文一→5(1)
文ニ→2(1)
文三→5(2)
理一→4(2)
理ニ→2(1)
理三→1(1)
合計19(8)
カッコは現役
これくらいだといいな。
いつの頃の話でしょうか?
今の鶴丸の教師では、東大合格させるのは、絶望的です。
今の鶴丸の教師は、東大の問題が解けない。
東大受験生に指導する力がない。
だから、浪人して予備校で学力をつけるしかない。
鶴丸の生徒がかわいそうです!
あんなに優秀な生徒を集めて、哀れとしか、いいようがない。
今年も昨年同様、
東大現役合格なんと、たったの1名。
これでは、首都圏では、進出学校扱いされません!
今の鶴丸には、東大受験生を指導できる教師がいないのが、一番の原因です!
指導力不足を
無駄な補習と
学力の不足した
鶴丸教師の手作りの
膨大な量の宿題で
補おうとしているから、
たちが悪い。
ここは愚直さだけを重んじてスマートさを軽視する学校だね。とにかく習うより慣れろで、なんでも勉強量でねじ伏せられると思っている。ところが東大は入試でとにかくそう言う勉強量頼みのガリ勉を排除したい。
今年の成果がまたまた良く無かった時に、繰り返し生徒の資質がダメなんだと言う詭弁でこの高校を擁護するする輩は本当におめでたい人達だと思う。たぶん一度も県外に出て外の空気を吸ったことのない土着民なのだろう。
生徒には厳しく、自分たちには甘く、とても信じられるものではない。
鶴丸
東大9
京大7
九大21 九大医1
浪人しても、こんなもんだから・・・
教師だけの責任ではないような・・・
だけの責任ではない、とか、とは限らない、と言うのはアホな政治家が責任を逃れる時の常套句だよ。過剰な干渉と課題で生徒を縛っておいて、結果が出なくても生徒の責任にするとかひどすぎないかね。受かった人間は過去を肯定し、落ちた人間は黙するしかないから負の部分はオモテからは見えないよ。
卒業生の健全な自我の成長が侵されていないことを祈る。
ここの関係者は難関大学合格をラッキーパンチみたいに考えてるみたいだけど、本来ハプニングで落ちることはあっても、ラッキーで受かることは考えないのが国立大の受験。それも基本的に世間的に価値を認められるのは一浪まで。
旧日本軍じゃないんだからさ。
現役合格率数パーセントというのは狂気の沙汰でしょう。
同級生が鶴丸の教員をしている。失礼乍ら、難関大学受験の指導は本人の能力的に無理だと思われる。自分たちの時代には東大・京大卒の教員が珍しくなかったが・・・そりゃ力技の無駄な指導をするだろう。
ところで、内緒さん@卒業生さんは東大ですか?
言わせんな。浪人だわwwww
その落ちた生徒の本音がこれまで外には聞こえてこないのがこの学校の闇なんだよ。敗者(失礼)は言い訳しない、と言うのは美学ではあるけどそれが旧体制の存続を許しているのだから。
自分のためにではなく後輩たちのために、発言する時が来ているのだと思う。特定されるのを恐れているのかもしれないが、鶴丸高卒になんの価値もない時代になってしまってはそれこそ無意味と言うものだ。ブランドイメージはまだ失われてはいないが、それも時間の問題だと思うがね。
>今年も昨年同様、
>東大現役合格なんと、たったの1名。
私の見間違いでなければ週刊朝日では、現役は3人となっていたように思います。もし間違えてたらすいません。
どっちにしても現役生の奮起が促されることは確かでしょうけど…。
私が90年代に在籍した時の状況ですが下記のとおり認識しています。
・東大・京大卒の教員→記憶している限りいませんでした。最高学府で九大文。広大、鹿大教育が大勢。
私大は早慶上智クラスはゼロ。
国語教員に日東駒沢専国学院あたりが数名。
・指導力不足→指導力の具体的計測がなされていないので不明、が実際だと思います。
一部
英語教員にユニークな教育者がいました。あくまで主観です。
過去、鶴丸が猛勢を誇った時代(?)はわかりませんが、少なくとも私が在籍した90年代は鶴丸の弱点は理数系の教育だったと思います。
・無駄な補習→過去から鹿県の、いわゆる公立御三家+1は、朝補習、7限授業、夏季冬季の補習は必須ではないでしょうか。
時間と量を費やし受験を乗り越える、が標準的な教育スタイルだったと思います。
・教師の手作りの膨大な量の宿題→レベルは高いが鶴丸ではこなせる生徒もいたのも事実です。問題の作成や出典については、どのような製作意図をもっておこなっていたかは分かりません。
特に理数系について私自身は基礎部分に非常に脆弱性を感じていたので、基礎部分の反復が必要と感じていましたが、教材の完答に懸命でそこまで手は回りませんでした。
