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尾鷲高校のWiki
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基本情報
Infobox 日本の学校
校名:三重県立尾鷲高等学校
国公私立:公立学校
設置者:三重県
学区:(全日制普通科) 南部学区
(全日制専門学科)
全県学区
全国募集 (前期3人、後期7人)あり
(定時制)全県学区
併合学校:三重県立尾鷲工業高等学校
三重県立長島高等学校
設立年月日:1922年
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
定時制課程
単位制・学年制:単位制
設置学科:普通科
情報ビジネス科
システム工学科
学科内専門コース:普通科プログレッシブコース
学期:(全日制課程)3学期制
(定時制課程)2学期制
高校コード:24151C
郵便番号:519-3659
所在地:三重県尾鷲市古戸野町3番12号
緯度度:34緯度分:4緯度秒:8.5
経度度:136経度分:11経度秒:13.8
公式サイト

'''三重県立尾鷲高等学校'''(みえけんりつ おわせこうとうがっこう)は、三重県尾鷲市古戸野町にある県立高等学校。全日制課程と定時制課程を併設する。同県北牟婁郡紀北町に分校の長島校(旧・三重県立長島高等学校)があった。

通称は「'''鷲高'''」(しゅうこう)、地元では「'''尾高'''」(おこう)と呼ばれている。

設置学科


・ 全日制課程
  普通科
 ・ プログレッシブコース
 ・ スタンダードコース
  情報ビジネス科
  システム工学科
・ 定時制課程
  普通科

沿革


・ 1922年(大正11年) - '''三重県立尾鷲高等女学校'''が開校。4年制で、初年度の入学試験合格者は93名(募集人数:100名)であった。
・ 1923年(大正12年) - '''尾鷲町立尾鷲中学校'''が開校。開校当初は尾鷲尋常高等小学校の教室を借用して授業が行われた。
・ 1926年(大正15年) - 尾鷲中学校が三重県に移管され、三重県立尾鷲中学校となる。
・ 1948年(昭和23年)
  5月23日 - 尾鷲高等女学校と尾鷲中学校を統合し、'''三重県尾鷲高等学校'''が発足。普通科・家庭科を設置する。旧尾鷲高女・旧尾鷲中学ともに校舎が新制中学校に貸与されていたため、尾鷲小学校の一部を借用して授業が行われた。
  8月1日 - 長島町に分校として夜間定時制課程を設置。
・ 1949年(昭和24年)4月 - 旧尾鷲高女の校地返還により、同地に移転。
・ 1950年(昭和25年)
  3月31日 - 商業科を設置。
  4月 - 定時制課程が三重県長島高等学校として独立。旧尾鷲中学の校地(矢浜)が返還を受け、校舎を併用する。校名を三重県立尾鷲高等学校に改称。
・ 1951年(昭和26年)
  3月 - 水産課程を設置。
  12月 - 町立尾鷲中学校と校舎交換を行い、矢浜校舎を譲渡し、古戸野の町立尾鷲中学校校舎を譲受する。
・ 1960年(昭和35年)4月1日 - 水産課程を電波課程に改組。
・ 1962年(昭和37年)12月27日 - 電波課程を廃止。
・ 1963年(昭和38年)2月 - 体育館を新築。
・ 1967年(昭和42年)3月 - 校舎を新築。
・ 2001年(平成15年)4月 - 三重県立尾鷲工業高等学校と統合し、システム工学科を新設。 
・ 2002年(平成17年)4月 - 普通科に特進クラスに当たるプログレッシブコースを新設、商業科を情報ビジネス科に名称変更。
・ 2005年(平成17年)4月 - 三重県立長島高等学校と統合し、尾鷲高等学校長島校とする。
・ 2008年(平成20年) - 長島校募集停止。
・ 2010年(平成22年)3月6日 - 長島校で卒業式及び閉校式を挙行。
・ 2011年(平成23年)9月5日 - 平成23年台風第12号により、浸水被害を受ける。
・ 2016年(平成28年)10月 - システム工学科2年生が文化祭で梶賀のあぶりを作るために専用のコンロを3台制作し、文化祭後に地域おこし協力隊に提供する。
・ 2018年(平成30年)7月10日 - 2019年度から、定員の5%(情報システム科、システム工学科は部活限定無し、普通科プログレッシブコースは競泳競技希望者対象)を上限に三重県外からの入学を認めることを県教委が発表。

