現在京大に通学している卒業生です。部活に多くの人が入っていますが、課題予習こなすのはキツいですよ。学校の風紀の中に精神論のようなものがありますが、それで入試までこなせたら苦労はしません。生徒の半分くらい浪人しているのは予習が多くて復習をおろそかにしがちな授業のアンバランスが一因です。忙しくて時間をなかなか避けないです。
その上部活に入っていたら拍車がかかるだけです。文武両道を謡っていても3年後の結果が伴わなければ話になりません。現役で入試に受かりたかったら帰宅部をお奨めします。
現役で東大に入った卒業生です。上記の方のコメントに付け加えます。大学に合格するためには、極端に言えば「習ったことを忘れない」「本番で問題を解けるようにする」の2つを満たせればいいのです。しかるに、予習偏重の鶴丸のやり方では忘れないための復習の時間も問題を解けるようになるための自分での演習の時間も確保できません。加えて長期休みや朝夕の補習まであれば、自分の勉強のやり方を考える時間もないブラック企業も真っ青な環境だと思います(ちなみに私は家が遠かったので、任意出席だった朝の補習は欠席してました)。
現役で入試に受かりたければ、鶴丸で帰宅部もお奨めですが、個人的には「精神論抜きで」「合理的に」手厚く面倒を見てくれる鶴丸以外の高校に進学されるのもよいのではないかと感じます。
上の子を甲南 上の子を鶴丸に進学させた卒業生の親です。
学びたい目標があり、高い志で高校生活を送りたいなら鶴丸がいいと思います。
誇りを持てる自分自身が育つ気がします
他は自分を強く持っていないとズルズルに流されていきます。鹿児島大や地方公立大進学でよければ高校生活や部活も程よく楽しみ…で良いかもしれませんが
ちなみに上記朝課外や補習は甲南も同じでした。
東大進学を掲げて膨大な時間と労力を費やして生徒を疲弊させているのに、東大京大に合格した卒業生たちはこの学校を評価していない。
なのに保護者はここの課程をやり切ったら自信がつくのだという。
その誤解が毎年のように大学入試での集団玉砕を生む。結果評価における確証バイアスが病的なレベル。
受験だけが高校の役割ではないというなら、ますますこの学校は失敗している。思春期に悪質な過干渉を受け続ければ歪んだ自我しか残らない。
確かに切磋琢磨できる意識や基礎学力の高い学生が集まってきてズルズル流されるリスクが小さいのは鶴丸の最大の魅力だと思います。友人からいい刺激は間違いなく受けるでしょう。
誇りや自信に関しては個人の主観なのでなんとも言えません。ただ、四年生高校と自虐的に称するほど実績が伴っていない現状では、鶴丸で学んだ誇りとか鶴丸の伝統とかが生徒にとって有意義であるかどうかについてはなんとも言えません。学びの課程も大切ですが、少なくとも志望校に合格しなければ成功体験を伴う自信はつかないでしょう。そもそも、全国区で見れば鶴丸含め鹿児島の高校はラ・サール以外は大して認知されておらず、鶴丸よりもっと優秀な公立高校も多数ある現状を考慮すると、教師たちがやたら鶴丸の伝統を殊更に強調するのに、あくまでも個人的な意見ではありますが違和感があります。
スレ主さんの質問に戻りますが、家が近い・やりたい部活の拘束は緩め、といった時間を十分に取れる環境であれば部活をやっても宿題をこなせるでしょう。そうではないけど是非部活をやりたい場合は、3年間を見据えた計画立案力や進捗管理能力、課題ができなくて教師になにか言われても動じないタフさ、などなど学力以外の自己プロデュース力を卓越したレベルにまで磨いていく必要があると思います(社会に出ると重要な能力ですね)。
学校の課題を出来ない人は部活をするべきではないです。
部活をしていいのは、課題に加え目標とする進学先へ現役合格出来る程度の学習に、自身で取り組むことの出来る人だけだと思います。
部活をした結果、希望する大学に現役合格できなければ、将来大きな不満が残ってしまいますので。
ところで、「鶴丸高校は東大進学を掲げて」との投稿がありますが、生徒や父兄に対して、これまでの優秀な先輩方と同様、高い目標を掲げ勉学に励むように国内最高学府である東大を例に挙げて鼓舞しているだけで、何がなんでも多くの生徒を東大へ進学させようとする意図があって掲げている発言ではないと思います。
万が一、本当にそのような意図があるのであれば、今のやり方は余りにも生温い上に、東大受験に特化した学習進度と内容ではないと言わざるを得ませんので、今後は誤解が生じないように、前言は撤回すべきだと思います。
そして、最近の実績を謙虚に受け止め、東大を前面には出さず、各々目標とする大学への進学を目指すと掲げるべきでしょう。
鶴丸は東大進学に特化した教育がなされていると学校を信じて、全てをお任せして結果が出せなかった生徒と保護者の方は学校に対しての不満が大きいようですね。
学校の指導のもと、与えられた膨大な課題を全て完遂し、授業や補講を真剣に受講して、全ての試験の復習を欠かさず、各教科の勉学に励んだ結果、努力した成果が伴わなかったとすれば、そのお気持ちお察し申し上げます。
加えて、難関大学に現役合格した生徒さんが、学校を評価していないのも当たり前の反応だと思います。
ある意味、学校を信じて人と同じ事をしていても、希望する大学の合格を勝ち取れる筈はないと気が付いて、独自の学習方法で努力なさったのは大変なご苦労であったと推察致します。
現実問題として現状の体制のままでは、生徒それぞれの得意科目や不得意科目が違うのは勿論、受験する大学の入試の傾向と対策も違うのですから、全員が納得できる結果を出せるような、画一的な学習指導を行うのは限界があるように思います。
ですから、鶴丸高校に対して難関大学への現役合格者をひと昔前の様に多数輩出する事を求めるのであるならば、生徒の側も入学する全員が、高い目標と意識を持ち、少なくともラ・サール高校生並みの学習量をこなす覚悟が必要なのではないでしょうか。
大学入試に現役、浪人、高校名は全く関係ありません。
ですから、「ラ・サール高校生は別格である」と認識している時点で、同じ土俵にも立てません。
難関大学に現役合格するためには、全ての受験生より本番でより高い得点を取るしかないという意識を持ち、毎日正しい方向に努力した人だけが成果を手にできるのだと思います。
だから写経のような事をしてる暇ないって
だから、現役合格出来ないのは学校のせいではなく本人の責任
もしくは、合格に至るまでの戦略を練ってフォロー出来ない家庭の責任
難関大学を目指すなら、遅くとも中学校から取り組まないと無理だと気付けない人の責任
本気で難関大を目指す人は中受でラ・サールへ、高受でラ・サール、灘、久留米付設へ進学しています
家庭の事情で鶴丸に入学した人は、私立へ進学した同級生のレベルを知っているので、それ以上の頑張りで勉強に打ち込みます
写経が嫌なら、しないで自分の勉強をすれば良いだけのこと
同じ学校に通って、一緒の条件のもと難関大学に現役合格した人がいるのに、その現実を直視せずに学校のせいにばかりして、自己反省出来ない人に最終的な責任はあると思いますよ
言いたいのは、少なくとも一人の成功者がいるのだから、落ちた人間が悪い、という事か。
その対偶は
落ちた人間が悪くないなら、一人も合格者はいない。
イコール 学校に責任があるなら、全員落ちるはず。
はてさてどこがおかしいのでしょう。