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獨協高校のWiki
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基本情報
date:2020-08
Infobox 日本の学校
校名:獨協中学校・高等学校
国公私立:私立学校
設置者:学校法人獨協学園
設立年月日:1883年
共学・別学:男子校
中高一貫教育:完全一貫制
課程:全日制課程
設置学科:普通科
学期:3学期制
高校コード:13579J
郵便番号:112-0014
所在地:東京都文京区関口三丁目8番1号
緯度度:35緯度分:42緯度秒:49.2
経度度:139経度分:43経度秒:38.3
公式サイト:獨協中学・高等学校

'''獨協中学校・高等学校'''(どっきょうちゅうがっこう・こうとうがっこうDokkyo Junior & Senior High School)は、東京都文京区関口三丁目に所在する私立男子中学校・高等学校。学校法人獨協学園が運営する完全中高一貫校である。最寄り駅は、東京メトロ有楽町線の護国寺駅、江戸川橋駅である。

概要


学校法人獨協学園
明治時代に設立されていた獨逸学協会学校を母体に1883年(明治16年)設立される(初代校長は西周)。わが国有数の歴史を誇る学校である。近代日本の医学はドイツを手本としており、そのため今日まで数多くの優秀な医学の徒を輩出しており、また系列校に医科大学を持つことから、設立時から現在に至るまで医学部系の進学率が比較的高い。さらに、一時は落ち込んでいた医学部への進学者も右肩上がりで急速な成長を遂げている。その影響か、近年では合格実績の伸びと共に獨協中学校の偏差値も右肩上がりで伸びており、2021年度には灘中学校やラ・サール中学校等を抑えて過去問出庫率一位に輝くなど、怒涛の人気を見せている。

開校当時からドイツ語を中心に教育を進めてきたため、明治から大正にかけて、獨逸学協会学校→第一高等学校(三部、医科)→東京帝国大学(医科)の順に進学するのがエリートコースの一つであった。しかし、第一次世界大戦でドイツが敗れると、ドイツ語を学ぶ生徒が激減し、昭和初期には経営環境が非常に厳しくなった。日独伊三国同盟成立の影響で、若干の人気回復を果たすが、第二次世界大戦後は廃校の危機に直面した。GHQに対しては、獨協とは「獨逸学協会」の略ではなく「獨立協和」の略であると、苦しい弁明をしたほどであった。その危機を救ったのは第13代校長で同校OBである天野貞祐であった。

中高一貫制の教育区分は、中学校の第1学年および第2学年の前期2年間を「第1ブロック」、中学校第3学年および高等学校第1学年の中期2年間を「第2ブロック」、高等学校の第2学年および第3学年の後期2年間を「第3ブロック」に区分する「2-2-2制」を採用している。

教育方針は、

「心構えは正しく、身体は健康、知性に照らされた善意志と豊かな情操とを持つ、気品のある人間の育成を目指す。」

これが為には、すべての生徒に、それぞれ人間としての自信と矜持(誇り)とを抱かしめ、各自の天分を開発し、その長所を培養する。他日社会に出ては、日日の生活に感謝と喜びとを見出し、勤勉努力して社会に奉仕し、広く文化の創造に寄与する人間となることを期待するわけである。教育愛こそ本学園の情熱であり、人間教育こそ本学園の精神である。

加盟しており、ドイツ政府の定めているプログラム参加生もいるが、後者も毎年いるわけではない。

獨協学園同窓会ドクターズクラブ(DDC)

獨協高校は130余年の歴史のなか多くの医家を輩出し、彼らは各地で医療・保健・福祉の分野に務めている。それら医師となった卒業生は近年の名簿を紐解くだけでも実に1200名以上にのぼり、出身大学は54校に及ぶ。そして、これらのスケールメリットを生かすべく、獨協同窓会ドクターズクラブ(DDC)が2000(平成12)年に発足。
また、発足時から毎年2月にはそれぞれの当番大学同窓会が責任を持って学術会議を開催しており、毎回の幹事、座長、演者は無論、全員が獨協高校出身者であり、世代や出身大学、診療科目を超越したユニークな研究会として、その存在が医学界で注目されている。

