元来、能力の優れた鶴丸生は、浪人させれば何とか難関に合格されています。おそらく受験生の一二浪ぐらいは、という安易な考えが、生徒よりも先生方の方に根付いているんだろうと自分は考えますね。三年限定でのダブルスクールや課外学習との両立を成し遂げ、難関に多数の学生さんを送り出すには、生徒さんのみならず御父兄や先生方にも、持続的な緊張感が必要ですから。
大昔の話ですが、進学校として公立御三家(鶴丸、甲南、中央)と玉龍が競争していた時代、すなわち名門四天王と呼ばれていた時代は、玉龍からも東大や九大医学部に現役で毎年数名合格していた時期がありました。ところが教職員の組合活動の強かった昭和時代、玉龍では早々とゆとり教育が叫ばれ、がり勉する学生を教師たちが揶揄したり苛めるような校風がありまして、その後玉龍は徐々に国立現役進学数を減少させ、現在の六年一貫校が出来るまでは無残に没落していた歴史のあったことは、鹿児島県の負の遺産として脳裏において良いと思います。
優れた歴史と伝統を有する鶴丸校が玉龍の二の舞になるとは思わないし、水面下においては徐々に改革も進んでいるのでしょう。改革の成果を出すには数年から十年くらいの時間もかかると思いますので自分たちも、気長に見守るつもりですが現役合格数の少なさは、やはり異常だと思います。御父兄と名教師たちが力を合わせて、生徒さん方も一時を惜しむほどに熱心に勉学されれば必ず成果は出せると信じております。
鶴丸の再飛翔と復活を心より御悲願申し上げます。
最近ラサール校の、受験ネット掲示板で見かけた文章です。内容が面白かったのでコピ―させていただきました。
うちは長男がラ・サールでお世話になり長女は多分上記のラ・サールに次ぐ進学校と言われている某高校に進学しました。
中学の時の成績ほぼ同程度で大学も同じ学校の同じ学部にすすみました。長女は上で仰ってる方のほぼ言う通りの経緯で1年夏から予備校に通い一浪後進学しています。
週4回予備校に通いましたけど、親はもちろん本人はとても大変でした。平日は16時過ぎに学校が終わり塾に移動、自習室で軽食を取りながら学校と予備校の宿題をこなし18時〜22時予備校の授業。帰宅後入浴食事を済ませ25〜26時まで学校と予備校の宿題、6時起床で登校。
私は仕事中に中座し娘を迎えに行き家に送り届けた後職場に戻ることもしばしば。
長男も学校の宿題には追われていましたけど長女は心配なほどの余裕のなさで追い立てられていました。
金銭的にも大変ですよ、月々の予備校代に加え1年浪人分の
学費+生活費が余計にかかりますし細かく言えば国民年金も1年余計に親が払います。
おそらく二人の兄妹の子供さんをラサール校と鶴丸校から難易度S級の大学に進学させた親御さんの文章と思われますが、ダブル教育で現役進学させることが、経済的にも時間的にもどれほど難しいことか
身に染みるほど良く理解できます。長女さんの、心配なほどの余裕のなさで追い立てられていた、という実感のあるお言葉が、現在の鶴丸校のシステムの遅れの顕著さを物語っていると思うのです。
母校より現役九大卒の自分も、息子を世間で言われるところのS級大学に進学させていますが、大都会の名門進学校は、精神主義よりも目標大学の受験情報の獲得に師弟ともに全力を注ぎ、いっさいの無駄をさせません。高校のカリキュラムと連携する有名予備校の学習内容が、どれほど整合性が取れているか、鹿児島の先生方も一度見学されてみては如何かと思います。
”16時過ぎに学校が終わり塾に移動、自習室で軽食を取りながら学校と予備校の宿題をこなし18時〜22時予備校の授業。帰宅後入浴食事を済ませ25〜26時まで学校と予備校の宿題、6時起床で登校。”
これ見て昔の自分を思い出すと、今の月80時間残業過労死レベルってちゃんちゃらおかしな甘い話ですね
親含め教師は生徒を過労死レベルをはるかに超えるところで鞭打ってる認識を持たなければいけないでしょう。たとえ本人のためになることだとしてもね
救ってあげられる、若しくは報われる筋道をつけてあげてほしいです。