俺が高校2年のころ、1978年頃、実際起こった事件だが、開成高校と東京の野球名門校が夏の高校野球の予選で戦っている最中、点差で負けていた開成の応援団、および全校生徒が、相手高校に対して、(ば、か!ば、か!おち、こぼれ!悔しかったら東大に来い!)と罵、倒と野、次を際限なく繰り返したことが、テレビや新聞でも話題になり、世間の猛批判を浴びていた。しかるに開成高校からは明確な謝罪の言葉はなく小生も国立大学希望受験生のひとりとして気持ちの悪かったことを今でも鮮明に覚えている。
当時の開成高校のほとんどの生徒らは、現役で東大に進学し、その大多数が現在の政治家や官僚や大手企業の役員幹部等に就任されているのであろう。そして現代世界に類を見ないと言われる宇宙的規模の格差社会をこの国につくっていることを考えると、彼らの幼いころからの危険な格差思想が、今の社、会悪の根源になっていることを、つくづくと感じ覚えざるをえないのである。
そして推薦入学さえ可能になった今の東大に、社会的な出世は別として、進学する価値がホントにあるのか疑わしく思うことがある。臨床医としてお仕事するならば、鹿大医学部卒でも十分に好きな研究や臨床のお仕事をさせてもらえる機会はある。教授になるにも帝国大学を卒業せずとも地方国立で十分に
任官できる時代でもあるのだ。
もちろん頭が良くて、経済的にも十分に恵まれた環境があれば、行ける御立場にある生徒さんらは東大を目指して欲しいし、願わくは、少数でも鶴丸や甲南から東大に進学された生徒さんらが、現代の絶、望社会の格差の壁に大きな穴をあけて欲しいとも思う。だが成績が良くても行ける環境にない生徒にとっては、九大や地方国立医学部を目標にする方が、勉学しやすいのではないかと国立医学部卒の俺と俺の息子は考えている。
鶴丸も甲南も、受験教育カリキュラムの改善は常に為されるべきものであろう。だが東大進学数で進学校の価値を競う考え方は、少々時代にそぐわないのではないだろうか?京都大学や大阪大学を頂点に考える発想もあるのではないだろうか?九大の進学数や地方国立医学部進学数、あるいは地方国公立現役合格数の上昇を目指すことも価値があるのではないだろうか?
柔軟な発想の転換が求められる時代でもありそうだ。
内緒さま
netの出現で、世界の様々な情報を、過去の出来事でさえ現在進行形で見ることのできる時代になった。netは、利用の仕方によっては学習百科事典以上に教養を高めることのできる知識の宝庫だ。俺は今、妻の勧めでロシアのユリアンナアヴデエワという美人の女流ピアニストが2010年のショパンピアノコンクールに最優秀賞を勝ち得た時のファイナル演奏ショパンピアノ協奏曲1番を聴いている。妻に強いられながら、この曲は、アルゲリッチ、キーシン、ルビンシュタイン、ブニアシティビリ、中村紘子等々、世界に名だたる演奏家たちの名演を、繰り返し繰り返し楽しみながら聴いていた。繰り返し聴くうちに脳裏に旋律が入り込んでしまい、ついでに言うならば演奏を聴いただけでどのピアニストが弾いているのかも解るようになった。妻から学んだピアノ演奏歴史学を合わせると、ショパン演奏の価値観は、1983年にロシアのわずか12歳の愛らしい美少年エフゲニーキーシンの弾いたピアノコンチェルトの超絶技巧の演奏が、ショパンコンクール登竜門の規範になっている気がする。12歳でここまでの完成度を究めたピアニストは、おそらく人類史上キーシン以外には現れていないからだ。(鶴丸校の掲示板でも書いたが興味ある学生さんは、キーシン、ショパンピアノ協奏曲1番と検索すれば、モスクワ交響楽団と演奏する12歳の美少年キーシンの演奏が聴ける。また現在の巨匠となったキーシンの、リヒテルと並ぶ豪華絢爛な演奏も聴くことが出来る。是非御鑑賞くださればと願う。)