基礎を置いてけぼりにして、応用を追った感じです。個人的にはそのような負担感でした。
・教師だけの責任ではないような→私自身は一部はこの考えに同意します。この見方に批判はあるかと思います。
別の投稿箇所に、入学生の学力低下、強行突破型入学生層の存在、などとありましたが、私自身が強行突破型だったという認識がありますので、こちらは言い当て妙とは感じています。
私が在籍当時から、鶴丸は上か下しかいない、と常々教員たちは云ってましたので。
鹿県の公立高校入試は全国的には極めて標準的なレベルです。県内の実績ある某塾で反復答練をおこなえば、高得点は狙いやすく、普通の学力レベルの生徒でも合格確度は高くなります。
したがって、例えば私立中学出身者など高学力入学者と潜在的な(真の)学力乖離が入学後に一部顕在化してしまう可能性はある、と自分自身と対比して思っています。
これを防止する方法は、入学選抜をより厳しくし、実質的な入学者のレベルを上げるしかないと思います(独自の学力試験を課す、入学定員を半分くらいに減らすetc)。
過去、受験生だった自分には酷な発言ですが。実際、都立の公立有力校の入学定員は少なかったりします。=入学選抜が厳しく、高学力入学者を確保できる。は、ある意味都立の強みだと思います。
1983年卒です
担任の先生は鶴丸、京都大学卒でした
同年は東大29名
私のクラスは現役で東大理I 1名、理II 2名、九医1名、鹿医8名、熊医2名、産医後期1名、大阪薬1名、九大工多数、一浪で自治医1名他いろいろ。
私は今県外在住で息子たちはラサールに入れています。最近決してできの良くない娘を樟南文理を受けさせました。娘の点数開示で鶴丸志望者の得点分布を見ましたが、相対的な鹿児島の学力レベル低下を感じます<<<熊本、福岡。以前が異常で今が普通なのか。
向学心の強い者が進学で出て行って鹿児島には残っておらず、残った人の次世代となっているから、、、?
推薦がセンター枠を狭くする金持ち優位の今の国立、、、、
この問題を考えるとき鶴丸卒の紳士淑女の先生方がひとつ語っておられないブラックホールがあると自分は考えております。国立大学が法人化されて推薦枠が大幅に広がりましたよね。このまえのnhkのニュースでも今の国立大学は全体としてみれば二人にひとりは推薦入学だと言われていました。誇り高きラサールや鶴丸の生徒さんがたにとって入試の突破は、やはりセンター試験と二次試験で受かるというのが正攻法であり、推薦入試というのは、エンジェルに言わせれば(国立版裏口入学)という思いを拭い去ることができないのです。医学部帝大系の難関が年々超難関になりセンター試験の合格ラインが100点近くも上がってきたのは、推薦枠が多すぎるために、本来の競争枠があまりにも狭き門になりすぎていることも大きな理由のひとつであると自分は考えております。ちなみに80年代の共通一次の頃は、国立医学部に推薦枠はありませんでした。皆が平等の競争試験を受験できた時代でしたので正攻法の合格枠がいまよりもかなり広かったと思います。本来は国立大学に裏口があってはならないと思うのですが、高度資本主義の格差社会ならではの良からぬ現象だと自分は考えております。
エンジェル様。いつも示唆に富むご意見有難うございます。おかげ様で子供が国立医に無事合格できました。最近の医学部受験が自分たちの頃とだいぶ変わっていますので、最新の受験事情をお知らせいたします。
十年以上前は、国立医がダメなら私立医(経済的に許せばの話ですが)という選択肢がありました。今はこれが必ずしも通用しません。去年と今年の例ですが、私立医が全敗でやっと鹿大医(一般)に合格できた方が、私の知る範囲だけで三人もおられます。皆さん、センターは9割前後で、非常に高い学力をお持ちです。医学部全体が考えられないくらい難関になっています。
エンジェル様の言われるように、AO・推薦入試や新大学入試は経済格差を助長していくでしょう。受験は努力や能力に応じて平等であってほしい。そう思います。
関東では東一工がダメでも早慶に行ければ受験は成功と言う風潮です。鶴丸は東大受験生の現役合格率がおそらく全国最低だと思いますが、一浪して再び不合格だった場合、どこに進学しているのでしょうか。
学費の問題で早慶が難しいとなると私立では努力に見合う進学先が無いように思いますが。九大後期を受けてほぼ全員が合格するということなのでしょうか。
早慶も推薦と内部進学が多いため、一般入試での合格は難しくなっています。中央での早慶の評価は鹿児島で思うより遥かに高く、鶴丸高校も積極的に推薦枠を使っていくべきかと思います。
その後の人生の可能性が全然違います。
