな風に簡単に言い切れないでしょう。
例をあげて申し訳ないが、第○高校に入学した子供が、熊高に入学した子より努力してないとか、やる気がないとか、親の環境作りがだめだとか、そんな風に簡単に言い切れないでしょう。
学力は運動能力と同じで人それぞれ。それは個性と言ってもよい。
子供にはそれぞれの性格があるでしょう。
それによって教育の仕方は変わると思いますよ。その子にとってどのような教育法が合うか、それを見極めるのは保護者でしょう。
他人にはわかりません。ある人にとって最良の方法でもあなたのお子さんにとって最良の方法とは言い切れません。
↑↑例の高校が一番目の高校か二番目の高校かは知りませんが、あえて失礼な言い方をすれば熊高や濟々黌の子たちと比較すると平均して小中学校時代、努力していません。適切な環境下で努力さえすれば(更に言えば質の低い環境でもより努力すれば)、必ず上位の高校には行けます。これが勉学というものであり、努力が平等に報われることこそ、勉学のダイナミズムです。
う〜ん、やっぱ生まれつきの頭の良し悪しはあるような気がします。
3人子供がいますが、ずっと見ていてそう感じます。
生まれ付き&環境&性格でその後の人生が決まるような…
地頭そこそこでも勝気だと厳しい入試も勝ち進める可能性大だと思います。
科学的に平等に作られています。
平等って母親のお腹の中に出来た頃、スタートラインは全ての地頭は一緒ってこと?
遺伝は全く関係ないの?
幼児の頃から頭の回転の良い子も、生まれた直後からの環境とか後天的なもので回転早いの?
平等の根拠が科学雑誌にでも載ってたのでしょうか?
非常に興味があります。
後天的な要素が強く全く平等ならば幼稚園などの前、親ベッタリの頃から責任重大ですね!
親として諦めがつくのは後からどうにもならない地頭説です。
私は小学校時代全く勉強せず塾にも行かず毎日遊んでました。中学校から塾(早稲田や英進館などの厳しいところじゃないです)に行き始めましたが、その時に周りが言うほど勉強は嫌なものだとは感じませんでした。
親がしてくれたこととして思いあたることとしては
・小さい頃からよく図書館に連れていってくれた
歴史の漫画の絵が好きで読んでいたら、歴史と同時に漢字も覚えらました。豆知識もいっぱい身につけられたので、「何でそんなことまで知ってるの?」とよく言われます
・子供には難しい話をよくしてくれた
例えば電卓を使って、「どんな数字を打っても『√』のボタンを押し続ければ1になる」とか、ABO式血液型の仕組みを教えて、「親の血液型で子供の血液型が予想できる」とか、理解できなくても興味を引かれるようなことを教えてくれました。少し触れておくことで、あとになって勉強するときに「あ!あれはこういうことだったのか!」となります。今でもあります。勉強が楽しく感じた大きな要因だと思います。
・たくさん遊ばせてくれた
子供の頃は、毎日家に帰ると同時にランドセルを投げ捨てて外に遊びに行っていました。夏にはセミを捕まえ秋には落ち葉で遊ぶという野生児でした。その時にたくさん遊ばせてもらったからこそ、抑制された遊びたい欲が噴出する、などということもありません。ちなみにですが、今まで一度も勉強しろと言われたことがありません。
あくまでも自分の場合ですが、ぼんやりした知識が勉強で繋がるのが楽しくて、中学校入学時には真ん中より少し上くらいだった順位がいつの間にか上がり、三年生になる頃にはほぼ毎回一位でした。そして熊高に合格しました。
小学校の勉強はあまり難しくないので、この時期にいっぱい外で遊ばせて、もやっとした疑問やぼんやりとした知識を一杯持ってもらう、というのが我が家の環境、教育方針だったように思います。