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青森北高校のWiki
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基本情報
Infobox 日本の学校
校名:青森県立青森北高等学校今別校舎
過去校名:青森県立青森工業高等学校今別分校
青森県立今別高等学校
国公私立:公立学校
設置者:青森県
校訓:自治・協和・日進
設立年月日:1948年8月1日
閉校年月日:2022年3月31日
共学・別学:男女共学
本校:青森県立青森北高等学校
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
郵便番号:030-1502
所在地:青森県東津軽郡今別町大字今別字西田258
緯度度:41 緯度分:10 緯度秒:45.5
経度度:140 経度分:28 経度秒:16.1
公式サイト

'''青森県立青森北高等学校今別校舎'''(あおもりけんりつ あおもりきたこうとうがっこういまべつこうしゃ)は、青森県東津軽郡今別町大字今別字西田にあった県立高等学校。

2007年に青森県立青森北高等学校の分校(青森県では県が設置者の場合、分校を「校舎」と呼称している)となった。

沿革


・1948年(昭和23年)8月1日 - '''青森県立青森工業高等学校'''今別分校として開校。当時は定時制課程(夜間)。
・1952年(昭和27年)10月1日 - 独立認可される。'''青森県今別高等学校'''になる。独立は認可されたが、当時は県立高校ではなかった。
・1957年(昭和32年)3月21日 - 県に移管認可され、青森県立今別高等学校となる。定時制課程の独立校であった。
・1962年(昭和37年) - 全日制課程が設置され、定時制課程は併置となった。
・1975年(昭和50年)3月 - 定時制課程閉講。
・2003年(平成15年)4月1日 - 2学期制を導入。
・2007年(平成19年)4月1日 - 青森北高校の分校となる。
・2013年(平成25年)4月1日 - 3学期制を導入。
・2021年(令和3年)11月6日 - 閉校式挙行。
・2022年(令和4年)
 3月2日 - 最後の卒業式挙行。最後の卒業生は10名だった。
 3月31日 - 閉校。

所在地


・青森県東津軽郡今別町大字今別字西田258

アクセス


・ JR津軽線津軽浜名駅より徒歩2分

外部リンク


青森県立青森北高等学校今別校舎

Infobox 日本の学校
校名:青森県立青森北高等学校
過去校名:青森市立第一中学校
青森市立第一高等学校
国公私立:公立学校
設置者:青森県
校訓:自治・協和・日進
設立年月日:1941年(昭和16年)
共学・別学:男女共学
分校:今別校舎
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
スポーツ科学科
学期:3学期制
高校コード:02104A
郵便番号:038-0058
所在地:青森県青森市大字羽白字富田80番7号
緯度度:40 緯度分:51 緯度秒:0.5
経度度:140 経度分:41 経度秒:19.8


'''青森県立青森北高等学校'''(あおもりけんりつ あおもりきたこうとうがっこう, Aomori Prefectural Aomorikita High School)は、青森県青森市大字羽白字富田にある全日制の県立高等学校。通称「北高(きたこう)」。

概要


歴史
1941年(昭和16年)創立の青森市立第一中学校(旧制中学校)を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革により新制高等学校となった。現校名になったのは1969年(昭和44年)。長く男子校であったが、1984年(昭和59年)4月より男女共学を開始。また2000年(平成12年)にスポーツ科学科を新設し、現在に至る。2011年(平成23年)に創立70周年を迎えた。

設置課程・学科
全日制課程 2学科
・普通科
・スポーツ科学科

校訓
「自治・協和・日進 」

校章
「高」の文字を「北」の文字で左右からはさんだデザインとなっている。

校歌
作詞は斉藤真一、作曲は小野政一による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「北高」が登場する。