医学部推薦入試は、
1985年からは、佐賀大、香川、高知の3大学
1987年からは、名古屋、山口など10大学
1989年からは、三重、浜松、福井の3大学
1990年からは、長崎、熊本など7大学
が開始している。
1984年以前に大学入試を受けた、おじさん、おばさんには、
推薦入試と無縁だったな。
ちなみに、現在も推薦入試等を実施していない大学は
千葉大、九州大の2校のみとなっている。
入学定員数における推薦、地域枠、AOの割合
九州、山口、沖縄各県
1、佐賀大 43%
2、長崎大 37%
3、宮崎大 36%
4、大分大 35%
5、山口大 32%
6、熊本大 20%
7、琉球大 15%
8、鹿児島大14%
番外九大 0%
推薦、地域枠等が多くなっている大学は、各大学を卒業した後に、
県外に出ていく人が多くなってきたからだろう。
昔は医局が強かったので、県外の大学関連病院に一度出て、また
大学医局に戻るパターンが多かったのだが。
医師が自由に研修先を選べる新臨床研修制度を導入された2004年以降、
若い医師が都市圏などに流れ、医師不足や診療科の偏りが始まった。
その対策として広がっていったのが、推薦、地域枠。
今では地方にとって医師確保の頼みの綱となっている。
推薦、地域枠入試は一般枠よりも医学部に入りやすいという面はあるが、
卒業後、一定の期間、地域医療へ従事することで奨学金をもらえるなどの経済弱者のメリットになっているはず。
偏った見方で、否定するのは、いかがなものだろうか。
専門医の取得が難しいなどの問題点も存在するけどね。
上記、ベテラン先生方の見解は優れて適切な内容でとりわけ統計数字が正確ですのでエンジェルも勉強になります。そのうえで私見を少しばかり、、
そのまえに子供さんが国立医学部に合格されたこと、大変おめでとうございます。ここ福岡市でも仲間の医師先生や看護師さん方の子供さんがねじり鉢巻で勉学に励んでいるお姿を見ると、その健気な姿に、自分も励まされると同時に、人事に思えぬほどに吉報を受けるまでは胸が締め付けられるような気持ちになります。偏見でなくセンター試験枠は確実に狭められているからです。兄や自身が共通一次の世代で奨学金と
授業料全額免除で長崎大学を卒業し長らく田舎でお仕事していましたので、地域医師の立場でこの30年近くの変遷を目の当たりにしているつもりなのですが、入試改革とその結果がもたらした現状というのは学生さん、とりわけ貧しい御家庭で育った生徒さんが自分の力で入ろうとする場合にひと世代前よりもはるかに困難になっていると言わざるを得ないのです。地域枠は良いとしてもAOと推薦が必ずしも経済弱者のメリットにはなっていないのが現実ではないのでしょうか?
わたしは、どの大学あるいは学部を受験される場合でも推薦が悪いというつもりはありません。生徒さんの人格がまじめで優れて個性的で何かを成し遂げようとする意欲が人一倍強く誰からも好かれるようなお方なら少数そのような方々を受け入れる学び舎というのは必ずしも悪くはないからです。だが国立大学が法人化してからの受験システムを大観すると、どの学部でも推薦枠は必要以上に広がりすぎている傾向があると思いますね。
今の社会は祖父や父親に権力があればたいした努力はしない人も総理大臣になれます。政治家の世界は確かに世襲化されていると思います。現在の入試改革によって医学界が世襲化されなければいいけどね、偏見でなく今の院長や仲間の医師たちが常々語っていることです。
もちろん私立は独自のシステムがあるわけですから大いに推薦には賛成です。早稲田や慶応は鹿児島の進学校から全員推薦で行かれてもエンジェルは懸念しません。国立は貧乏学生にとって最後の砦ですからね、いかに貧しくとも生徒個人の努力が確実に反映されるシステムであって欲しいと思います。
エンジェル様の鋭い洞察力に感銘を受けました。おっしゃるように現在の甲南高校は推薦に対して協力的です。そしてラ・サール、鶴丸であるがゆえに推薦がもらえず、医学部進学をあきらめざるえない受験生も少なくありません。
今後、国公立のAO・推薦枠は三割以上になるそうですから、甲南高校は時代の流れに柔軟に対応しておられると思います。公立高校でありながら受験の変化にいち早く対応している甲南に畏敬の念を持っております。
SGHの指定を受けておられるのも先見の明があります。これからの大学入試はSH指定校や中高一貫校の方が有利でしょう。
エンジェル氏の二刀流論は一理あります。樟南高校の例だけど、文理コースは一般入試で医学科、英数コースは推薦で医学科に合格者を出してます。英数コースからも医学科に行けるんだと驚きました!
