延岡高校のWiki
延岡学園高等学校・尚学館中学校Infobox 日本の学校
校名:宮崎県立延岡高等学校
過去校名:宮崎県立延岡恒富高等学校
併合学校:宮崎県立延岡恒富高等学校
宮崎県立延岡岡富高等学校
国公私立:公立学校
設置者:宮崎県
校訓:剛健・自治・信愛
設立年月日:1899年(明治32年)
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
メディカル・サイエンス科
高校コード:45102K
郵便番号:882-0837
所在地:宮崎県延岡市古城町三丁目233番地
緯度度:32緯度分:34緯度秒:10.9
経度度:131経度分:39経度秒:26.5
地図ズーム:13
中心緯度:32.573
中心経度:131.658
地図WikiData:yes
公式サイト
'''宮崎県立延岡高等学校'''(みやざきけんりつ のべおかこうとうがっこう)は、宮崎県延岡市古城町三丁目に所在する県立高等学校。通称は「'''延高'''」(のべたか)。
歴史
学区
設置課程・学科
校訓
校章
校歌
旧校歌
・旧制・延岡中学校 - 作詞は工藤正勝による。歌詞は5番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
・旧制・延岡高等女学校 - 作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰による。歌詞は4番まであり、各番に校名の「延岡高女」が登場する。
・旧・恒富高等学校学生歌 - 作詞は甲斐芳一、作曲は柳田育秀による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「恒富」、2番に校訓の「剛健・自治・信愛」が入っている。
同窓会
前史
・1872年(明治5年) - 学制の布告により、旧延岡藩藩校「廣業館」が104年の歴史を閉じる。
・1873年(明治6年)1月6日 - 廣業館の跡地に私立中学校の「'''延岡社學'''」が創立。延岡藩主家の内藤氏が運営。
・1875年(明治8年)1月22日 - 延岡社學を「'''亮天社'''」に改称。
・1876年(明治9年)3月1日 - 亮天社付属女兒教舎が開校。
・1878年(明治11年)2月1日 - 女兒教舎が亮天社から分離・独立。
・1903年(明治36年)3月5日 - 亮天社が廃校となる。
旧制中学校(男子校)時代
・1899年(明治32年)
4月1日 -「'''宮崎県立延岡中学校'''」(修業年限5年:現在の中1から高2に相当)が設置される。 初代校長は山崎庚午太郎。100名に入学を許可。
5月25日 - 開校式を挙行。
・1926年(大正15年)10月8日 - 校訓「剛健・自治・信愛」を制定。
・1927年(昭和2年)11月5日 - 創立25周年を記念して図書館が完成。
・1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
・1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前(昭和16年・17年)に入学した生徒にも修業年限4年が適用される。
・1945年(昭和20年)
4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
7月28日 - 高千穂分教場を開設。
8月15日 - 終戦。
8月25日 - 田代分教場を開設。
9月 - 学校での授業が再開される。
・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
旧制中学校の募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。
旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
・1948年(昭和23年)
3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、旧制中学校が廃止される。
4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡恒富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。
旧制・高等女学校時代
・1901年(明治34年)4月1日 - 女兒教舎が「'''私立延岡女学校'''」に改称。
・1903年(明治36年)3月 - 廃校となった亮天社跡に移転を完了。校地・校舎のすべてを継承。
・1906年(明治39年)8月27日 -「'''私立延岡高等女学校'''」に改称。
・1922年(大正11年)9月 - 寄宿舎が完成。
・1929年(昭和4年)4月1日 - 県立移管により、「'''宮崎県立延岡高等女学校'''」に改称。
