明けましておめでとうございます。校長の鈴木です。年末年始は、いかが過ごしていたのでしょうか。では、年頭にあたり、いくつか話をしますので聞いてください。
本日から第3学期が始まりました。まずは、第2学期の終業式で、年明け、危惧されることとして話した新型コロナウイルス感染症の感染拡大についてです。収束するまでは、実際に影響があることなので、繰り返します。今朝の新聞によると、1月9日付け新規感染者数は、東京都は、15,124人、千葉県7,605人であり、増加傾向です。本校生徒の感染者や濃厚接触者の連絡も増えてきています。第3学期においても、引き続き、日々の健康観察、マスクの着用、三密の回避、手指の消毒、換気など、これまで行ってきた感染防止対策の徹底を心がけ高校生活を送ってください。また、第3学期は2月半と短い学期ですが、年度の締めくくりとして、進級、卒業、進路決定、探究活動の成果発表、卒業式、部活動等、どれも大切なものばかりです。コロナ禍ではありますが、充実した3学期となるよう努めましょう。
次に、これも度々、話をしている交通安全についてですが、冬季休業中、大きな事故等の連絡はありませんでしたが、今後、路面の凍結等にも十分気を付け自転車の安全運転を心がけるようにしてください。
3学年諸君は、兎に角、14日、15日に迫る、大学入学共通テストに向けてこれまで培った智徳体、学力・精神力、体力を十分発揮できるよう十分、体調に留意し、遺漏の無い準備を進めてください。私は諸君の健闘を祈っております。
ところで、私は、冬季休業中に、2001年「キラル触媒による不斉反応の研究」もう少し、嚙み砕いて言えば、分子式は同じでも化学的性質が異なる、いわゆる光学異性体である不斉炭素原子の特性について研究した功績によりノーベル化学賞を受賞し、現在、沖縄科学技術大学院大学科学技術振興機構研究開発戦略センター長をお勤めの野依良治(のよりりょうじ)博士の著書「科学することについて」を読みました。その中で、「科学とは客観的に真理を探究すること」と述べ、我々はどう生きてきたか、これからどう生きなければならないのかという「ひまわり」や「タヒチの女」で知られているフランスの画家ポール・ゴーギャンのボストン美術館所蔵の絵画の問いかけに正面から答えること。つまり、「我々はどこから来たのか。我々は何者か。そして我々はどこに向かうのか」との問いに真剣に誠実に答えることだと野依博士は述べています。
近年、国連の提唱するSDGs(Sustainable Development Goals)が広く言われ、それに向けて様々な分野での活動が始まっておりますが、まさに「我々はどこに向かうのか」持続可能な世界への検討が求められているところであります。
また、国内でも令和3年3月に閣議決定された第6期科学技術基本計画において、Society5.0の実現に向けてカーボンニュートラル、AIや人工知能を推進・振興し、スパコンや量子技術の開発が進められているところでもあります。いずれにせよ、最終判断、最終解答は人間が出さねばならない。換言すれば、知識の蓄積については人工知能が大いに優れているが、そこからSustainableな解答を出すのは人間だということです。
こんなわけでして、話が少々長くなりましたが、これまで人類は、様々な困難に、知恵で何とかしてきました。実数解がなければ虚数解を求め、新しい世界を切り拓き乗り越えてきました。これが人間の特質であります。人が仕組んだ機械やAIにパッションや感性はない。諸君は、いよいよ、解答を出さなくてはならない、そういう世界に飛び込んでいくことになると思われます。
さて、年が明け、外務省が海外メディア向けにBeautiful Harmonyと紹介した「令和」も5年目を迎えました。それでは心新たに新年をスタートさせましょう。 以上
《付記》
パスカルの考える葦である人間という生物は、間違えることがしばしばある。機械は間違えることを知らないし、できない。壊れるか、実行不能と答えるであろう。
ここでパスカルの考える葦については、諸君も十分承知のこととであるが、「パンセ」の記述には、次のようにあります。時に確認してみましょう。
「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼を押しつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一滴の水でも彼を押しつぶすのに十分である。だが、たとえ宇宙全体が彼を押しつぶしても、人間は宇宙より尊いだろう。なぜなら、彼は自分が宇宙全体に簡単にも押しつぶされること、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。でも、そのことを宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。我々は、そこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある。」??パスカル、『パンセ』
つまり、人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙を超える。それは人間に無限の可能性を認めると同時に、一方では無限の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも受け入れている。パスカルが人間をひとくきの葦に例えて著した文章は、哲学的な倫理、道徳について示した次の二つの断章である。そこでは、時間や空間における人間《私》の劣勢に対し、思惟(そして精神)における人間《私》の優勢が強調されている。