系列校・施設

・ 学校法人獨協学園
  獨協大学
 ・ 獨協埼玉中学校・高等学校
  獨協医科大学
 ・ 獨協医科大学病院
 ・ 獨協医科大学埼玉医療センター
 ・ 獨協医科大学附属日光医療センター
 ・ 獨協医科大学附属看護専門学校
 ・ 獨協医科大学附属看護専門学校三郷校
 ・ 東横INNホスピタルイン獨協医科大学(提携)
  姫路獨協大学
  海の家

年表


・ 1876年 - 北白川宮能久親王を念頭に、ドイツ長期留学者の品川彌二郎、青木周蔵、桂太郎等の人物により独逸同学会発足。
・ 1881年 - ドイツ文化を摂取し、わが国文教の興隆を図る目的のもと、西周、桂太郎、加藤弘之等の人物により独逸学協会設立。
・ 1883年 - 獨逸学協会学校創立。初代校長に西周就任。
・ 1884年 - 専修科(法律・政治専攻)および普通科を併設。
・ 1893年 - 普通科を獨逸学協会学校中等部に改称。
・ 1894年 - 『独逸文法教科書』初版発行。
・ 1895年 - 専修科が東京帝国大学法科へ移管され廃止となる。
・ 1901年 - 夜間の出火が原因で校舎及び書庫を消失。
・ 1902年 - 小石川関口台に新校舎竣工。
・ 1905年 - シラー(フリードリヒ・フォン・シラー)没後百年祭
・ 1914年 - 第一次世界大戦でドイツが「敵国」となった影響で生徒数が減少。
・ 1926年 - ドイツ政府よりドイツ人教師費用として、毎年一万マルク寄贈の旨が伝達される。
・ 1937年 - 獨逸学協会中学校へ改称。
・ 1938年 - 来日中のヒトラー・ユーゲント代表が来校。
・ 1940年 - 欧州におけるナチスドイツの「興隆」や、マスコミにおけるアングロ・サクソン文明への批判の高揚、日中戦争の拡大などの「時局」柄か、ドイツ語を志望する者極めて多くなった。200名の定員に対し、入学志願者1,360名に達した。(昭和9年度の入学者148、11年158、12年256名)。
・ 1943年 - 学制「大改革」が公布され、中学校の修業年限が4年に短縮、上級生徒はいずれも軍事目的に学徒動員される。
・ 1944年 - 中学4,5年生徒に長期勤労動員令が下り、以後全学年の学業停止。都内北部の陸軍兵器補給厰や民間軍需工場に動員され、銃後の勤労に全力を投入した。個人で少年航空兵などに応募し、帰らぬ獨協生が幾人も出た。
・ 1945年(5/25) - 翌26日未明にかけて山手一帯が米空軍の大空襲を蒙る。交代夜勤中の教職員と当直の生徒一隊は迫りくる猛火の消化に努め、ついに校舎および附属図書館等を灰滅から守る。このころ目白台は要塞化、獨協には海軍部隊が駐屯。
・ 1945年(8/15)-「終戦」の詔勅。下級生は炎暑の校庭で、上級生は動員先で聴く。家を焼かれ、父や母を失い、就学継続が不可能になった獨協生も多かった。
・ 1947年 - ドイツ第三帝国と大日本帝國の敗北によって廃校の危機を迎えた獨逸学協会学校は「独立協和」の意味として「独協」表記とし、校名を独協学園とする。
・ 1948年 - 新制独協中学校・高等学校が発足。
・ 1952年 - 天野貞祐、獨協中学校・高等学校第13代校長に就任。
・ 1953年 - OB等の要望で、校名を獨逸学協会の獨協学園に復する。
・ 1997年 - 中高一貫制を開始。
・ 1998年 - 新校舎が完成。
・ 2000年 - 1997年入学生が高校1年に進級と同時に、高校からの募集を停止し完全中高一貫校化。
・ 2002年 - 高校からの入学生が卒業し、全生徒が中高一貫教育での募集となる。
・ 2008年 - 入試実施日を計2日から計3日へ変更。
・ 2014年 - 入試募集人員を210名から200名へ見直し。
・ 2016年 - 第三回入試の日程を2月5日から2月4日へ変更。
・ 2019年 - 新中1を5クラスから6クラス編成へ変更。
・ 2020年2月26日 - 翌年より国数2教科による2月1日の午後入試を新設することを発表。