・1943年(昭和18年)9月19日 - 延岡大水害のため校舎が浸水。
・1944年(昭和19年)5月1日 - 4年生が日窒化学雷管工場に挺身隊として動員される。
・1945年(昭和20年)
4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
8月15日 - 終戦。
9月 - 学校での授業が再開される。
・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
高等女学校の募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。
高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
・1948年(昭和23年)
3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、高等女学校が廃止される。
4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡岡富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。
・1949年(昭和24年)4月1日 - 公立高校統合・再編により、宮崎県立延岡岡冨高等学校が廃止される。
跡地には、延岡市立岡冨中学校が設置された。
新制高等学校
・1948年(昭和23年)
4月1日 - 学制改革により、県立の旧制中等学校(延岡中学校・延岡高等女学校・延岡工業学校・延岡商業学校)が統合され新制高等学校2校が発足。
・旧制中等学校卒業者(5年修了)を新制高校3年、旧制中等教育学校4年修了者を新制高校2年、併設中学校卒業者(3年修了)を新制高校1年生として収容。
・旧4校の併設中学校を継承。併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・「'''宮崎県立延岡恒富高等学校'''」(恒富の読みは「つねとみ」)- 旧制・延岡中学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。
旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡工業学校生徒全員を収容。
全日制普通課程・工業課程に加えて、定時制夜間部・通信教育部を設置。
・「'''宮崎県立延岡岡富高等学校'''」(岡富の読みは「おかとみ」)- 旧制・延岡高等女学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。
旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡商業学校生徒全員を収容。
全日制普通課程・商業課程に加えて、定時制昼間部を設置。
・1949年(昭和24年)
3月31日 - 併設中学校を廃止。
4月1日 - 公立高校の再編により、上記2校が統合され「'''宮崎県立延岡恒富高等学校'''」となる。
・1950年(昭和25年)4月1日 - 商業課程と工業課程が分離し、宮崎県立延岡向洋高等学校として独立。定時制昼間部の募集を停止。被服科を新設。
・1952年(昭和27年)3月31日 - 通信教育部を宮崎県立宮崎大宮高等学校に移管。
・1958年(昭和33年)6月1日 - 校歌を制定。
・1959年(昭和34年)4月1日 - 「'''宮崎県立延岡高等学校'''」(現校名)に改称。
・1963年(昭和38年)2月 - 新設の宮崎県立延岡西高等学校の間で合同選抜を開始。
・1967年(昭和42年)- 第二グラウンドが完成。
・1969年(昭和44年)4月1日 - 定時制課程が分離し、宮崎県立延岡第二高等学校として独立。
・1972年(昭和47年)9月 - 体育館が完成。
・1977年(昭和52年)2月 - 新設の宮崎県立延岡東高等学校が合同選抜に加わる。
・1992年(平成4年) - 家政科の募集を停止。
・1995年(平成7年)4月1日 - 普通科理数コースを設置。
・1996年(平成8年)3月 - 武道館が完成。
・1998年(平成10年)3月 - 弓道場が完成。
・2005年(平成17年)
この年 - 宮崎県立延岡西高等学校・宮崎県立延岡東高等学校との合同選抜を廃止。
4月1日 - 理数科を設置。
・2007年(平成19年)4月1日 - 女子制服を改訂。
・2011年(平成23年)4月1日 - 理数科をメディカル・サイエンス科に改称。
・2020年(令和2年)4月1日- 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(開発型)に指定される。
運動部
・野球部
・陸上競技部
・サッカー部
・ラグビー部
・弓道部
・剣道部
・ソフトテニス部
・硬式テニス部
