川女とは




伝統と革新
1世紀にもわたる長い歴史を経て、本校は女子教育の伝統校として幾多の優秀な人材を輩出してきました。今、21世紀を迎えて社会のあらゆる分野で、女性が積極的に進出しています。本校はこの輝かしい伝統を受け継ぎながら21世紀の社会に貢献できる人材の育成を目指して、創意工夫を重ね、真剣に改革に取り組んでいます。


 
自主・自律の精神
教育目標にある「自主・自律の精神」は単なる理念としてあるのではなく、脈々として受け継がれ、本校の伝統となっています。これは、他の人に頼らず「自ら考え、自ら決断し、自ら行う」という意味で、責任を伴う大変重い言葉です。この精神が何事にも積極的で、しかも明るいのびやかな雰囲気を本校に生み出しています。同時にこれは川女生の誇りでもあります。


 
学習と特別活動の両立
言うまでもなく、教科学習や進路指導は大切で、この学校案内のさまざまな項目から本校の充実したシステムや内容が分かると思います。しかし、本校は単に大学の進学実績を誇るのではなく、高校生活を、将来の夢を実現するための修練の場と捉えています。学習と特別活動は車の両輪です。先輩や友人との触れあい、そして切磋琢磨から、皆さんは大切なものを得られるでしょう。


川女の先輩たちの意見を聴いてみました
「川女」の大きな特色は、総合的な人問性を養うと共に生徒一人ひとりの才能の芽を伸ばすところにある。勉強・運動・部活3動・行事・遊びなど常に忙しい毎日の中で、個性豊かな友人と様々な経験をする充実した日々が過ごせる。

そうした中で偏らない人間性や幅広い視野、何事にも積極的に取り組む姿勢、そして経験に基づいた社会に通用する知識を身に付けることが出来る。

それと同時に、この川女の自由の中から自らが『自分』を作り出すことが出来る。絶えず発展しながら受け継がれていく自由で活気のある校風や生徒を第一に考えてくださる先生方に囲まれ、自分の限りない才能を伸ばしていくのである。川女で磨かれた個性は、広い世界の中でも一際輝くだろう。

何をするにも力の限り頑張る川女生。多様な価値観を持つ人々が集まる川女は、自分の人生を豊かにする機会を与えてくれる。川女で得たものは口では表しつくせないが、「川女生で良かった」と心から思う。



  
川女に入った新入生は、まず先輩の圧倒的なパワーに驚かされる。異なった一個の人間同士が真剣に学び、遊び、ぶつかり合い、高め合う、そんなエネルギーに満ち溢れているのだ。この根底にあるものは「お互いの個性を尊重し合う精神」である。そして、先輩の生き生きとした姿を見た後輩もこの精神を共有していく。この伝承の過程が繰り返されて、今の川女がある。

まさに、川女をつくり上げているのは川女生なのだ。一方、そんな川女生にしっかりと対応してくれる環境が川女にはある。オールラウンドなカリキュラムから数々の学校行事や部活4動まで、活動の場は幅広く、自分の適性や居場所が見つけ易い。チャンスを自分のものにする意欲と好奇心があれば、自分の世界は益々広がっていく。この川女で得た、自分の可能性を自ら開拓していく逞しさと、励まし合い刺激し合える友達の存在は、卒業後の今も私を大きく支えている。川女は、今問われている生きる力をごく自然な形で育んでくれる学校なのだと実感する。



川女では、生徒一人一人が強い個性を持ち、その個性をお互いに認め合っている。最近、個性を持ち、自己の意見を表に出すことを恐れる人が多くいる傾向にある。しかし、川女には自分というものを思いきり出せる雰囲気があるように思う。それはなぜなのか。---思いきり出した自分をしっかりと受け止めてくれる仲間がいるからだと私は思う。喜怒哀楽を共にする仲間がそこにあるからだと、時には意見が食い違う事もあるだろう。しかし、私達は真剣にぶつかり合うことによってお互いをひとまわり大きく成長させる。

また、お互いを信じているから思いきりぶつかり合うことができる。このような素晴らしい仲間がいるからこそ、自分というものを信じ、恐れることなく真っ直ぐに進めるのである。川女はこのような生徒達が自分たち自身の力で学校をつくっている。

