主席ではありませんが、授業中ノートをとらず腕組してじっと聞いているだけですべて頭に入っている人を知っています。高2のトップは高3対象の某ハイレベル
模試で一桁台順位とか。ごく一部だとは思いますが、すごい人は本当にすごいです。
有名な伝説があります。
現在、長崎大学医学部循環器内科で教鞭をとられているM教授(長崎大学病院副院長兼務)は
ラサール時代、六年間首席を通し東大医学部に
現役合格されている英才だったそうです。
(その後ハーバード大学で世界的な研究も仕上ておられるそうです。)
よく人の話を真剣に聞くまじめな性格で少年時代より暇さえあれば本を精読されておられたそうです。紫原の御自宅より毎日バスで通っておられたそうですが、混雑したバスの中でも重い学生鞄を肘関節で持ちながら手には本か学習メモを持参されつぶやきながら勉学されておられたそうです。当時の彼を知る同級生の九大卒の
病院長は(自分も努力に努力を重ねて勉学を続けラサールで十番内にはいたがM君にはどうしても勝てませんでした。自分が96点取っても
2番です。なぜなら彼はすべての試験で満点取得しますからね。)
世の中に確かに天才はいるのだと思いますね。
エンジェル医師が語るM教授とは、前村浩一君
世界的な有名な循環器内科学博士だから実名で書いても問題はないと考える。
前村君と僕はラサールの同期だが、自分がどれほど勉強しても勝てない常に首席の英才だった。彼は先生や友人の話をじっくりと聞き、内容を一度で正確に把握し記憶していた。性格は温厚で、学生時代友人と言い争う姿を一度も見たことはない。クラスは違っても彼は常に級長だったと記憶している。
御両親は学校の先生だがすでに御他界されておられる。
いまは長崎大学で教鞭をとりながら静かに研究を続けておられる。長崎県からはすでに二人のノーベル賞受賞者が出ているが、もし3人目が出るとすれば僕は前村君ではないかと信じている。
前村君はラサールのみならず鹿児島県全体の中高生が模範にできる人格の持ち主だと思う。長崎大学医学部あるいは看護学部に行けば彼の研究や人格に直接触れることができる。
我こそはと思う生徒さんは是非長崎大学医学部へ
進学されたし。(笑)
どうしてこんなすごい方が、東大教授あるいはせめて旧帝大教授にならなかったのか教えてください。
日本の宝でしょ、この人。
お人柄だと思います。
自身には厳しくて、研究はストイックに真実を追究されますが、友人や部下には誰よりも穏やかで優しい先生だそうです。人との競争よりも生徒を優しく育てたり、自分に与えられたお仕事や研究を存分に楽しまれている、、そんなお方のようです。
しかるに東大や九大の先生方からも尊敬されていて旧帝大で、、、というお声はあったようですが、御本人も長崎市を気に入られていて御自宅も市内に購入されておられるようです。
こんなエピソードがあります。お父様が御他界されたときに御近所の方々が香典を包まれますが、それぞれのお返しは香典よりもはるかに高価なものをされておられたそうです。(こんなに素晴らしい返礼をされて、かえってお気遣いさせたかもしれませんね)と御近所の方々は、先生のお人柄らに心から敬意されたようです。
西郷隆盛さんも同じですが、日本の宝になるような人ほど権威や権力に意外に無頓着な方が
多いようですね。(笑)
そんな綺麗にまとめないで
ノーベル賞級の研究をするためには設備も資金も必要、東京からかなり遠い駅弁医学部に移るというのは、研究するなと言われたようなもの。ご本人は苦渋の選択だったでしょうね。こういう方こそ東京に残って研究を続けて欲しかったです
その上、東大医学部は筑駒開成灘出身以外は教授になれないという無駄な慣習
どこかおかしいですね
