湘南高校
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取得日:2024年03月19日
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校長室だより湘南の空 第2号
令和4年1月 11 日
年が明け、3年生は全力を傾け勉強していることと思う。湘南高校で培ってき
た力を信じてほしい。全員が第一志望校に進学することを心より願っている。
異文化理解
生徒の皆さんは、将来何らかの形で世界を変える人物になる。その時に大切
なことは、異文化を背景とする他者を理解し、互いを尊重する関係を築くこと
だ。皆さんは日本で生活し、教育を受け日本の文化や習慣を背景に生きてお
り、世界は皆さんのこのバックグラウンドに価値を見る。
例えば、古文や漢文を読むことは、能動的に学びさえすれば、奥深く、昔の
人と直接つながることができ、この上ない喜びとなる。グローバルに活躍する
人にとって、文化への理解と発信が不可欠で、そうした意味から、早い段階か
ら古文、漢文を本格的に学んでいくべきと考える。私の専門教科は数学だが、
古文や漢文をたくさん読んだことで、新たな視点を得、人生が豊かになったと
実感している。古典を学ぶにあたり、始めは覚えることが多くて大変かもしれ
ないが、乗り越えれば美しい景色が広がっている。
自分の背景である文化を深く理解するからこそ、異文化を背景とする他者を
理解し、受け入れることができ、互いを尊重する関係を築くことができる。
何を今頑張って、何を後で頑張って何を選び取っていくか
昨年の 12 月、
校長
1
室の書棚を整理していたら、小説家辻堂ゆめさん(86
回)のデビュー作「いなくなった私へ」を偶然見つけた。2015 年3月 20 日付
のサイン入りである。当時東京大学4年生だった辻堂さんは「第 13 回『この
ミステリーがすごい!』大賞」優秀賞を受賞して堂々デビューを果たしてい
た。早速読んでみると、規格外の創造力と筆力を駆使して編み上げられた見事
な作品だ。
辻堂さんは本校放送部制作「100 周年記念映像」の中で、湘南高校について
次のように述べている。「たくさんの選択肢が与えられている中で、自分で何
を今頑張って、何を後で頑張って何を選び取っていくかっていうのを自分の頭
で考えてしっかり選べるというところが(湘南高校の)良さだと思います。」
適切に優先順位をつけて行動することは容易ではなく、その人のアイデンテ
ィティそのものと言ってよい。
生徒の皆さんには、高い理念・目標を掲げ、突き進む中で見えてくる課題を
優先してほしい。
究極の目的をどこに据えたらいいかを自分でつかむ
ミッシャ・マイスキー(1948 年)というラトビア(旧ソビエト連邦)出身
の世界的チェリストがいる。1986 年から毎年のように来日し、ある時期、茅ヶ
崎市民文化会館でもリサイタルを開くようになった。客を大切にするアーティ
ストで何度もアンコールに応え、お気に入りの三宅一生デザインの衣装を汗で
濡らす熱演だ。
若くして国際コンクール等で頭角を現していたミッシャ・マイスキーは 1970
年に信じられないような些細な理由で逮捕され、ゴーリキー郊外の強制収容所
で 18 ヶ月間の生活を強いられる。1972 年に国外移住を認められると、渡米を
経て、1973 年、祖国とも言うべきイスラエルに向かう機内で「真っ暗な中に建
物の明かりがたくさん点在している。ああ、なんて幸せな明かりなのだろう。
あの光の中には自由がある。人々の暮らしがある。何物にも束縛されず、何で
も話せ、自由に行動できる生活がある。今、私はその光の中へ舞い降りて行く
のだ。」真摯・謙虚・情熱を兼ね備えたミッシャ・マイスキーらしい思いであ
る。
1974 年、ミッシャ・マイスキーは巨匠グレゴール・ピアティゴルスキーに師
事。「(師ピアティゴルスキーは)さまざまな作品の解釈を勉強していく中で、
究極の目的は何か、ということを明確に頭の中に描かせてくれる。究極の目的
をどこに据えたらいいかを自分でつかむように……。そこへたどり着くのにど
うしたらよいかを考えるのではなく、自分がどこへ行こうとしているのかを見
つけるように導いてくれた。」ミッシャ・マイスキーは「ピアティゴルスキー
の音色に対するこだわり、アプローチ、自然さを大切にするその心を受け継ぐ
よう努力した。」
(ミッシャ・マイスキー「わが真実」伊熊よし子著より)
ミッシャ・マイスキーは、師から多くを学ぶのだが、技術はもちろん、「自
分がどこへ行こうとしているのかを見つけるように導いてくれた」ことが最も
大きかった。これにより、日々の活動に意味を持たせることができたのではな
かろうか。
余談だが、私はミッシャ・マイスキーのファンで、四半世紀前の茅ヶ崎市民
文化会館でのリサイタル後、娘とサインをもらったほどである。