ピアノの全然弾けない俺も、ここまでのピアノ演奏を聴き続けると、俺も一からお勉強すればショパンが弾けるようになるんじゃないか、バイエルからやってみたいものだ。とショパンの幻想即興曲やリストのカンパネラを容易にこなす妻と息子を羨むことがあるのだ。つまらぬ戯言はこのくらいにして、勉学に環境は大事だと思う。妻のような芸術に教養豊かな母親に育てられたら、どんな子供さんも音楽や美術が好きになるだろう。ピアノや油絵を習いたいと思うようになるだろう。繰り返し繰り返し絵や音楽を目に耳に焼き付けることでルノワールの絵を自分で再現してみたり、ショパンの曲も弾けるようになるだろう。勉学も同じであるが、好きこそものの上手なれ、読書百編意おのずから通ずというのは、ホントにその通りだと還暦を過ぎた今心の底からそのように感じている。医学部への挑戦を勉め強いられる地獄と考えるのではなく、繰り返し繰り返し参考書、問題集、シラバス、
過去問を解きながら、目をつぶっても手でスラスラと解答できるほどに熟達し、次の試験で上位判定を獲得することをゲームのように考えると勉学も意外に楽しいことではないのだろうか。母校の先生方が教えられる教材の価値を信じて、受験戦争を戦う優秀な受験戦士なることを目標に、勉学の旅を続ける自分の姿を想像しながら前向きに学び続けることは、若い君たちの将来を飛躍的に高めてくれる。他人が何を言おうとも、自分の価値を決めるのは自身の努力だけである。俺も頭は相当に悪いが努力だけで医学部を乗り越えた。おそらく今の超難関の医学部でも、俺の超がり勉があれば乗り越えられると実は俺は今でも信じているのだ。すべてはがり勉あるのみ。お馬鹿にされても良いが、参考までにご一読くだされ。
内緒さま
甲南高校から鹿児島大学医学部は行けますか?
今宵は、この質問に対してもう一つ踏み込んだ解答をしたいと思う。昭和平成の初期には、文系から国立医学部医学科に現役入学された優秀な生徒さんらもおられたということ。母校の出世頭の御一人でもあるので、実名を出しても構わないと思う。現在、久留米大学医学部精神科の准教授で、国際的にもご活躍されておられる名医として著名な内野俊郎先生は、母校文系から佐賀大学医学部に現役進学ご卒業された英才の御一人である。当時の佐賀大学は、佐賀医科大学と呼ばれ単科医科大学であったが、二次試験は文理系合わせた
小論文総合問題であった。センター試験9割以上および
小論文二次試験でも首席に近い高得点を取られ入学されている。高校時代には物理化学で理系単位を取得していなかったため、大学では勉学に少々ご苦労されたようだが、甲南時代の猛勉学でなんなく乗り切り、医師国家資格取得後は、精神医学の第一人者の御一人として大成されておられる。このようなユニークな進路を取られる生徒さんは、ラサールや鶴丸よりもむしろ甲南に多い。医学部ではないが、芸術の世界では大河ドラマ篤姫のテーマソングのひとつ、篤姫紀行の篠笛音楽を作曲されておられる吉峰先生、指揮者の下野達也先生らの世界的なご活躍については、母校生徒の皆様もご存じのことであろう。母校に、独創的な生き方を切り開く先輩方の多いのは、他人との競争に捕らわれず既成の価値観を離れて自分の信念や想いを大切にしつつ未来を考える御方が多いからだろうと考える。ちなみに吉峰先生は東京学芸大学、下野先生は鹿大教育学部音楽科出身であるから、今の時代で言う超名門大学ではないが、名門を出られた大物芸術家たちにひけを取らぬご活躍ぶりだ。
今宵はこのくらいにするが、母校の教育が単に受験技術を教えるのみならず、長い人生の生涯教育を想定した自己学習の基本を教えている意味で、母校には西郷大久保に続く永い永い良き伝統が根付いていると考えて良いのではないだろうか?小生は、しがない街医者ではあるが、還暦を過ぎた今でも甲南高校に学んだことを幸せであったと心の底から感じ考えている。