開校の経緯

明治時代には尾鷲から上級学校へ進む者は稀であったが、大正時代になると毎年20人前後が進学するようになった。しかし、当時尾鷲から上級学校へ進むには津市か宇治山田市(現在の伊勢市)まで出る必要があったことと、近隣の南牟婁郡木本町(現在の熊野市)でも県立中学校の設置運動が展開されていたことがあり、尾鷲町議会でも1915年(大正4年)6月より中学校設置問題が議論されるようになった。1919年(大正8年)に三重県が中学校を3校新設することを発表すると設置運動は過熱、三重県庁への嘆願や町民大会で設置経費を全額町民負担とすることを決議するに至った三重県尾鷲市役所
編(1971):364ページ
。しかし、同年7月11日に中学校の新設が決まったのは木本町だったため尾鷲町民は激昂、津市へ大挙して押し掛けようとして尾鷲警察署から巡査が駆け付け説得に当たる騒ぎとなった。結局、尾鷲町は県立中学校を諦め、郡立による中学校の設置に方針転換した。

その後、尾鷲町民の中等教育機関設置の熱意に応じて時の北牟婁郡長・後藤一郎らは三重県知事・山脇春樹に働きかけ、三重県立尾鷲高等女学校の設立認可に漕ぎ着けた。1922年(大正11年)1月31日のことである。建設には土井八郎兵衛が多額の寄付を行ったため、尾鷲高女は「土井学校」と呼ばれた。入学試験は1922年(大正11年)3月30日に行われ、地元北牟婁郡は元より北勢の桑名郡や員弁郡、更に奈良県や和歌山県からも受験生を集めた。

一方、男子のための中等教育機関は郡立で設置が試みられたものの、郡内町村の財政負担問題で遅々として進まなかったため、尾鷲町単独での設置を1923年(大正12年)2月23日に議決した。同年3月16日に設置認可が下り、4月24日・25日の2日間入学試験が実施された。

交通


・ JR紀勢本線尾鷲駅より徒歩約10分
・ 三重交通松阪熊野線尾鷲市病院前バス停、尾鷲市ふれあいバス尾鷲総合病院バス停より徒歩約1分

学校周辺


・ 中村山公園(中村山城址)
・ 国道42号
・ 尾鷲駅
・ 尾鷲市役所
・ 尾鷲総合病院
・ 津家庭裁判所尾鷲出張所(尾鷲簡易裁判所併設)
・ 仲氏館跡
・ 尾鷲市立図書館

著名な出身者


・ 西田厚聰 - 実業家
・ 石田登星 - 俳優

鬼瓦[プロ総合格闘家]

参考文献


・ 三重県尾鷲市役所 編『尾鷲市史 下巻』昭和46年5月3日、三重県尾鷲市役所発行、874pp.
・ 三重県地位向上委員会 編『三重のおきて ミエを楽しむための48のおきて』アース・スター エンターテイメント、2015年1月25日、174p. ISBN 978-4-8030-0657-5

外部リンク


三重県立尾鷲高等学校

校名:三重県立尾鷲高等学校長島校
過去校名:三重県尾鷲高等学校長島分校
三重県立長島高等学校
国公私立:公立学校
設置者:三重県
学区:南部学区
併合学校:長島町他三ヵ町村学校組合立長島高等学校
設立年月日:1948年8月1日
閉校年月日:2010年3月31日
共学・別学:男女共学
中高一貫教育:連携型
課程:全日制課程
設置学科:普通科
学期:3学期制
高校コード:24151C(尾鷲高校)
郵便番号:519-3204
所在地:三重県北牟婁郡紀北町紀伊長島区東長島769
緯度度:34緯度分:12緯度秒:41.4
経度度:136経度分:20経度秒:14.2