施設


校舎は教室が設置されている『本校舎』と、小道を挟んだ向かい側にあるスポーツ設備を備えた『獨協学園 100周年記念体育館』の2つに分かれている。

現在の本校舎は地上5階、地下1階建、モダンな構造で1998年(平成10年)に落成した。設計コンセプトは、『光と、風と、緑の創造空間』で、オーディオテクニカ本社などのデザインを手がけた赤坂喜顕が設計。日本建築学会作品選奨に選定された。

校舎は部室棟とともに中庭グラウンドを囲む形で建てられており、。



100周年記念体育館は1983年(昭和58年)に落成。date:2020-08敷地が急坂に面しているという独特の地形を活かし、土地の有効活用という面から体育館は地下に設置されており、体育館屋上部分が運動場となっている。体育館内には、アーチェリー場、トレーニングルーム、柔道場、シャワールームなどが設置されている。(シャワールームは現在閉鎖中)また周囲にドライエリア・天窓を設置し、要出典範囲。



大学進学状況


医療関係者の子息の割合が高い影響で医歯薬系の学部への進学率が高い。また、近年の医学部の人気上昇や難易度が上がり競争が激化した影響もあり浪人をしてでも医学部への進学を希望する生徒が多い。その為、獨協大学・獨協医科大学への推薦枠があるが、獨協医科大学への進学を希望する生徒が多く年々増加している。2023年度時点で、11人が獨協医科大学医学部医学科に推薦入試を利用して進学した。また、他難関大学進学希望者が内部進学希望者より多く、進学校の要素が強い。ただし、近年は現役志向も相まって獨協大学への進学を希望する生徒も増加している。
しかしながら、前述(概要を参照)した通り近年の獨協中学校の人気上昇や難化の影響で学校全体の空気がここ数年で急激に変化を遂げている為、今後の伸び代は計り知れない。

獨協医科大学への推薦入試合格者数一覧

本学1学年(約190名中)獨協医科大学への合格者数一覧※()内は受験者数
:推薦進学者数
:【2014】4(4) →【2015】3(3) →【2016】5(5) →【2017】0 → 【2018】2(5) → 【2019】0 → 【2020】3(4) → 【2021】4(5) → 【2022】6(6) → 【2023】11(12)


獨協高校HP2021年大学合格実績より2021/5/3閲覧
。21年度の一般入試の合格先として、獨協大学は日本大学、明治大学、東京農業大学、東京理科大学、中央大学、法政大学に次いで7番目に多い。
本学1学年(約190名中)獨協大学への合格者数
:一般入試合格者数 8(2017)→5(2018)→16(2019)→13(2020)→20(2021)
:併設校推薦進学者数 1(2017)→4(2018)→6(2019)→6(2020)→14(2021)。
獨協医科大学への一般入試合格者数も、21年度の医学部医学科合格先としては最も多く、推薦枠の利用も増加傾向である。他に医療系大学への推薦枠としては21年現在、東京理科大学薬学部、東京薬科大学、北里大学医学部、聖マリアンナ医科大学 などがある。

