県外の某全国系有名予備校の講師が、名前を上げて、鹿児島に鶴丸高校というトンチンカンな学校があります、と公言しているという事実は最後に述べさせてもらっておきます。もっと楽に、学校生活も受験もクリアできるんですよ、本当は。
第一志望にはほとんど行けない。そして自己評価を不必要に下げて残りの人生を歩く人が多いのです。
鶴丸高校合格が人生のピークにならぬよう祈ります。
「九州財界」(だったかな?)の今月号に昴の西村社長の意見が出てました。内容は、校名こそ挙げてなかったのですが、4年生高校が県内の進学校にあって、それが県全体に悪い影響を与えているとのこと。なぜ、西村社長がこのことを言っているのかですが、鹿児島県は圧倒的に現役進学率が落ちてきている。たしか、ワースト2が北海道でそれでも確かー1%位、鹿児島はー6%位だっと思います。これは、多くの親の現役合格の希望とかけ離れてると言っていました。
地元の大手塾の社長ですから傾聴すべき意見なんだと思いますし、何よりも彼女は鶴丸のOGなんですね・・。非常に考えさせる記事でした。
たしかに、最上位層が減りつつある現在、学校側も浪人してでも難関大学という方針または校風は考える時期にきているのかもしれません。上の方が言われるように教師または学校のやり方でこれは克服できるのか、あるいは生徒の学力に応じた現実路線に転換したほうがいいのか・・。
私は一浪後の進学からずっと東京で生活していますが、こちらはごく普通レベルの高校から早慶など難関私大も抵抗なく受験します。ある意味、高校までの
偏差値は意識的にリセットしている感じです(普通レベルでマーチクラスの推薦枠もあります。首都圏内の
生徒は確実に進学してくれるという大学側の期待もあるのでしょう)。塾通いも普通にしています。私大についても定員厳格化でニットウコマセンレベルでも難化傾向が出始めています。元々、鶴丸は早慶上智の現役合格者は少ないです(1〜2名は推薦合格、東大受験者などの併願合格も含まれている)。今は景気は人手不足もあり売り手市場ですが低迷するとそれなりの大学を出てないと入り口で厳しくなります。私は第二次ベビーブーマーで大学も中堅以下だったので就活も苦労しました。私の世代は中高年ニートも多い世代です。高校進学以降は、将来に影響が大きいイベントが続きますので相応な対策が本人も必要ですね。
健康的にのびのびと育ってきた当たり前の人間ほど、それまでの自分の経験のみから導かれた世界観から抜け出すのは難しい。それは生まれつき才能が無いという事とは無関係です。
人類は観測事実がそれまでの宗教的世界観では論理的には説明できないことから、科学を生み新しい法則を見つけてきましたし、地動説も相対論も量子力学も、もとは常識を疑う冷徹な論理から生まれた仮説だったのが、今や人類共通の知となりました。哲学だって当たり前とされていることをとことん疑うことから始まったと思います。
それは個人でも同じ事で、おぎゃあと生まれてこの自然豊かな鹿児島の地でのびのびと育った子供が、その様な知性を個人として内在させているはずはないし、最初一人でそれが上手にできないから能力がないなどと言うのはあまりに乱暴な話です。
数学なら自然数から複素数まで、人類が何千年もかけて受け入れてきた歴史を
生徒個人がたどるわけで、そこで強烈な葛藤があったからと言って能力が低いなんてことはまったくありません。オイラーやガウスなら話は別でしょうけど。
豊かな情緒的世界で育ってきた子供達に、その非常な論理の世界への橋渡しをすることが進学校の役割でしょう。
基礎から論理をツールとして膨大な学問の体系が形成されていることを理解する事が最重要です。その事を理解するためにのみ高校での問題演習があると言っていいと思う。
東大入試はまさにそれを測っている。
約40年前の卒業生です。東大合格がゼロだの3人だのという話を聞いて、愕然としました。我々の時代は現役・浪人合わせて、毎年10人超は合格していましたし、九大も50〜70人はコンスタントに合格していました。私は東大文一を失敗し、一浪して九大法学部に行きましたが、今でも少し肩身の狭い思いをしており、今まで一度も同窓会(クラス会も含めて)に出席したことはありません。まあ、そういうことを思うこと(肩身の狭い思い)自体が、当時の鶴丸の悪い雰囲気だったのかなぁ、と思っています。なお、今は某地方都市で弁護士をしており、社会的には「落ちこぼれ」の中には入っていません。