・バスケットボール部
・バレーボール部
・ハンドボール部
・水泳部
・卓球部
・バドミントン部
・女子ソフトボール部
文化部
・かるた部
・吹奏楽部
・合唱部
・演劇部
・書道部
・茶道部
・放送部
・美術部
・ESS部
・サイエンス部
掲載は五十音順。
・ 石川恒太郎 - 歴史学者、宮崎県立上代日向研究所特別委員
・ 石谷春貴 - 声優
・ 稲用博美 - 元宮崎県副知事、宮崎県立看護大学理事長
・
・ 沖田愛加 - キャスター、タレント
・ 甲斐一政 - 元愛知県副知事、元名古屋高速道路公社理事長
・ 鎌田正彦 - SBSホールディングス創業者・代表取締役社長(創業者)
・
・ 後藤勇吉 - 航空黎明期の飛行家
・ 志村喬 - 俳優
・ 白田秀彰 - 法学者、法政大学准教授
・ 高橋巨典 - フリーアナウンサー、元テレビ宮崎アナウンサー
・ 高森文夫 - 詩人、中原中也賞受賞
・ 高森建二- 順天堂大学医学部皮膚科学 特任教授
・ 中島峰広 - 地理学者、早稲田大学名誉教授
・ 奈須敬三 - クジラ博士
・ 貫文三郎 - 薬学博士、元日本薬理学会会長
・ 原田千栄 - 歌手
・ 日高健 - 経営学者、近畿大学教授
・ 日野三代春 - テーブルマークホールディングス代表取締役社長
・ 藤澤文洋 - 大リーグ解説者、東京都立高等学校教諭
・ 真栄田雅也 - 前(株)キヤノン代表取締役社長
・ 山元泰生 - 作家
・ 若山牧水 - 歌人、旧制延岡中学校第1回卒業生
最寄りの鉄道駅
・JR九州 日豊本線「延岡駅」
・JR九州 日豊本線「南延岡駅」
最寄りのバス停
・宮崎交通バス 「延岡高校前」バス停 - 延岡駅から三輪行きのバスに乗車。
最寄りの幹線道路
・宮崎県道16号稲葉崎平原線
(基本的に日向・門川方面からの通学生は南延岡駅利用する。高千穂・五ヶ瀬・日之影の生徒は寮、黒岩・北方・北川・土々呂の生徒は自転車通学、バス及び保護者の送迎が多い。)
・延岡市立西小学校
・延岡市立恒富小学校
・延岡市立恒富中学校
・大瀬川
・愛宕山
・ 宮崎県立延岡高等学校
・ 宮崎県立延岡高等学校同窓会-延友会
・ 東京延友会
校名:宮崎県立延岡高等学校
過去校名:宮崎県立延岡恒富高等学校
併合学校:宮崎県立延岡恒富高等学校
宮崎県立延岡岡富高等学校
国公私立:公立学校
設置者:宮崎県
校訓:剛健・自治・信愛
設立年月日:1899年(明治32年)
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
メディカル・サイエンス科
高校コード:45102K
郵便番号:882-0837
所在地:宮崎県延岡市古城町三丁目233番地
緯度度:32緯度分:34緯度秒:10.9
経度度:131経度分:39経度秒:26.5
地図ズーム:13
中心緯度:32.573
中心経度:131.658
地図WikiData:yes
公式サイト
'''宮崎県立延岡高等学校'''(みやざきけんりつ のべおかこうとうがっこう)は、宮崎県延岡市古城町三丁目に所在する県立高等学校。通称は「'''延高'''」(のべたか)。
概要
歴史
1873年(明治6年)旧延岡藩主内藤氏によって設立された「延岡社學」を源流とする。旧制・延岡中学校の開校した1899年(明治32年)を創立年としており、2014年(平成26年)に創立115周年を迎えた。
学区
宮崎県内全域(旧学区:延岡市中心部・南部)
設置課程・学科
全日制課程 2学科
・普通科
・メディカル・サイエンス科(理数に関する学科)
校訓
「剛健・自治・信愛」- 1926年(大正15年)に制定。
校章
桜の花弁と「学問」を表す万年筆のペン先3本と「高」の文字を組み合わせたものとなっている。
校歌
1958年(昭和33年)制定。作詞は渡辺修三(旧制・延岡中学校卒業生)、作曲は近衛秀麿による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「延岡」が登場する。
校歌の他に「延高賛歌」がある。作詞は金井總欣、作曲は太田陽・太田洋・藤原愛子、編曲は岩切佳代子による。歌詞は2番まであり、校名は登場しない。
旧校歌
・旧制・延岡中学校 - 作詞は工藤正勝による。歌詞は5番まであり、校名は歌詞中に登場しない。
・旧制・延岡高等女学校 - 作詞は北原白秋、作曲は山田耕筰による。歌詞は4番まであり、各番に校名の「延岡高女」が登場する。
・旧・恒富高等学校学生歌 - 作詞は甲斐芳一、作曲は柳田育秀による。歌詞は3番まであり、1番に校名の「恒富」、2番に校訓の「剛健・自治・信愛」が入っている。
同窓会
「延友会(えんゆうかい)」と称している。
沿革
前史
・1872年(明治5年) - 学制の布告により、旧延岡藩藩校「廣業館」が104年の歴史を閉じる。
・1873年(明治6年)1月6日 - 廣業館の跡地に私立中学校の「'''延岡社學'''」が創立。延岡藩主家の内藤氏が運営。