部活動


2023年の時点で29の部活、5個の同好会がある。同好会は同学年有志が創ることが多く、数年で廃部や自然消滅となることが多い(数学同好会や英語同好会など)。また、部活に入らない生徒の増加・低学年化が進み、廃部になったり(PC部)、廃部の危機に瀕している部活(天文部など)も少なくない。学校の管理上、部活動を中学と高校で分けているのはサッカー部と野球部のみだが、部活動によっては中学と高校で異なる活動をしていることもある。
・ 天文部
・ 生物部
・ 化学部
・ 美術部
・ 理工学研究部
・ 歴史研究部
・ 演劇部
・ 軽音楽部
・ 吹奏楽部
・ 鉄道研究部
・ 英語ディベート部
・ 思考ゲーム同好会
・ ドイツ語同好会
・ 模型同好会
・ 奇術部
・ 緑のネットワーク委員会
・ 陸上部
・ アーチェリー部
・ 剣道部
・ 中学サッカー部
・ 高校サッカー部
・ 中学野球部
・ 高校野球部
・ 柔道部
・ 水泳部 - 校舎にプール施設はないため、部活動の際は校外に出る。
・ スキー部
・ 硬式テニス部
・ ソフトテニス部
・ 卓球部
・ バスケットボール部
・ バレーボール部
・ ハンドボール部
・ ラグビー部
・ ワンダーフォーゲル部

交通アクセス


・ 東京メトロ
  東京メトロ有楽町線 護国寺駅 下車(出口6)徒歩約8分 
  東京メトロ有楽町線 江戸川橋駅下車(出口1a) 徒歩約10分 
  東京メトロ副都心線 雑司が谷駅 (出口3)徒歩約16分
・ 都営バス
  白61系統(練馬車庫〜新宿駅西口)をJR目白駅前より利用「ホテル椿山荘東京前」下車、徒歩約1分※副都心線雑司が谷駅(停留所「鬼子母神前」)からもご利用できます。
  上58系統(早稲田〜動坂下〜上野広小路)を利用「音羽一丁目」下車、徒歩約5分
  飯64系統(小滝橋車庫前〜高田馬場駅前〜飯田橋駅前〜九段下)、上69系統(小滝橋車庫前〜高田馬場駅前〜上野公園)を利用 「江戸川橋」下車、徒歩約8分

学校関係者及び関連団体


総裁

北白川宮能久親王

歴代校長

・ 初代 - 西周(1883年10月 - 1887年4月)
・ 2代 - 桂太郎(1887年4月 - 1890年7月)
・ 3代 - 加藤弘之(1890年7月 - 1903年9月)
・ 4代 - 大村仁太郎(1903年9月 - 1907年6月)
・ 5代 - 石川千代松(1907年6月 - 1907年7月)
・ 6代 - 長井長義(1907年7月 - 1920年7月)
・ 7代 - 金杉英五郎(1920年7月 - 1927年10月)
・ 8代 - 司馬亨太郎(1929年5月 - 1936年2月)
・ 9代 - 小山松吉(1936年3月 - 1946年1月)
・ 10代 - 吉岡正明(1946年1月 - 1951年12月)
・ 11代 - 額田豊(1951年12月 - 1952年5月)
・ 12代 - 市川秀雄(1952年5月 - 1952年12月)
・ 13代 - 天野貞祐(1952年12月 - 1970年3月)
・ 14代 - 小池辰雄(1970年4月 - 1979年3月)
・ 15代 - 篠原寛(1979年4月 - 1982年3月)
・ 16代 - 蝦名賢造(1982年4月 - 1987年3月)
・ 17代 - 山鹿誠次(1987年4月 - 1989年3月)
・ 18代 - 朝倉保平(1989年4月 - 1993年7月)
・ 19代 - 戸張敦雄(1993年8月 - 1995年8月)
・ 20代 - 奥田千秋(1995年9月 - 2000年3月)
・ 21代 - 永井伸一(2000年4月 - 2011年3月)
・ 22代 - 渡邊和雄(2011年4月 - 2021年3月)
・23代 - 上田善彦(2021年4月 - )