東大合格者の話がいつのまにか医学部の話になってますね。
東大入試と医学部入試は全く別の種類の試験と考えた方が良いと思います。必要とされる能力がかなり違うからです。
さらに地方での大学の評価は中央での評価とは全く違っています。最近一番大きく変化したのが旧帝大という括りではないでしょうか。文部省は指定国立大学を新しく認可することで、旧帝大のうち北大と九州大をトップランクから外しました。国家予算を旧帝大に優先的に配分する規定がこれまでありましたが、これからは指定国立大学が優先されることになります。つまり、北大九大外しです。昔は旧制高校、いわゆるナンバースクールを卒業してさえいれば全ての帝国大学にほぼ無条件で進学できたわけです。この点、東京帝国大学と九州帝国大学進学の間に基本的に難易度の差は無かったということになります。その頃の帝国大学と言うニュアンスは今の地方旧帝大には存在しません。平成が終わりを告げる今、旧帝大と言う言葉は死語になりつつあると考えます。
さらに信じられないかもしれませんが早慶の評価は阪大より上、一橋東工大のやや下、と言うのが本当のところです。これは一般入試の難易度では確実で、さらに就職においてもそうであろうと思います。数年前の鶴丸高校の校内資料を見ても慶應理工の目標
偏差値は鹿大医学部と同等か上だった記憶があります。
旧帝大、国立大至上主義でいるとあとから驚くことになるかもしれません。
情報の取得の可否が合格のすべてを決める難関受験
現役で長崎大学医学部に受かった兄と自分は、父親の年収150万円とあまりにも貧しかったことから東京の大学のことを考えたことがありませんでした。東大がどうとか早稲田がどうとかいうのは、長崎のアルバイトで予備校の教師をするようになってから受験生を東京の大学に合格させないといけないので研究するようになりましたが、当時のバイト先の予備校は河合塾との連携を強力に進めておりましたので初めてその難関大学向けの理数科のテキストを見た自分はあまりの内容の深さに、思わずため息をつくほどでした。母校の教師たちが手作りでこしらえたサブノートやシラバスとはレベルが桁違いに違ったからです。しかるに母校の教育で少なくとも国立医学部二次試験を首席で合格していた自分にとって東大や京大向けにつくられたそれらのテキストを読みこなすことはそれほど難しいことではなく超難関を目指す子供たちを教えることにはさほど抵抗を感じてはいませんでした。また自分の教室からは九大のみならず、国立医学部、東大、京大、横浜国立大学、神戸大学などの難関に次々に受かってゆきましたので80年代終わりごろから90年代前半のことですが、あのやり方、考え方で十分だったんだと今では自信をもって言えるようになっております。上記の先生が言われるように東大向けの学習法と地方国立医学部では二次試験に対する学習内容が全く異なると自分も感じております。エンジェルの時代ならば東大が圧倒的に難しかったと思います。ところがかの天下の東大さえも推薦枠を入れるようになり、いろんな議論が涌き起こっていますよね。(推薦枠で入ろうとするならセンター試験7−8割でも大丈夫そうですので甲鶴の生徒さんなら全員受験資格があるのではないか?と兄もエンジェルも笑いながらテレビを見ているのです。)
さてあれから四半世紀経た今の時代は国立医学部も東大京大もセンター試験で9割取るのは当たり前、二次試験は9割学生同士の熾烈な戦いになっていますので、どちらが上か下かを議論するのは問題外のような気がしますよね。二次対策は、それぞれの大学で全く別物であり高等予備校は二次についてもそれぞれの大学に特化した対策をプロフェショナルに講じているようですので、情報戦が勝敗を決めるのだと思います。かつては全国から学生を集めた東大も今は7割以上が関東圏内の生徒で占められているということですので、超高度受験格差社会の直近の九州では二次対策の情報が著しく不足してるのだとエンジェルは判断しております。ちなみに自分の従兄弟で甲南高校卒の医師の次女が、3年ほど前大阪の公立進学校から現役で横浜市立大学医学部にセンター試験で合格しているのですが同じ河合塾でも福岡と大阪では講師のレベルが違う、それは講師の質ではなく持っている二次に対する受験情報の圧倒的な差であると彼は話していました。
さてこれらのことを整理して思うに、難関を超える最初の目標はセンター試験で9割獲得を目標にすること、これは福岡市、長崎市、鹿児島市の予備校も含む進学システムで十分だとエンジェルは確信します。あと九州大学医学部を含む国立大学医学部対策の情報戦でも十分であとはがり勉あるのみです。東大、京大については専門の予備校や通信教育で二次対策をしっかりやる必要がありかつて自分が予備校で仕事した経験から思うのは、進学校の教師は少なくとも自分が担当する科目についてはセンター試験のみならず東大、京大を含むすべての難関大学の二次試験についても、しっかり研究しておく必要があると思うのです。
