ここ修猷館には、修猷でしか味わえない、修猷特有の「文化」というものが数多く存在する。 きっと、そのどれを取っても、考え方、感じ方は一人一人異なっているだろう。 それで良い、いや、それが良い。 修猷生一人一人がこれまで、何を思い、何を感じたか、その全てがこの大文化祭4に詰まっている。 当日までに込めたその想いを、余す事なく、大文化祭5の二日間で他者に伝えてほしい。 これこそが、スローガン「想伝」に込めた自分自身の想いだ。 「77回かけて“相伝”されてきたこの行事に、現在の生徒の“心“を加える。」 先輩方が歩んだこの道に、時代と共に常に変化してきたその道に、自分達だけの、全く新しい足跡を加える。 それが出来れば、きっと、この掛け替えの無い二日間が終わる頃には、第78回修猷大文化祭6は歴代最高で、唯一無二のものに成っているだろう。 そうなることを確信している。 そして最後に、この言葉だけは忘れないでほしい。 「込めた想いは必ず伝わる。」 修猷生全員でこの第78回修猷大文化祭7を成功させよう。
ちょうどこの巻頭言の締め切り間際に、各クラスで作成した展示部門の企画書が手元に届いた。 理科系あり、日本や世界の古典系あり、地域密着系、インターナショナル系、ゲーム、劇、いろんな発想の展示が企画されていて、見ていて楽しい。 それぞれが企画を立て、実現に向け予算を決め、担当者を決め、工程を考え、人手を頼み、期限内の完成を目指す。 ある意味現実社会での仕事に通じている。お金と時間を掛ければ良いものができるのは当然だろう。 でも大文化祭8の予算と時間は限られている。しかし人手は考えようによっては潤沢である。 そのような状態で、どう工夫し、協力し、本番にどう完成しているか。 生徒諸君の手腕が試されている。
「大文化祭9の成功とはどうあるべきか。」この問いについて共に考えていただきたいと思います。 私はこの問いかけをできること自体が、大文化祭10の素晴らしさだと思っています。 勉強でやる問いには、大抵正解があります。大文化祭とともに二大行事といわれる大運動会にもある一定の型があります。 しかし、大文化祭でやることは、それぞれの年、またそれぞれの個人によって異なり、こうあるべきという正解がありません。 そのなかで、自分なりの正解像を思い描きながらの企画から、当日に至るまでの経験は、私たちにとって貴重なものであるのは間違いないでしょう。 修猷生、この機会を共に全力で楽しみましょう。 来場者の皆様、私たちなりの修猷大文化祭をどうぞお楽しみください。 最後になりますが、大文化祭の伝統を繫いでこられた先輩方、またこの大文化祭に関わってくださった全ての皆様に心より感謝申し上げ、総務の巻頭言とさせていただきます。