皆が本気で意見を交わし、川女をより良い学校にしようと協力し合っている。誰かにやらされるわけでもなく、皆自分から行動していくのだ。川女生だからこそできる事だと思う。川女生の強さには本当によく驚かされ、その度にパワーをもらう。私は、そんな川女が大好きだ。ぜひ自分の目でこの個性あふれる川女生のパワーを確かめに来てほしい。川女では、人生において大切な何かをつかむ事ができる。そして濃く充実した高校三年問を送れるはずである。

真に「学ぶ」ということは単なる知識を記憶することではなく、自分の意志でものごとを吸収する、限りなく能動的な行動だと思う。授業のみならず、部活5動、学校行事、友人との何気ない会話に至るまで、川女での一瞬一瞬は、学ぶべきものが詰まっている。

そして学ぶだけに留まらず、それを発揮する場が存分に与えられていること、これが「川女」という環境の特徴であり、ここに私達は学ぶことの喜びを見出すことができる。だからこそ川女生は常に周りから何かを吸収しようと笑顔を輝かせている。

例えば紫苑祭、体育祭をはじめとする様々な行事で生徒達は日々積み重ねてきた知恵を絞り、意見をぶつけ合い、それを越えた理解を通じて、見る側にも自分の中にも感動を巻き起こすような素晴らしいものをつくりあげる。

さらにこれらの学校行事の運営はほとんど生徒に託されている。これは先生方が生徒を信頼し、時に厳しくも温かな眼差しで生徒の活動を見守ってくださり、生徒一人一人が持ち得た自由に伴う責任の重さを自覚し、それを果たして初めて成り立つ。こうした環境の中でこそ川女生の強い意欲と責任感が培われてきたのだと思う。

そしてなにより川女には、私に学ぶことの本当の意味を気付かせてくれた大好きな仲間達がいる。「川女とは?」その答えをひとことで語り尽くすことはできない。その問いについて考えたときに浮かんでくるのは、それぞれが自分というものを持ち、寄りかかるのではなく寄り添って歩んできた仲間達一人一人の顔だけである。しかし、揺るぎない自分をもった一人一人の川女生が全体としての川女をしっかり支えていることだけは確かだ。「川女とは?」その問いに対する自分なりの答えを、ぜひ見つけに来て欲しい。


川女の歴史
本校は明治39年(1906)、旧城下町であり、当時は本県で最大の都市であった川越町に町立川越高等女学校として設立され、明治44年に県立に移管されて埼玉県立川越高等女学校と改称され、現在地に移った。校舎は壮麗なゴシック様式であった。後には寄宿舎も建てられ遠方からの生徒の就学も便利になった。大正5〜14年、四年制の上に補習科を置き、修学者には小学校教員の資格を与えた。大正10年には定員750名、英語は必修となり法律、経済、教育の科目も加えられ、単に良妻賢母の育成にとどまらず、広い視野を持って社会で活躍する女性の育成を目指した。

昭和3年に生徒定員が800名になり、昭和5年には高女(四年制)の上に研究科が置かれた。その後第二次世界大戦終結を経て、昭和23年学制改革(6、3、3、4制)により埼玉県立川越女子高等学校と改称され。昭和34年から校舎改築が始まり、現在の鉄筋コンクリート校舎となった。平成13年には、創立90周年を迎えた。現在卒業生も3万名を越え、その多くが、教育、語学、文芸、芸術、マスコミ、法曹、政治経済、医療、社会福祉など多様な分野で活躍している。

「明治43年の創設以来、本校生徒の通学服装は、和服に海老茶の袴、日和下駄であった。袴の裾の一本の白線が校章とも云えた。当時3校しかなかった県立女学校にとって、そんなものは、不要であったのかも知れない。昭和4年洋服の制服が出来たが、校章はまだなかった。昭和6年9月、生徒大会で校章の制定を学校側に要求、それを受けて、図工担当の金森三重教諭のデザインで、現在の校章の原形が出来た。昭和7年のことである。大きさは今のものの約1.5倍、「文にゆかりの初雁」と入間の川のせせらぎ」を配しただけの素朴な校章は、長く先輩たちに愛され続け、戦後学制改革に当たり、新校章が話題となり、美術担当の大沢寛教諭が、新しいデザインを考えられたが、旧来のものの人気が高く、文字だけを入れかえて、新校章とした。」岡田茂雄 昭和60年3月発行PTA会報「かわじょ」より