このように考えてくると東進のように東大生および東大卒生みずからが受験生を教えるシステムが確立している都会の環境には、鹿児島市ではなかなか追いつかない部分があり、ここの穴埋めを推薦入学で補うことが地方の進学校の場合には不可欠になっているのだろうと思いますね。実力枠と推薦枠の高度な二刀流を駆使することが甲鶴の未来を開く鍵になると信ずるゆえんです。
早慶に推薦で入学することへの嫌悪や罪悪感みたいなものは、明治以来おそらく唯一の機会均等である国立大学入試を絶対正義とする考えの裏返しであると思います。しかしながらすでに語られているように今や国立も推薦の時代、現実の日本社会の中枢は東大と早慶が握っているような状況でいつまでも過去に囚われていては、田舎で胡座をかいていた地方旧帝大がいつのまにか転落したのと同じ道を辿っているように見えます。
それが不満なら維新の薩摩藩士のように自分たちがまずは勝利して、勝利者の立場から変えて行くしかありません。
しかしながら、質より量の示現流では、いずれ良い部下にはなれるでしょうが、その後はめんどくさい上司にしかなれないような気がします。裸一貫叩き上げとか、愚直の一念岩をも穿つと言うのは個人としては勝手ですが他人に要求して良いものではありません。こだわるべきは論理力であり知識量ではありません。
スマートさやソツの無さみたいな物の価値をもっと認めるべきと思います。
上記先生方が言われる二刀流論には大方自分も賛成だが、少しだけ意見を言わせてもらいたい。(こだわるべきは論理力であり知識量ではない)最近の予備校は次世代の大学入試について、わりとこの文言を生徒募集の宣伝にも使っているようだが、僕はこれまでの国立大学の入試が論理力を求めていなかったとは少しも感じてはいないのだ。センター試験の客観テストでは、現代文、現代社会、
数学、物理、化学では穴埋めとはいえ思考力を問われる内容が多かった。九大(あるいは長崎もそうだが)二次の理数科の問題は、高度の演習問題を解きながら解法力を鍛えておかないととても時間内に解き終えられるような代物ではない。また進学校で習うレベルの知識を完璧にしてこそ考える力も自ずと養われると僕らは考えている。自分の親友が九大の教授を勤めているのでお聞きするのだが、推薦枠で入学された多くの生徒さんが大学の物理や化学の理数科が解けずについていけずに留年するケースが目立っているそうだ。センター試験で入学される生徒さんらは高校の時の基礎力がしっかりされているので例えば流体力学、熱力学、量子力学の講義や演習を解かせてもすぐにマスターするが、推薦枠の生徒さんらはそもそも演習問題を微積で解く訓練さえしていないので高校2,3年のレベルから補講してあげないと授業についていけずに置いてけぼりを食わされるケースが少なくないという。
スマートにはもともと(賢い)という意味がある。ソツのなさとは難問が生じた場合により手短で適確な方法で解決するロジカルな能力を言う。先の先生方の御意見に水をさすようで申し訳ないが、九大に関する限り、今の推薦枠の生徒さんがたにはスマートさはあまりないようなのだ。
自分の目指す大学までのセンター試験および二次試験に正攻法で受かってこそ人間としてのホントのスマートさが育つと僕は考えるが如何だろうか?
東大はここ数年易化してるとは言え、京大、東工大、京都府立医大の最近の
数学の問題見たことありますか。一橋の
数学もかなりの難問ぞろいで有名です。
さらに東大京大はセンターの比重たったの2割です。
事情はかなり違いますよ。
少々わたしもしつこいですがもともとここは東大合格者数についての議論だったのにすぐに話が医学部に引っ張られていくので。
私は難関大を難関たらしめているのは
数学の難しさにあると思う。ほかはどうにかなりますからね。
まあじつは
数学もどうにかなるんでしょうけど。
理数科が難しくなることには僕は異論はない。
東大を東大たらしめているのが
数学であることは昭和時代も同じであり自分が東大医学部か九大医学部で最後まで悩んだのも二次の確実合格を考えたからだ。九大なら確実に全問正解を狙える、東大にはそれを許さぬ難易度があった。
理系の場合にはこの難関を超えられるか否かで学生を区別してよいというのが持論でね。というのもこのレベルを超える相当の勉学を高校あるいは浪人時代にやっておかないと、大学の理数科の勉学にはついていけなくなると思うからね。
推薦枠を否定はしないが、推薦の基準を厳しくしておかないと微積やベクトルが解けないようでは
数学のみならず、大学の物理化学の講義にもついていけない学生が現実おられるのが事実ですからね。
戦後の日本の高度科学技術を生み育ててきたのは、理系に強い日本人の頭のよさにあったことは国際的にも認められていたことであり、その根幹は戦後の平等教育と理科系の厳しさにあったと考えている。当然大学受験、とりわけ国立の場合には、すぐれた学生を選ぶためには、その難易度を保つべきであり、東大や国立医学部は基準を下げてはならないと思うのだが如何だろうか?
東大、京大の推薦基準をご存知ですか?