分校
今別校舎(全日制課程 普通科)- 〒030-1502 青森県東津軽郡今別町大字今別字西田258

沿革


旧制中学校時代
・1941年(昭和16年)
 3月18日 - 文部省により「'''青森市立第一中学校'''」の設立が認可される。
 ・尋常小学校(国民学校初等科)を卒業した12歳以上の男子を入学資格とする。
 ・修業年限を5年(現在の中1から高2)、定員を500名(1学年あたり100名)とする。
 3月20日 - 青森市浦町字橋本に仮校舎を設置し、第1学年生徒100名の募集を開始。
 4月1日 - 初代校長に神精一が任命される。
 4月3日 - 第1回入学式を挙行。106名が入学。
 4月25日 - 開校記念式典を挙行。
・1942年(昭和17年)
 1月2日 - 校旗を制定。
 2月16日 - 生徒定員を750名に増員。
 11月23日 - 新校舎が完成。
・1943年(昭和18年)
 2月24日 - 生徒定員を1000名に増員。
 4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
・1944年(昭和19年)- 勤労動員が開始。
・1945年(昭和20年)
 3月28日 - 動員先の神奈川県において第1回卒業式を挙行。97名が卒業。
 ・本来、1941年(昭和16年)入学生は中等教育令が施行される前に入学したため修業年限は5年、1946年(昭和21年)3月卒業予定であったが、教育ニ関スル戦時非常措置方策により修業年限4年が前倒しで施行されることとなった。
 4月1日 - 学校での授業が停止される。ただし勤労動員は継続される。
 7月28日 - 青森大空襲により青森市の大部分が焦土と化す中、校舎が無事残る。
 8月 - 終戦。
 9月 - 授業を再開。
・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年となる(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
 旧制中学校の募集を停止。
 新制中学校を併設し(以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
 併設中学校は経過措置としてあくまで暫定的に設置されたため、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 旧制中学校の3・4年修了者はそのまま在籍し、4・5年生となった(ただし4年修了時点で卒業することもできた)。
新制高等学校
・1948年(昭和23年)
 4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校が廃止され、新制高等学校「'''青森市立第一高等学校'''」(男子校)が発足。
 ・通常制普通課程を設置。修業年限を3年とする。
 ・旧制中学校卒業者(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業者(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
 ・併設中学校を継承し(名称:青森市立第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
 4月15日 - 新制高等学校開校式を挙行。定員を600名とする。
・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止。
・1956年(昭和31年)10月 - 同窓会より校旗が寄贈される。
・1961年(昭和36年)9月18日 - 創立20周年を記念して一高会館が完成。
・1962年(昭和37年)8月12日 - 第44回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。
・1963年(昭和38年)4月1日 - 通常制普通課程を全日制課程普通科に改称。
・1965年(昭和40年)
 9月30日 - PTAの寄付により、青森市陸上競技場スポーツハウスが完成。
 10月29日 - 新管理棟が完成。
・1969年(昭和44年)4月1日 - 青森県に移管され「'''青森県立青森北高等学校'''」(現校名)に改称。
・1970年(昭和45年)3月7日 - 新校歌・新校章・新校旗を制定。
・1972年(昭和47年)9月9日 - 生徒会館「青雲会館」が完成。財団法人青森県立青森北高等学校奨学会が設立される。
・1977年(昭和52年)9月3日 - 生徒会部室「とねりこ会館」が完成。
・1978年(昭和53年)8月10日 - 第60回全国高等学校野球選手権大会(夏)に2度目の出場。
・1982年(昭和57年)6月15日 - 青森市大字羽白字富田80番7において新校舎の建設が開始。
・1983年(昭和58年)3月29日 - 第55回選抜高等学校野球大会(春のセンバツ甲子園)に初出場。
・1984年(昭和59年)
 4月1日 - '''男女共学'''を開始。
 4月6日 - 326名が入学。そのうち女子生徒は90名。
 6月5日 - 新校舎(管理棟・第二体育館)が完成。
 7月3日 - 陸上競技場・野球場・球技場・テニスコート等が完成。
・1985年(昭和60年)
 1月21日 - 生徒会館室「朋友会館」が完成。
 4月1日 - 65分授業を開始。
・1986年(昭和61年)7月21日 - 生徒会館「習北会館」が完成。
・1989年(平成元年)3月30日 - 相撲道場が完成。
・1991年(平成3年)10月12日 - 創立50周年記念式典を挙行。野球場の整備、大型バスの購入等が行われた。
・1993年(平成5年)4月1日 - 大学進学率向上対策事業指定校となる。
・1996年(平成8年)4月1日 - 男女別枠の定員が撤廃となる。
・1998年(平成10年)
 1月1日 - 第77回全国高等学校ラグビーフットボール大会に初出場。 
 3月26日 - 柔剣道場「日進館」が完成。
 4月3日 - 第1学年普通科の入学者で初めて女子が男子の数を上回る。
・2000年(平成12年)4月1日 - '''スポーツ科学科'''(1学級)を新設。
・2001年(平成13年)
 3月30日 - トレーニング場が完成。
 9月15日 - ラグビー場が完成。
・2007年(平成19年)4月1日 - 青森県立今別高等学校を統合し、今別校舎(分校)とする。
・2019年4月1日 - 今別校舎(分校)の募集を最後に停止。
・2022年3月31日 - 今別校舎(分校)の閉校予定。

部活動


ラグビー部は全国高等学校ラグビーフットボール大会の強豪として知られ、1998年の第77回大会1回戦(対坂出工高)では122対0の大会史上最多得点を記録している。また2003年には大阪工大高に敗れたものの、県勢初の8強まで進んでいる。

著名な出身者


・細川亨 - 元プロ野球選手(埼玉西武ライオンズ→福岡ソフトバンクホークス→東北楽天ゴールデンイーグルス→千葉ロッテマリーンズ)、監督(火の国サラマンダーズ)、現コーチ(ロキテクノ富山)
・内山千早 - 青森放送ラジオパーソナリティ・タレント
・SONOMI - 歌手
・赤平勇人 - ラグビー選手(ホンダヒート)
・斉藤芳 - 元ラグビー選手(釜石シーウェイブス→秋田ノーザンブレッツラグビーフットボールクラブ)
・佐藤弘樹 - ラグビー選手(三菱重工相模原ダイナボアーズ)
・鶴谷知憲 - ラグビー選手(NTTコミュニケーションズシャイニングアークス)
・鶴谷昌隆 - ラグビー選手(三菱重工相模原ダイナボアーズ)
・藤田貴大 - ラグビー選手(東芝ブレイブルーパス)
・藤田哲啓 - ラグビー選手(日野自動車レッドドルフィンズ)
・成田泰崇 - 柔道選手
・畑山綾乃 - 元岩手朝日テレビアナウンサー
・佐川遼 - プロボクサー(三迫ボクシングジム)

交通アクセス


・ JR東日本 津軽線 「油川駅」より徒歩13分

外部リンク



・ 青森県立青森北高等学校


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