沿革
明治39.4.13 川越町立川越高等女学校設置認可
明治39.5.19 川越町立川越高等女学校初代校長に広瀬吉弥任ぜられる。
明治39.6.1 開校式挙行
明治43.1.28 埼玉県立川越高等女学校設置認可
明治44.3.1 川越町立川越高等女学校(明治39年4月創立)校長青木正興本校校長事務取扱を命ぜられる。
明治44.4.5 本校校長事務取扱青木正興本校校長兼教諭に任ぜられる。
明治44.4.8 町立川越高等女学校校舎を仮校舎としてその生徒を引き継ぎ授業を開始する(県立移管)
明治44.4.23 本校校舎一棟現在地に竣工。
明治44.6.1 開校式。この日を開校記念日と定める。
大正元.9.7 本校教諭築根喜一郎本校校長兼教諭に任ぜられる。
大正元.9.30 講堂、音楽室および寄宿舎の一部竣工。
大正 2.4.12 本校学則改正せられ修業年限5か年となる。
大正10.4.19 埼玉県立熊谷中学校教諭岩泉善太郎本校校長兼教諭に補せられる。
大正12.3.12 埼玉県立川越中学校教諭梶原亮静本校校長兼教諭に補せられる。
大正12.4. 生徒定員750名となる。(3学級並行)
大正14.4.1 本校学則改正せられ、修業年限4か年となる。
大正14.4.8 埼玉県立川越中学校教諭金子道啓本校校長兼教諭に補せられる。
昭和 3.4.1 生徒定員800名となる。(4学級並行)
昭和 4.2.8 埼玉県立忍高等女学校逸見宮吉本校校長兼教諭に補せられる。
昭和 4.7.1 雨天体操場竣工。(496?)
昭和12.12.10 本校教諭中村兵八校長事務取扱に命ぜられる。
昭和13.3.31 埼玉県立熊谷中学校岡田嘉一本校校長兼教諭に補せられる。
昭和15.3.31 埼玉県立小川高等女学校校長兼教諭加藤木臥雄本校校長兼教諭に補せられる。
昭和19.5.29 本校教諭藤倉寛三本校校長事務取扱に命ぜられる。
昭和19.6.24 埼玉県立秩父高等女学校校長兼教諭吉村勝敏本校校長兼教諭に補せられる。
昭和20.4. 生徒定員1,000名となる。(5学級並行)
昭和20.4.23 埼玉県立小川高等女学校校長兼教諭山岸諒三本校校長兼教諭に補せられる。
昭和21.4. 生徒定員1,250名となる。(5年制5学級並行)
昭和22.4.1 学校教育法により中学校を併設する。
昭和22.7.11 埼玉県立春日部中学校教諭仲好五郎本校校長に補せられる。
昭和23.4.1 学校教育法により高等学校となり、埼玉県立川越女子高等学校と称する。定員750名となる。(5学級並行)
昭和25.3.31 埼玉県教育局指導室長岡悌二本校校長に補せられる。
昭和25.4.1 定員900名となる。(6学級並行)
昭和26.8.30 校長公舎竣工(73?)
昭和27.4.1 生徒定員1,050名となる。(7学級並行)
昭和28.1.16 運動場拡張(1,608?)
昭和30.11.12 体育館兼講堂竣工(888?)
昭和31.4.1 生徒定員1,200名となる。(8学級並行)
昭和32.1.1 埼玉県教育局指導課長小久保宗平本校校長に補せられる。
昭和34.10.20 校舎増改築第一期工事落成。鉄筋コンクリート四階建、普通教室16教室(1,743?)、渡りろう下(80?)
昭和36.12.13 校舎増改築第二期工事落成。鉄筋コンクリート四階建、普通教室8、特別教室4、準備室4(1,682?)
昭和37.4.1 臨時学級増により生徒定員1,300名となる。(26学級)
昭和38.3.4 校舎増改築第三期工事落成。鉄筋コンクリート四階建、特別教室8、準備室4(1,197?)
昭和38.4.1 臨時学級増により生徒定員1,500名となる。(30学級)
昭和39.1.25 管理棟落成。鉄筋コンクリート三階建、管理関係室、特別教室(1,365?)、渡りろう下(32?)
昭和39.4.1 臨時学級増により生徒定員1,700名となる。(34学級)
昭和39.4.13 教科準備室、渡りろう下竣工。鉄筋コンクリート、鉄骨造二階建(184?)
昭和39.5.25 校門改築竣工および前庭の造園工事完成。
昭和40.4.1 臨時学級増により生徒定員1,800名となる。(36学級)
  埼玉県立上尾高等学校長福岡鶴吉本校校長に補せられる。
昭和41.4.1 生徒定員1,750名(35学級)
昭和42.4.1 生徒定員1,650名(33学級)
昭和43.4.1 生徒定員1,540名(31学級)
昭和43.7.29 図書館竣工。鉄筋コンクリート三階建(1,392.05?)
昭和44.4.1 生徒定員1,422名(29学級)
  埼玉県立豊岡高等学校長飯野辰雄本校校長に補せられる。
昭和45.4.1 生徒定員1,345名(28学級)
昭和46.4.1 生徒定員1,269名(27学級)
  埼玉県立朝霞高等学校長石田正利本校校長に補せられる。
昭和47.4.1 生徒定員1,242名(27学級)開校60周年記念式典(6.1)
昭和48.4.1 生徒定員1,215名(9学級並行の27学級)
昭和48.9.15 プール(50m)竣工。(これに伴い校長公舎廃止)
昭和48.11.16 本校教頭飯島武司校長事務取扱に補せられる。
昭和48.11.20 プール管理棟竣工。
昭和49.1.1 埼玉県教育局指導課長宮下辰夫本校校長に補せられる。