「推薦枠を否定はしないが、推薦の基準を厳しくしておかないと微積やベクトルが解けないようでは
数学のみならず、大学の物理化学の講義にもついていけない」
このような低次元のレベルではないですよ。
殆どが、
数学、科学、化学、地理オリンピックの日本代表者や成績優秀者で、メダル獲得者も多数います。
日本
数学オリンピックで成績優秀者、ヨーロッパ女子
数学オリンピックで金メダル。
物理チャレンジで金賞、化学グランプリ大賞などなど。
東京大の推薦入試や京都大の特色入試を突破したのは「スーパー高校生」ですよ。
数学の難問で東大医に太刀打ちでいないと思って九大医を選んだんでしょうが、その東大理系
数学をはるかに凌駕した問題の
数学オリンピックでメダルを取った生徒が、推薦入試に合格した人たちです。
その人たちをレベルが低いと思ってるいるのでしょうか?
昨年の週刊朝日の記事。
ラ・サール(鹿児島県)の安原大熙(だいき)さんは、東大文学部に進む。幼いころから絵本が大好きで、自分でも書いていたという。両親が読んでいる本を通じて文学に親しんだ。学校の授業がきっかけで、中3のころから文芸の創作活動を始めた。
「中3の
国語の授業で紹介された短歌に感銘し、短歌を作り始めました。高1の授業で鑑賞した漢詩にも興味を持ち、ネットで調べた漢詩の会に入った。毎月、添削指導を受けました」
文芸部の部長を務めた安原さんは、高1の秋に「諸橋轍次博士記念漢詩大会」で賞を取った。高2の秋には「九州高等学校文化連盟文芸大会短歌部門」で最優秀賞を受賞し、推薦入試を考えるようになったという。
東京大学 推薦入試2019
理学部
市川、筑附、栄光、初芝富田林、灘、筑紫丘、ラ・サール、武蔵(私立)
まあ、ここは東大入試についてのスレッドなので、医学部入試の話を絡めると話がややこしくなります。
個人的には地方の国立医学部入試はいかに弱点を作らないかが重要で、東大をはじめとする難関大学はいかに高いレベルで得意科目を増やしていけるか、にかかっていると思います。
九大長大の
数学がハイレベルと言われたので、時に予備校も解答を間違える難関大学の数理のレベルをご存知なのかと思いまして。
もしそうなら医学部以外の学部の生徒はほとんど得点できないことになりますね。
通常理系ならその大学の工学部に合格する生徒が5-6割得点できるレベルの問題を出してきますから、
偏差値を考えると九大長大の
数学の問題がそんなに難問で有るはずはありません。
理3を受験しようとしてたほどの人ですからこれは釈迦に説法ですね。
私立医科大の入試が情実だらけなのは、20年も前のことを思い出せばわかることです。
鹿児島県選出の国会議員が私立医科大入試の斡旋を依頼されたメモを国会の会議中にすっぱ抜かれて、支持者の希望に応えるのは国会議員としての突然の義務であると高らかに宣言したのを聞いて職場で椅子から落ちそうになったことを思い出します。
あと微積分を使った物理は、大学受験では禁じ手です。
しかし物理法則を本質的に理解するのに微積分無しには不可能なことです。単振動は二階微分方程式の解ですから。
今は予備校でしか生徒はこの微積物理に接することができません。あ、東進の先生が参考書をだしてますね。ですので推薦枠の生徒が知らなくてもその生徒の落ち度ではありません。塾に通ったり、自分で参考書で勉強していた尖った生徒しか知らないのです。知ってる前提がおかしいのです。本来、高校でも微積物理をやるべきですが、
数学3をマスターしている前提ですのでそこからでは間に合わないと言うことでしょう。
私は高校時代、山本義隆先生の必修物理に出会って物理に開眼しました。
数年前ヤフオクで上下巻4万で売っているのを見つけて懐かしくなり落札しました。独学で読破した青春の思い出です。私の人生を変えた一冊になりました。そう言うことが東京にはいくらでも転がっているのです。探しに行かなくてもそこにある。
よく知らずに子供達を鶴丸に行かせましたが人生レベルの誤算でした。二度と関わるつもりは無いのでどうでもいい事なのですが、ここ限定の世界観で自分が劣っていると勘違いする生徒がこれからもたくさんいると思うと黙っておれませんでした。
子供達は今は希望の大学に進学して幸せになりました。年月が経ってもう笑って話せますが、子供達から微笑みを奪い、さらになんの成果も無いこのシステムを私は許せませんね。納税者ですからこのくらいのことは言わせてもらいます。子供達によると私は執念深いそうですが。
で、これを最後にここから去ります。
鶴丸高校合格が在校生の皆さんの人生のピークにならぬ様祈ります。それこそつまらぬことです。
