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取得日:2024年03月19日[更新]

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                  校長室だより湘南の空                        第5号
 
                                                     令和4年3月 24 日
 
 
   今年度、生徒の皆さんは、コロナ禍にもかかわらず、勉強、行事、部活動
 等、やりたいことに全力を尽くしたことと思う。皆さんに敬意を表すととも
 に、今後の挑戦を楽しみにしている。
 
 
   とことんのめり込もう
   今年度、湘南から 20 名が東京大学1合格1を果たした。とかく注目を集める
 東京大学2の総長について紹介しよう。
   令和3年4月に東京大学3総長に就任した藤井輝夫さんは、昔から海に対する
 憧れが強く、海への好奇心が研究の入口となり、専攻は応用マイクロ流体シス
 テムで、東京大学4生産技術研究所に所属している。藤井さんについて「とこと
 んのめり込もう」という記事が令和3年6月7日の日本経済新聞に掲載され
 た。
   藤井さんの母校の麻布高校は自由な校風で知られるが、藤井さんの自由度は
 突出していたという。「中学時代、英国のロックバンド、クイーンに憧れ、ギ
 ターを手にした。高校では麻布ミュージックハウスというバンドサークルの部
 長。学園祭はもちろん、新宿や渋谷のルイードという有名なライブハウスでも
 演奏した。水泳部の主将も務めていたから、忙しかった。」
   いかにも湘南高校にいそうな人物である。「浪人し、大学5時代も成績は低空
 飛行だった。それでもトップに上り詰めたのは、興味のあることを見つけ、と
 ことんのめり込む姿勢を貫いてきたためだ。」
   さて、令和3年6月6日に亡くなったノーベル化学賞受賞者である根岸英一
 先生(28 回)は、平成 24 年度東京大学6学部入学式の祝辞の中で「まず好きな
 ことを見つけてとことんやってみる」ことの大切さを話した。湘南生に受け継
 がれている根岸先生の精神は、藤井さんの理念にも通じるのではなかろうか。
   藤井総長は、東京大学7が目指すべき理念や方向性をめぐる基本方針として
 「多様性の海へ:対話が創造する未来(Into a Sea of Diversity: Creating
 the Future through Dialogue)」を掲げ、東京大学8という巨大な船で地球の未
 来に向かって航行している。
   https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/about/president/utokyo-compass.html
 
 
   小網代の森
   私は三浦半島の先端にある三浦市小網代湾を外洋ヨットレースの拠点として
 いる。小網代の森は、この湾に面した約 70ha の森である。森の中央にある谷に
 沿って流れる「浦の川」の集水域として、森林、湿地、干潟及び海までが連続し
 て残されている、関東地方で唯一の自然環境と言われている。ホタルがシーズン
 になると一晩で 1000 匹も乱舞し、夏の新月と満月の夕刻、メスのアカテガニは
 海岸に降りてきて、お腹に抱えた卵を海中でぶるぶる震わせ、卵から飛び出た子
 どもを海に放つ。また水色の顔をした数千匹の小さなチゴガニのオスがいっせ
 いにハサミを上げ下げし、メスを呼び寄せる。
   「なにが『オンリーワン』なのか?    小網代の森は、ひとつの『流域』が源
 流から河口まで、まるごと自然のまま守られている、という事実が、オンリーワ
 ンなのです。」
             『奇跡の自然』の守りかた──三浦半島・小網代の谷から ちくま
 プリマー新書 岸由二, 柳瀬博一著
   小網代の森の歴史を簡単にたどる。
 
 
 1960 年代前半まで 里山(棚田、薪炭林)。その後 20 年ほど手付かずの自然。
 1970 年 三浦都市計画において市街化区域となる。
 1980 年代前半 大規模なリゾート開発計画。
 1990 年 現在の NPO 法人小網代野外活動調整会議の前身となった市民団体が発
          足。(以降現在に至るまで、アカテガニの観察会や外来植物の駆除な
          どの保全活動が行われている。)
 1997 年 神奈川県が「かながわトラストみどり基金」を用いて、緑地の買収
          を開始。
 2010 年 県が、保全のために必要な用地確保を完了
 2014 年 県、三浦市、公益財団法人かながわトラストみどり財団、NPO 法人小
        網代野外活動調整会議が、環境保全活動に関する覚書を締結、京浜急行
        電鉄株式会社の協力により、散策路の一部等が整備され、県へ寄附され
        一般開放を開始する。
 
 
   著者は、1970 年に市街化区域となったが、その後に大規模なリゾート開発が
 計画されたことにより、宅地開発が止まったと言っている。そして、開発に反
 対するのではなく、バブル期のゴルフ会員権の高騰を見込んだ開発ではなく、
 長期的な利益・地域貢献を重視し「オンリーワン」の小網代の森をエコリゾー
 トとして総合開発しようと新しい計画を作成した。
   私は、小網代湾から奇跡のような原生林と湿地を眺めるたび、地球に生かさ
 れているという感覚を確かめる。これからは「小網代の森」が象徴するよう
 に、多様性を尊重し、持続可能な世界を目指す時代だ。思いやりを、周りの人
 や自然環境に向けていきたい。
   https://www.pref.kanagawa.jp/docs/d2t/kankyo/p820028.html