教職員経験者

・ 津田左右吉
・ 金栗四三
・ 奥江晴紀

政治・行政・経済

・ 松井茂 - 韓国政府内部次官兼警視総監(扱)、朝鮮統監府警務局長、内務省官僚(広島中学校から転校)
・ 小山松吉 - 司法大臣、検事総長、法政大学総長
・ 山本悌二郎 - 農林大臣
・ 天野貞祐 - 文部大臣、第一高等学校校長
・ 中原爽 - 元参議院議員
・ 沢辺瀞壱 - 前飯能市長
・ 糸山英太郎 - 元衆議院議員、実業家
・ 勝茂夫 - 世界銀行副総裁
・ 勝栄二郎 - 財務省事務次官
・ 戸井田徹 - 元衆議院議員
・ 田中良 - 元杉並区長
・ 高島直樹 - 東京都議会議員、第46代東京都議会議長
・ 小谷進 - 元パイオニア社長
・ 土屋たかゆき - 元東京都議会議員

学者

・ 佐々木隆興 - 医学者、癌研究者(日本学士院恩賜賞受賞、文化勲章受章)
・ 森於菟 - 医学者、解剖学者、東京帝国大学医学部助教授、台北帝国大学(現・台湾大学)医学部教授、帝国女子医学専門学校長、東邦大学医学部教授・医学部長。森鷗外の長男
・菅沼定男-慶應義塾大学医学部眼科学教室初代教授、第40回日本眼科学会総会総会長
・ 額田豊 - 医学者、獨協中学校・高等学校11代目校長、日本大学初代医科長、東邦大学初代学長(駒場東邦創設者の一人)
・藤浪剛一-慶應義塾大学医学部放射線科学教室初代教授
・呉建-医学博士(東京帝国大学)、アテネ大学名誉教授
・小池正晃-大日本帝國陸軍軍医総監
・坂口泰蔵-初代東京警察病院院長、貴族院議員
・小柳美三-東北大学医学部眼科学教室初代主任教授 
・正井保良-大阪帝国大学医学部第二生理学教室初代教授
・宮路重嗣-新潟大学医学部細菌学教室初代教授、福島県立医科大学衛生学・予防医学講座初代教授
・高橋明-日本泌尿器科学会会長、第五代日本医師会会長、獨協学園理事長(1957〜67)
・戸川篤次-台湾総督府医学校教授、東京慈恵会医科大学小児科講座初代教授
・山根政治-慶尚北道立大邱醫院長
・山崎春雄-熊本医学専門学校(現・熊本大学医学部)教授、北海道帝国大学(現・北海道大学)医学部解剖学教授、札幌医科大学解剖学教室初代教授
・吉岡正明-大阪医科大学教授、東京女子医学専門学校(現・東京女子医科大学)教授、獨協中学校・高等学校第10代校長
・大野精七-北海道大学医学部附属病院長、札幌医科大学初代学長、第五回冬季オリンピック札幌大会実行委員会副委員長、東日本学園大学(現・北海道医療大学)初代学長
・颯田琴次-東京帝国大学医学部教授、東京藝術大学教授、ヴァイオリン演奏家、NHK交響楽団顧問、日本音響学会設立者
・田中肥後太郎-大日本帝國海軍軍医学校校長(1939年11月〜1941年10月)、海軍軍医中将(軍医総監)、航空医学の開拓者
・岩原拓-文部省学校衛生官、国立体育研究所所長、日本学校保健会理事長、学校教育や学校衛生行政に貢献
・高木憲次-東京帝国大学教授、日本医科大学教授、日本の肢体不自由児教育の創始者、整肢療護園(現:心身障害児総合医療教育センター)創設者&初代理事長、レントゲン研究の第一人者
・中村豊-北海道帝国大学医学部細菌学教室(免疫学教室)初代教授、痘瘡の研究で知られる
・額田晋-ハーバード大学留学、帝国女子医学専門学校(現・東邦大学)を創設
・森於菟-日本医学専門学校(日本医科大学)教授、台北帝国大学(国立台湾大学)初代第一解剖教授、東邦大学医学部教授・部長
・岡田道一-東京市衛生技師として、現在の養護教諭、学校医制度、林間・臨海学校の基礎を作った、竹久夢二の友人で夢二会会長
・上林豊明-東京医学専門学校(東京医科大学)教授、皮膚病に関する細菌学の生物学的研究のわが国における第一人者、江戸遊郭の研究家、サントリー美術館に上林豊明コレクションがある
・三内多喜治-大日本帝國陸軍軍医、陸軍軍医学校口腔外科二代目教室主任、戦傷顎外科の権威
・田村憲造-東京帝国大学名誉教授、強心剤の研究、日本学士院賞
・根岸博-岡山医科大学(現・岡山大学医学部)教授、わが国初の腎臓移植の動物実験に成功
・小池敬事-千葉大学初代学長、新潟大学第三代学長
・水原豊-昭和大学医学部産婦人科初代教授
・兒玉昌-愛知県立精神病院(愛知県立城山病院)初代院長、名古屋市立女子高等医学専門学校(名古屋市立大学医学部)精神科初代教授
・角尾晋-第五代長崎医科大学(長崎大学医学部)学長、長崎の原爆により死去
・石橋長英-日本国際医学協会理事長、獨協医科大学初代学長
・石山福二郎-九州帝国大学教授、B29搭乗員捕虜に対する生体解剖事件(九州大学生体解剖事件)のため、戦後逮捕、自決
・鈴木遂-新潟医科大学(新潟大学医学部)教授、東京帝国大学教授、腎炎、腸チフスの病理学的研究で知られる
・安東洪次-東京大学教授、実験動物中央研究所設立
・赤木勝雄-日本医科大学教授、日本寄生虫学会名誉会員
・ 内村祐之 - 医学者、東京大学名誉教授、日本野球機構コミッショナー(1983年に野球殿堂入り)
・ 内海弘蔵 - 国文学者、明治大学教授
・ 岩倉具実 - 言語学者、同志社大学名誉教授
・ 安良城盛昭 - 歴史学者、沖縄大学学長
・ 安岡昭男 - 歴史学者、法政大学名誉教授
・ 新井仁之 - 数学者、東京大学名誉教授、早稲田大学教育・総合科学学術院教授(日本数学会春季賞受賞)
・ 加藤康之 - 経済学者、京都大学経営管理研究部教授
・ 丸山宗利 - 昆虫学者、九州大学総合研究博物館准教授