・1875年(明治8年)1月22日 - 延岡社學を「'''亮天社'''」に改称。
・1876年(明治9年)3月1日 - 亮天社付属女兒教舎が開校。
・1878年(明治11年)2月1日 - 女兒教舎が亮天社から分離・独立。
・1903年(明治36年)3月5日 - 亮天社が廃校となる。
旧制中学校(男子校)時代
・1899年(明治32年)
4月1日 -「'''宮崎県立延岡中学校'''」(修業年限5年:現在の中1から高2に相当)が設置される。 初代校長は山崎庚午太郎。100名に入学を許可。
5月25日 - 開校式を挙行。
・1926年(大正15年)10月8日 - 校訓「剛健・自治・信愛」を制定。
・1927年(昭和2年)11月5日 - 創立25周年を記念して図書館が完成。
・1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
・1944年(昭和19年)4月1日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、中等学校令施行前(昭和16年・17年)に入学した生徒にも修業年限4年が適用される。
・1945年(昭和20年)
4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
7月28日 - 高千穂分教場を開設。
8月15日 - 終戦。
8月25日 - 田代分教場を開設。
9月 - 学校での授業が再開される。
・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
旧制中学校の募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。
旧制中学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
・1948年(昭和23年)
3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、旧制中学校が廃止される。
4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡恒富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。
旧制・高等女学校時代
・1901年(明治34年)4月1日 - 女兒教舎が「'''私立延岡女学校'''」に改称。
・1903年(明治36年)3月 - 廃校となった亮天社跡に移転を完了。校地・校舎のすべてを継承。
・1906年(明治39年)8月27日 -「'''私立延岡高等女学校'''」に改称。
・1922年(大正11年)9月 - 寄宿舎が完成。
・1929年(昭和4年)4月1日 - 県立移管により、「'''宮崎県立延岡高等女学校'''」に改称。
・1943年(昭和18年)9月19日 - 延岡大水害のため校舎が浸水。
・1944年(昭和19年)5月1日 - 4年生が日窒化学雷管工場に挺身隊として動員される。
・1945年(昭和20年)
4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
6月26日 - 空襲により校舎の大半を焼失。
8月15日 - 終戦。
9月 - 学校での授業が再開される。
・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)が行われる。
高等女学校の募集を停止。
新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず、在校生が2・3年生のみ中学校であった。
高等女学校3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
・1948年(昭和23年)
3月31日 - 学制改革(新制高等学校の発足)により、高等女学校が廃止される。
4月1日 - 新制高等学校「宮崎県立延岡岡富高等学校・併設中学校」(男女共学)が設置される。
・1949年(昭和24年)4月1日 - 公立高校統合・再編により、宮崎県立延岡岡冨高等学校が廃止される。
跡地には、延岡市立岡冨中学校が設置された。
新制高等学校
・1948年(昭和23年)
4月1日 - 学制改革により、県立の旧制中等学校(延岡中学校・延岡高等女学校・延岡工業学校・延岡商業学校)が統合され新制高等学校2校が発足。
・旧制中等学校卒業者(5年修了)を新制高校3年、旧制中等教育学校4年修了者を新制高校2年、併設中学校卒業者(3年修了)を新制高校1年生として収容。
・旧4校の併設中学校を継承。併設中学校の在校生が1946年(昭和21年)に旧制中等学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・「'''宮崎県立延岡恒富高等学校'''」(恒富の読みは「つねとみ」)- 旧制・延岡中学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。
旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡工業学校生徒全員を収容。
全日制普通課程・工業課程に加えて、定時制夜間部・通信教育部を設置。
・「'''宮崎県立延岡岡富高等学校'''」(岡富の読みは「おかとみ」)- 旧制・延岡高等女学校の校地・校舎に設置される(男女共学)。
旧制・延岡中学校生徒の半数、延岡高等女学校生徒の半数、延岡商業学校生徒全員を収容。
全日制普通課程・商業課程に加えて、定時制昼間部を設置。
・1949年(昭和24年)
3月31日 - 併設中学校を廃止。
4月1日 - 公立高校の再編により、上記2校が統合され「'''宮崎県立延岡恒富高等学校'''」となる。
・1950年(昭和25年)4月1日 - 商業課程と工業課程が分離し、宮崎県立延岡向洋高等学校として独立。定時制昼間部の募集を停止。被服科を新設。
・1952年(昭和27年)3月31日 - 通信教育部を宮崎県立宮崎大宮高等学校に移管。
・1958年(昭和33年)6月1日 - 校歌を制定。
・1959年(昭和34年)4月1日 - 「'''宮崎県立延岡高等学校'''」(現校名)に改称。
・1963年(昭和38年)2月 - 新設の宮崎県立延岡西高等学校の間で合同選抜を開始。
・1967年(昭和42年)- 第二グラウンドが完成。
・1969年(昭和44年)4月1日 - 定時制課程が分離し、宮崎県立延岡第二高等学校として独立。
・1972年(昭和47年)9月 - 体育館が完成。
・1977年(昭和52年)2月 - 新設の宮崎県立延岡東高等学校が合同選抜に加わる。
・1992年(平成4年) - 家政科の募集を停止。
・1995年(平成7年)4月1日 - 普通科理数コースを設置。
・1996年(平成8年)3月 - 武道館が完成。
・1998年(平成10年)3月 - 弓道場が完成。
・2005年(平成17年)
この年 - 宮崎県立延岡西高等学校・宮崎県立延岡東高等学校との合同選抜を廃止。
4月1日 - 理数科を設置。
・2007年(平成19年)4月1日 - 女子制服を改訂。
・2011年(平成23年)4月1日 - 理数科をメディカル・サイエンス科に改称。
・2020年(令和2年)4月1日- 文部科学省よりスーパーサイエンスハイスクール(開発型)に指定される。
部活動
運動部
・野球部
・陸上競技部
・サッカー部
・ラグビー部
・弓道部
・剣道部
・ソフトテニス部
・硬式テニス部
・バスケットボール部
・バレーボール部
・ハンドボール部
・水泳部
・卓球部
・バドミントン部
・女子ソフトボール部
文化部
・かるた部
・吹奏楽部
・合唱部
・演劇部
・書道部
・茶道部
・放送部
・美術部
・ESS部
・サイエンス部
著名な出身者
掲載は五十音順。
・ 石川恒太郎 - 歴史学者、宮崎県立上代日向研究所特別委員
・ 石谷春貴 - 声優
・ 稲用博美 - 元宮崎県副知事、宮崎県立看護大学理事長
・
・ 沖田愛加 - キャスター、タレント
・ 甲斐一政 - 元愛知県副知事、元名古屋高速道路公社理事長
・ 鎌田正彦 - SBSホールディングス創業者・代表取締役社長(創業者)
・
・ 後藤勇吉 - 航空黎明期の飛行家
・ 志村喬 - 俳優
・ 白田秀彰 - 法学者、法政大学准教授
・ 高橋巨典 - フリーアナウンサー、元テレビ宮崎アナウンサー
・ 高森文夫 - 詩人、中原中也賞受賞
・ 高森建二- 順天堂大学医学部皮膚科学 特任教授
・ 中島峰広 - 地理学者、早稲田大学名誉教授
・ 奈須敬三 - クジラ博士
・ 貫文三郎 - 薬学博士、元日本薬理学会会長
・ 原田千栄 - 歌手
・ 日高健 - 経営学者、近畿大学教授
・ 日野三代春 - テーブルマークホールディングス代表取締役社長
・ 藤澤文洋 - 大リーグ解説者、東京都立高等学校教諭
・ 真栄田雅也 - 前(株)キヤノン代表取締役社長
・ 山元泰生 - 作家
・ 若山牧水 - 歌人、旧制延岡中学校第1回卒業生
交通
最寄りの鉄道駅
・JR九州 日豊本線「延岡駅」
・JR九州 日豊本線「南延岡駅」
最寄りのバス停
・宮崎交通バス 「延岡高校前」バス停 - 延岡駅から三輪行きのバスに乗車。
最寄りの幹線道路
・宮崎県道16号稲葉崎平原線
(基本的に日向・門川方面からの通学生は南延岡駅利用する。高千穂・五ヶ瀬・日之影の生徒は寮、黒岩・北方・北川・土々呂の生徒は自転車通学、バス及び保護者の送迎が多い。)
周辺
・延岡市立西小学校
・延岡市立恒富小学校
・延岡市立恒富中学校
・大瀬川
・愛宕山
外部リンク
・ 宮崎県立延岡高等学校
・ 宮崎県立延岡高等学校同窓会-延友会
・ 東京延友会
出典:Wikipedia:延岡高等学校 (290981)