東大(理系)と地方国立医学部の違いを簡単に例えると、最難関中学入試(灘、神女など)と公立高校入試の違いみたいなものだね。両方とも相当ながり勉で突破することは可能やけど、極少数の高IQの人間なら前者の方が大分楽に感じると思う。しかし、大多数のがり勉人間にとって前者は後者よりもかなり高い壁に感じると思う。理由は単純で
数学(または算数)の難易度の違いやね。本当に賢い人間が短期間に教科書と
過去問演習程度で東大
数学4完以上解ける一方で、凡人は3年間膨大な時間を費やして、青チャや新
数学演習などの問題集をこなしたのにもかかわらず、
数学は2完2半程度が精々で理科と
英語で勝負するしかない。もちろんそれだけがり勉すれば、地方国立の
数学なら(一部の単科医大を除く)普通に9割以上取れるのだが。
認めるね。理3相手の問題で、常に完璧な解答を出していたのがラサールの同級生で、ラサール時代首席を貫き、理3に現役合格された前村君だった。今は長崎大学の循環器内科の教授を務めておられる。僕は彼に負けたくなくて寮生として猛勉強を続けていたが、
数学だけはどうにもならなかった。進学校の理系で学んで思うのはともに学んでいて頭の出来不出来がはっきりしている。頭脳にもいろんな役割があることは医学解剖学的にも知られていることなので。だが二人の娘の勉強を傍ら見ていながら自分の考えに少し疑問を持つようになった。それは二人とも自分よりも難関の
数学を得意そうに時間をかけずに解き続けているからだ。(お前たち、そんなに数字が好きなのか?)笑顔でうなづく手品師のような二人について妻が話してくれた。(どうやら進学塾の
数学の先生が優れた人らしいですよ。教室からは何人も東大や京大に生徒さんを合格させておられるそうですから。)やがて娘たちもそれぞれの大学受験を戦うことになり妻の語る意味がわかってきた。
福岡市の進学校の優等生のみを集めたその精鋭クラスからは東大と京大の受験者は全員合格していた。ところが驚いたのは国立医学部に合格していたのは上の娘の場合は娘がひとりだけだったことだ。センターでは、ほぼ全員が9割前後の点数を獲得しており二次に対する条件は全員がほぼ等しかったと記憶している。妻は話した。(これは私の邪推ですけれど、あの塾の理数科の先生方は東大や京大理学部を大学院までいかれた最優秀な方々だったそうですよ。おそらく二次試験に対しても
数学の手習いは最高レベルだったんじゃないでしょうか?国立医学部の二次は
小論文面接などでわけのわからん就職試験のような内容だったので生徒さんの実力が十分に生かされなかったのかも知れませんね。
面接では実力よりもはったりのほうが効くことがあります。ああ見えても彼女は貴方に似て気が強いですから。)
世の中に天才はさほど多くはおられるはずはないが、天才が教育すれば天才になれずとも凡人より少しはマシになれるようだ。ショパンの曲は誰も作曲出来ないが、ショパンは多くのピアニストが演奏できるのと同じでね。
BJ氏(ラサール卒がこの掲示板におられるのに驚いたが笑)の投稿に対し思うことがあるので言わせもらう。初めに貴方が上記でおっしゃりたい事は『鷹が育てれば、蛙も鷹に成りうる』という事だと思うが、私の様な凡人には『鷹が鷹を産み、鷹が育て、当然鷹になった』と解釈してならない。投稿内容から察するに、貴方はラサール全盛期の年代だと思う。当時のラサールは日能研中学
偏差値で70を記録しており、これは開成中学と同等である。その最難関(中学入試はIQが重要であり東大入試より難関)を突破した貴方はまさに『鷹』であり『蛙』の我々鶴丸とは異なる。自己評価は自分の所属している集団内での相対評価で形成されていくものだと思うので、異次元の環境で育った貴方の自身への評価と世間一般のそれとの間に、大きな乖離があるのは当然なのかもしれないが。二つ目は『蛙も鷹に成りうる』とした場合、貴方の御息女が通われた様な塾が鹿児島に存在するのか?若しくはその様なハイレベルな教員を鶴丸に配属することが可能なのか?という事なのだか、現実的にかなり難しい気がしてならない。
鶴丸卒のベテラン先生へ
ラサール中の試験に一度目落ちたとき何ともいえぬ悔しさと涙がこみ上げました。夏の追試験で合格するのは補欠のような意味があり、感無量ではありましたが心の底から喜べる気持ちにはなれませんでした。どうやら貴殿と僕は、どこか似た性質があるのかも知れません。
80年代と90年代の国立大学入試のシステム上の一番大きな違いは、
学費が高騰したこと、法人化への移行に合わせて推薦入試(AO入試を含む)が横行したことだと僕は考えております。
ちなみに自分が80年に九大医学部に入学したときの
学費は年間18万円でしたからね。あの頃、日本のどの国立医学部にも推薦はありませんでした。