文化

・ 大町桂月 - 詩人
・ 巖谷小波 - 作家、児童文学者
・ 戸川秋骨 - 評論家、随筆家
・ 守山恒太郎 - 野球選手(一高第二次黄金時代の左腕の名投手で、1966年に野球殿堂入り)
・ 木下杢太郎 - 作家、東京大学医学部教授
・ 恩地孝四郎 - 版画家
・ 水原秋桜子 - 俳人、医学者
・ 三島雅夫 - 俳優
・ 清水幾太郎 - 評論家、学習院大学教授
・ 灰田晴彦 - 作曲家、スチールギター奏者
・ 灰田勝彦 - 歌手、映画俳優
・ 高英男 - 歌手
・ 謝国権 - 医師(日本の性医学評論のパイオニア)
・ 栗山昌良 - オペラ演劇演出家、国立音楽大学名誉教授
・ 無量塔藏六 - ヴァイオリン製作者
・ 松浦豊明 - ピアニスト、上野学園大学名誉教授
・ 古井由吉 - 芥川賞作家(高等学校入学後5か月で都立日比谷高校へ転校)
・ 古今亭志ん朝 - 落語家
・ 大沢悠里 - フリーアナウンサー、元TBSアナウンサー
・ 筑紫磐井 - 俳人、文部科学省科学技術政策研究所長
・ 松宮一彦 - フリーアナウンサー、元TBSアナウンサー
・ SAM - ダンサー (TRF)
・ Ryo - 歌手(ケツメイシ)
・ 椎名豪 - 作曲家
・ 谷合廣紀 - 将棋棋士

関連団体

・獨協同窓会ドクターズクラブ(DDC)

外部リンク


学校法人獨協学園
獨協中学校・高等学校
獨協中学校・高等学校同窓会
獨協同窓会ドクターズクラブ(DDC)


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