'''三重県立尾鷲高等学校長島校'''(みえけんりつ おわせこうとうがっこうながしまこう)は、三重県北牟婁郡紀北町に所在した公立の高等学校。三重県立尾鷲高等学校の分校であった。紀北町立中学校3校と連携型の中高一貫教育を行っていた。なお、尾鷲高等学校長島校は、2008年(平成20年)度から入学者の募集を停止し2010年(平成22年)3月いっぱいで閉校した。

校地は、紀北町立紀北中学校が改築のため同中学校の仮校舎として利用された後、2013年(平成25年)からは紀北町役場本庁舎として利用されている。

概要


校歌は長島高校の卒業生が作った。作詞は布施忍、作曲は芥川也寸志である。

設置していた学科

・ 普通科
  類型
  類型

沿革


現在の紀北町紀伊長島区内には、長島町外三村組合立紀北青年学校(1943年 - 1948年)や紀北実践女学校(1929年 - 1936年)、紀北実務中学校(1931年 - 1936年)という中等教育機関が旧制の教育課程の下に置かれていたが、いずれも長島校の前身とは位置付けられていない。

開校の経緯

1948年(昭和23年)の春に三重県議会議員の山崎市太郎と当時の長島町町長、二郷村村長、二郷村議会議長が集まり、地域に高等学校を作ろうという話が挙がった。その後、議会での協議の結果、尾鷲高等学校の分校を誘致することにし、運動を展開、同年8月1日に夜間定時制課程の三重県尾鷲高等学校長島分校が開校した。9月1日より二郷小学校の2教室を借用して授業を開始した。

全日制への移行

1950年(昭和25年)に尾鷲高校からの独立と同時に昼間部の募集を開始した。しかし、1953年(昭和28年)3月の第2回卒業式に問題が発生する。この時、履修すべき単位を3年間ですべて修得した昼間部の1期生が、「定時制課程の修業年限は4年以上」となっていたため、卒業できないという事態となったのである。これは長島校への全日制課程設置運動に発展し、三重県庁に何度も陳情へ訪れた。しかし、県は陳情を受け入れず、暫定的に'''長島町他三ヵ町村学校組合立長島高等学校'''が定時制課程に併設される形で設立された。設置学科は定時制課程とまったく同じであった。その後、県立移管を果たすために近隣町村に対して長島高校への進学を求めたり、校舎増築のための募金活動を行ったりしてgroup="注"、ようやく1954年(昭和29年)に県立全日制の長島高校への移行が実現した。

年表

・ 1948年(昭和23年)8月1日 - 三重県尾鷲高等学校長島分校として開校
・ 1950年(昭和25年) - 独立して三重県立長島高等学校となる。普通科・家庭科を設置。
・ 1952年(昭和27年)7月 - 校舎落成。
・ 1953年(昭和28年)4月 - 全日制課程の長島町他三ヵ町村学校組合立長島高等学校を定時制課程の三重県長島高等学校に併設。
・ 1954年(昭和29年)
  3月3日 - 県立全日制移管を祝して大提灯行列を実施。
  4月 - 女子制服を制定 。
  6月 - 第三棟校舎落成 。
・ 1956年(昭和31年) - 第11回国民体育大会に女子バレーボール部が三重県代表として出場。
・ 1958年(昭和33年) - 校歌制定。
・ 1959年(昭和34年)1月 - 体育館完成。
・ 2005年(平成17年) - 尾鷲高等学校に再統合、長島校となる。
・ 2008年(平成20年) - 生徒募集停止。
・ 2010年(平成22年)3月31日 - 閉校。

著名な出身者


・ 浜田知明(元プロ野球選手)
・ 中野みき(フリーアナウンサー)

参考文献


・ 『紀伊長島史』紀伊長島町史編さん委員会、昭和60年8月1日、1024pp.


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