上記のように言われると前村君は光栄だが、彼に関して言えば少し違うと思う。前村君は少年時代も今も、他人との競争を好む性格ではない。まじめにコツコツ勉学していて、栄達よりも勉学、研究そのものが何より好きで、白い巨塔のように大きな野心を持ちがむしゃらに突き進むタイプでは絶対にないのだ。長崎大学医学部の教授になられたのも秘話がある。東大の講師を務めていた彼には、世界的レベルでの評価も高くすでに複数の研究機関からリーダーとしての引き抜きはあったと言われている。彼が長崎大学に赴任されたのは、実はラサール時代の僕らの先輩で(鶴丸高校の掲示板にも書いていたが)ラサール寮生の
家庭教師をボランティアで務め、僕らもお世話になった鹿児島大学医学部の先生が、その後長崎大学医学部循環器内科の準教授になられていた。その御方が、前村君の破格にレベルの高い学術論文を読まれ、是非に長崎大学医学部に彼を引き抜きたいと献身的な御努力をされ、前村君の引き抜きに成功したというのがラサールの卒業生誰もが認めるホントの話なのだということを御了解いただきたいのである。福岡市で総合病院の院長を務めている自分は、仕事柄彼とお会いすることは時々あり、実は彼の奥様と自分の愚妻が親交のあることからも家族同士で時々お食事をするのであるが、相手の話を終わりまでじっくりと聴き皆を楽しませてくれるお人柄の良さはあの当時と少しも変わらぬお姿に、変化に対応する能力だけが賛美されやすい現代社会のなかでは、名誉の孤高に思えるのである。
富山大循環器科の絹川教授は私の高校時代、
数学の天才として神のような存在でしたよ。高1の頃からほぼ毎月大学への
数学の宿題の最もエレガントな解答に選ばれ、彼の解答が毎回のようにページをまたいで掲載されていました。頭が良いというのは彼のことを言うと思います。
ラサールに天才は一人ではないということですね。(笑)
どうでも良いことなのですが
BJ様。
BJ様が家族同士で時々お食事をするとおっしゃる長崎大学の前村教授のお名前は「浩一」ではなく「浩二」では?
話は少し変わるが情報では東大医学部に落ちるも防衛医大に合格された優秀で真面目な現役生徒さんがおられたとのこと。心から祝福申し上げたい。しかも推薦枠ではなく、センターや一般試験での合格であると伺い、ラサールの質実剛健の精神はいまも強くしなやかに生きつづけているのだということをラサール卒の愚直な先輩医師として感謝申し上げたいと思う。
前村教授や絹川教授、あるいは街医者の小生が
東大や九大に合格したあの頃は、いまほど予備校システムが発達しておらず、わけのわからん推薦入試もなかったので、本人の能力と努力に比例して受かる大学のランキングも決まっていたが、あれから30年以上が過ぎて、いまや国公立大学の推薦入学の割合は約半数に達しようとしている。国立医学部、難関帝大の現役合格を一般入試でめざす現役生にとって、いまほど難関の時代はないのかもしれない。実力主義のラサールにとっても今は受難の時代であると考えている。
このような時代背景にあってラサールの優秀な生徒さん方は二つの道を選ぶのに悩むのかもしれない、あくまで一般入試での難関合格をよしとし、たとえ浪人することになろうとも実力試験で受かろうと死に物狂いになること、もうひとつは、より安直な推薦枠での合格を目差し自分の人生を早く確立しようとすること、、、
今の時代であればどちらの道を選ばれても御本人に選択権はあるのだから何も言わない。だが
個人的な思いとしては、たとえどれほど苦しい道であろうとも推薦を使わずに合格された生徒さんのほうに、より多くの拍手を与えたいと思うのだ。将来、東大医学部が推薦枠を始めた場合には、推薦で東大に合格された生徒さんよりも一般試験で落ちても自治医大や防衛医大に合格された生徒さんをより多く祝福したいと思うだろうね。
小生のようなやぶ医者が言う言葉ではないかも知れぬがかつてのラサールの天才たちで今は
教授職にあられる先生方のお気持ちもおそらく自分に近いものがあるだろうと考えている。
内緒さま、
申し訳ありませんね。そのとおりです。
あしからず。