昭和52.4.1 埼玉県立豊岡高等学校長飯島武司本校校長に補せられる。
昭和53.3.27 第2教室棟竣工。
昭和53.4.1 生徒定員1,260名(1年10学級、2・3年9学級)第2教室棟竣工。
昭和54.4.1 埼玉県立川越南高等学校長宮原和夫本校校長に補せられる。生徒定員1,305名(1・2年10学級、3年9学級)
昭和54.10.23 体育館竣工。
昭和55.3.31 正門改築工事竣工。雨天体操場とりこわし
昭和55.4.1 生徒定員1,305名(1・2・3年10学級)
昭和55.12.10 部室棟竣工。
昭和56.6.1 開校70周年記念式典。
昭和57.4.1 教育局指導課長田村説三本校校長に補せられる。
昭和61.3.16 合宿棟竣工。
昭和61.4.1 教育局指導課主任指導主事愛川敬武本校校長に補せられる。生徒定員1,360名(1・2・3年10学級)
昭和62.3.31 特別教室棟(増築)竣工。鉄筋コンクリート三階建(529.5?)管理棟及びホームルーム棟一部模様替(691.8?)
昭和62.4.1 生徒定員1,427名(1年11学級、2・3年10学級)
昭和63.4.1 生徒定員1,505名(1・2年11学級、3年10学級)
平成元.4.1 生徒定員1,573名(1・2・3年11学級)
平成 2.3.26 ブロック塀改修工事(464.2?) 
平成 2.4.1 埼玉県立新座総合技術高等学校長小林洋左本校校長に補せられる。生徒定員1,551名(1・2・3年11学級)
平成 3.4.1 生徒定員1,473名(1年10学級、2・3年11学級)
平成 3.6.4 創立80周年記念式典及び記念関連行事実施(浦和市文化センター)
平成 3.12.18 創立記念事業の一つとしての日本庭園改修、陽春の泉と命名される。
平成 4.4.1 生徒定員1,395名(在籍1,425名、1・2年10学級、3年11学級)
平成 5.4.1 埼玉県立川口北高等学校長宇津木達本校校長に補せられる。生徒定員1,350名(在籍1,378名、1・2・3年10学級)
平成 6.3.15 木造校舎修復工事竣工。
平成 6.4.1 生徒定員1,350名(在籍1,375名、1・2・3年10学級)
平成 7.4.1 生徒定員1,340名(在籍1,360名、1年11学級、2・3年10学級)
平成 8.4.1 熊谷市立女子高等学校長川端純夫本校校長に補せられる。生徒定員1,290名(在籍1,304名、1・3年10学級、2年11学級)
平成 8.9.9 校門改修工事
平成 9.4.1 生徒定員1,240名(在籍1,264名、1・2年10学級、3年11学級)
平成 9.9.12 管理棟耐震工事
平成10.4.1 生徒定員1,200名(在籍1,233名、1・2・3年10学級)
平成10.9. 第二教室棟と図書館棟 耐震等工事
平成11.4.1 生徒定員1,200名(在籍1,215名、1・2・3年10学級)
平成11.6. グウラウンド、テニスコート、バレーボールコート改修工事
平成12.4.1 生徒定員1,200名(在籍1,202名、1・2・3年10学級)
平成13.4.1 埼玉県立所沢高等学校長長沢攻本校校長に補せられる。生徒定員1,200名(在籍1,196名、1・2・3年10学級)
平成13.10.20 創立90周年記念式典及び記念関連行事実施。創立記念事業の一つとして、明治記念館南側庭園整備
平成14.4.1 生徒定員1,160名(在籍1,155名、1年9学級、2・3年10学級)
平成15.4.1 埼玉県立総合教育センター副所長宍戸隆一本校校長に補せられる。生徒定員1,120名(在籍1,117名、1・2年9学級、3年10学級)2学期制に移行
平成16.4.1 生徒定員1,080名(在籍1,080名、1・2・3年9学級)
平成17.4.1 生徒定員1,080名(在籍1,082名、1・2・3年9学級)
平成18.4.1 生徒定員1,040名(在籍1,044名、1年8学級、2・3年9学級)
  文部科学省よりスーパーサイエンス・ハイスクールの指定を受ける。
平成19.4.1 埼玉県立浦和西高等学校長五十嵐正晴本校校長に補せられる。生徒定員1,040名(在籍1,049名、1・3年9学級、2年8学級)
平成20.4.1 生徒定員1,040名(在籍1,053名、1・2年9学級、3年8学級)
平成21.4.1 矢部秀一本校校長に補せられる。
平成23.4.1 永松?典本校校長に補せられる。
       文部科学省よりスーパーサイエンス・ハイスクールの指定が更新される。
平成25.4.1 杉田勝本校校長に補せられる。
平成27.4.1 ?杉雅章本校校長に補せられる。
平成29.4.1 関口恭裕本校校長に補せられる。
  文部科学省よりスーパーサイエンス・ハイスクールの指定を受ける。
平成30.12.26 講堂(旧体育館)新築工事竣工。
平成31.4.1 桑原浩本校校長に補せられる。
令和 2.4.1 生徒定員1,120名(在籍1,117名、1・2年9学級、3年10学級)
令和 3.4.1 生徒定員1,080名(在籍1,078名、1・2・3年9学級)
令和 4.4.1 西野博本校校長に補せられる。
生徒定員1,080名(在籍1,068名、1・2・3年9学級)
文部科学省よりスーパーサイエンス・ハイスクールの指定を受ける。