今年自分の娘や、知人や友人たちの優秀な子供さんたちがどのような進路を得たか、つたない
情報ですが今後の受験のあり方を論じるうえで参考にはなると思いますので書かせていただきます。
父親 娘
自分 80年代九大医学部 地方国立医学部
得点8割9分 センター9割
友人 80年代九大法学部 息子
得点8割2分 防衛医大医学部
センター9割2分
友人 80年代鹿大医学部 息子
得点8割5分 一浪して国立医学部
センター8割8分
友人 シングルマザー 息子
生活保護 国立大学理学部
センター9割
自分の独断と偏見ですが、80年代、90年代、
2000年代 2010年代と比較すると,どう考えても経済的に優位な御家庭ほど難関と呼ばれる大学学部に合格入学しやすい環境が全国的に生まれ育っているようにしか自分には考えられないのです。防衛医大や自治医大は、僕らの時代であれば、ど貧民家庭の質実剛健優秀な子供さんが進学するための大学というイメージがありましたが、今は中流家庭以上の御子息令嬢が入る大学に変化しています。ちなみに今の時代はど貧民は医学部へはほとんど行けないような時代だと思います。
ちなみに僕の親父は自転車小売店を営んでおり
年収180万円ほど、鹿児島市には100円ラーメン
のりいち、というお店がありますが、あそこの
息子さんも僕レベルの貧乏家庭のラサールの奨学金同級生ですが、東大医学部に現役進学されています。あの時代は、ど貧民でも努力さえすれば最難関へ行ける時代だったですよね。
上記一部、投稿記載が失敗しましたので、その部分を変更します。
自分
父親 、80年代九大医学部 、得点8割9分
娘、地方国立医学部、センター9割
友人、80年代九大法学部 、得点8割2分
息子、防衛医大医学部、センター9割2分
友人、 80年代鹿大医学部、 得点8割5分
息子、一浪して国立医学部、センター8割8分
友人 、シングルマザー 、生活保護
息子、 国立大学理学部、センター9割
だから何?学校関係者が見るわけないだろ
塾とか予備校、卒業生のデータやサンプルが随時見れるから
こんなしょぼい内容見てなんも足しにならんだろ
統計とは全然関係はないが主観的な事実だということだ。塾や予備校が正確なデータを出しているから確かに僕が書く必要はないけどね。
一人ひとりの個人が、どのような経過を辿ったかを見るというのはその時代背景を含めて大事なことでね。総合データの分析も大事だが、個人の成功あるいは失敗の理由を冷静に考えるのも同じくらい大事だと思うね。
医者が個人を見ずにエビデンスばかり見て治療にあたるのは危険なのと同じことさ。
ちなみに僕が問題としているのはシングルマザーのもとで育った、進学校のある優等生の受験に関する事実のことだ。下の娘の同級生だが、塾や予備校に行かずも国立医学部に行ける成績を独学で維持していた。娘に言わせれば(破格の天才少年)とのことだが、進路指導の先生方は何とかして国立医学部を受験させようと懸命に御努力をされていたそうだが、お母様も御本人も家庭の御事情をかんがみ理工学部に進学されたとのことであった。幼い頃からの娘の同級生であっただけに、かつては自分も同じような環境で育っただけに胸が痛くなるような気がした。医師の子として何不自由ない環境で医学部にいくまで勉学できる二人の娘たちは極楽のような環境だと複雑な気持ちなのさ。名は伏せるが自分が所属している福岡市の政治団体を通して自分も何度か国立大学の
学費については仲間たちと値下げについての話し合いを政府に持ちかけたことがある。だがいずれも門前払いだったね。今の資本家らや自由民主党の圧倒的な強さの前には、野党の組合組織など飛んで火に入る虫に過ぎないようだ。御存知と思うが福岡県は今度の知事選で政府と県連が対立したことから元自民党の県知事が半ば野党化し、その知事が大勝したことで、ずいぶんと労組の力が強くなっている。にもかかわらず文部省との交渉については教育委員会は及び腰らしく野党案であれば建設的な内容でも受けれないようだ。現実的には実力がありながら難関に進めない子供さんが少なからずいるのは確かなのだが、、、。
医学部に行かずに理工学部に進学したのがそんなに胸が痛くなるような悲しい話なのか?
人はみんなできることなら医学部に進学したいのだと本気で思ってるのだろうか。
そうすると医者じゃない人間は、医者になりたかったけどなれなかった人たちだと言うことになるよ。
価値観がヤバすぎるよ。
医学部だけではなく難関理工学部も同じなんじゃない。何かの資料で今の東大生の親の年収を調査したら一千万円以上が大半を占めていたという報告を読んだことがある。今の鶴丸の置かれた状況と必ずしも無関係ではないような気がする。