 歴代校長  

青木 正興 明44.4.5 大 元 9.7
2 築根 喜一郎 大元 9.7 大10.4.19
3 岩泉 善太郎 大10.4.19 大12.3.12
4 梶原 亮静 大12.3.12 大14.4.8
5 金子 道啓 大14.4.8 昭4.2.7
6 逸見 宮吉 昭4.2.8 昭12.12.10
7 岡田 嘉一 昭13.3.31 昭15.3.30
8 加藤木 臥雄 昭15.3.31 昭19.5.28
9 吉村 勝敏 昭19.6.24 昭20.4.23
10 山岸 諒三 昭20.4.23 昭22.7.11
11 中 好五郎 昭22.7.11 昭25.3.31
12 岡 悌二 昭25.3.31 昭31.12.31
13 小久保 宗平 昭32.1.1 昭40.3.31
14 福岡 鶴吉 昭40.4.1 昭44.3.31
15 飯野 辰雄 昭44.4.1 昭46.3.31
16 石田 正利 昭46.4.1 昭48.11.15
17 宮下 辰夫 昭49.1.1 昭52.3.31
18 飯島 武司 昭52.4.1 昭54.3.31
19 宮原 和夫 昭54.3.31 昭57.3.31
20 田村 説三 昭57.4.1 昭61.3.31
21 愛川 敬武 昭61.4.1 平2.3.31
22 小林 洋左 平2.4.1 平5.3.31
23 宇津木 達 平5.4.1 平8.3.31
24 川端 純夫 平8.4.1 平13.3.31
25 長沢 攻 平13.4.1 平15.3.31
26 宍戸 隆一 平15.4.1 平19.3.31
27 五十嵐 正晴 平19.4.1 平21.3.31
28 矢部 秀一 平21.4.1 平23.3.31
29 永松 ?典 平23.4.1 平25.3.31 
30 杉田 勝 平25.4.1 平27.3.31 
31 ?杉 雅章 平27.4.1 平29.3.31 
32 関口 恭裕  平29.4.1  平31.3.31 
33
34
桑原 浩
西野 博
平31.4.1
令4.4.1

令4.3.31