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矢掛高校のWiki
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基本情報
Infobox 日本の学校
校名:岡山県立矢掛高等学校
過去校名:岡山県立矢掛中学校
岡山県矢掛中学校
岡山県立矢掛第一高等学校
国公私立:公立学校
設置者:岡山県
学区:倉敷学区・西備学区
併合学校:岡山県立矢掛第二高等学校
岡山県矢掛商業高等学校
岡山県立美星高等学校
岡山県立矢掛商業高等学校
設立年月日:1902年(明治35年)
校訓:至誠力行
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
設置学科:普通科
地域ビジネス科
高校コード:33147D
郵便番号:714-1201
所在地:岡山県小田郡矢掛町矢掛1776番地2
緯度度:34緯度分:37緯度秒:42
経度度:133経度分:35経度秒:33
公式サイト

'''岡山県立矢掛高等学校'''(おかやまけんりつやかげこうとうがっこう, Okayama Prefectural Yakage High School)は、岡山県矢掛町にある県立高等学校。略称「矢高」(やこう)。

概要


1902年(明治35年)に開校した「岡山県立矢掛中学校」(旧制中学校)を前身とする。2012年(平成24年)に創立110周年を迎えた。

学校データ

・ 校訓 : 至誠力行
・ 校章 : 「高」の字を校名「矢掛」にちなむ2本の鏃で囲んでいる。
・ 校歌 : 作詞は小川博史、作曲は芥川也寸志による。歌詞は3番まであり、校名は登場しない。各番とも「若き日を」で終わる。

旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代

・ 1901年(明治34年) - 7月、設置が認可される。
・ 1902年(明治35年)
  4月1日、「岡山県立矢掛中学校」が開校。
  5月、開校式を挙行。
・ 1920年(大正9年)4月1日 - 「岡山県矢掛中学校」と改称(「立」が除かれる)。
・ 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、新制の中学校を併設(以下・併設中学校)。
・ 1948年(昭和23年) - 4月1日、学制改革(六・三・三制の実施)により、旧制中学校は廃止され、新制高等学校「'''岡山県立矢掛第一高等学校'''」(男子校)が発足。
・ 1949年(昭和24年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。

高等女学校・新制高等学校(女子校)時代

・ 1913年(大正2年) - 4月1日、「小田郡矢掛尋常高等小学校附設矢掛女学校」が設立。
・ 1915年(大正4年) - 4月1日、組織改編により、「矢掛町立実科高等女学校」と改称。
・ 1920年(大正9年) - 5月、「岡山県矢掛高等女学校」と改称。
・ 1923年(大正12年) - 4月1日、「矢掛町外七ヶ町村組合立女学校」と改称。
・ 1939年(昭和14年) - 4月1日、岡山県に移管され、「岡山県矢掛高等女学校」と改称。
・ 1947年(昭和22年) - 4月1日、学制改革(六・三制の実施)により、新制の中学校を併設(以下・併設中学校)。
・ 1948年(昭和23年) - 4月1日、学制改革(六・三・三制の実施)により、高等女学校は廃止され、新制高等学校「'''岡山県立矢掛第二高等学校'''」(女子校)が発足。
・ 1949年(昭和24年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、併設中学校を廃止。

新制高等学校(男女共学)発足後

昭和

・ 1949年(昭和24年) - 8月31日、高校三原則に基づく岡山県内公立高校再編に伴い、上記2校が統合され、総合制高等学校「'''岡山県立矢掛高等学校'''」(現校名)が発足。
・ 1950年(昭和25年)
  4月1日、完全な男女共学を開始。2校舎制は維持し、性別ではなく学年によって校舎を使い分けることとする。
  9月、東・西両校舎の同窓会を統合。
・ 1961年(昭和36年) - 9月、東西両校舎を統合し、1校舎制(現在地)とする。
・ 1971年(昭和46年) - 4月1日、岡山県立美星高等学校を統合し、美星分校とする。
・ 1976年(昭和51年) - 4月1日、岡山県矢掛商業高等学校を統合し、西分校とする。
・ 1985年(昭和60年) - 4月1日、西分校が分離し、岡山県立矢掛商業高等学校として独立。
・ 1986年(昭和61年) - 3月31日、美星分校を廃止。

平成

・ 1999年(平成11年) - 4月、小学区制から中学区制(西備学区)となる。
・ 2003年(平成15年)
  3月、第1棟校舎の大規模改修工事が完成。
  4月、矢掛地域新高等学校開校準備委員会の事務局が設置される。
・ 2004年(平成16年)
  3月、統合に伴い、岡山県立矢掛商業高等学校の生徒募集が停止される。在校生卒業までの間、商業高校の組織は存続。
  4月1日、矢掛地域新高等学校として新・「岡山県立矢掛高等学校」(全日制普通科・単位制・定員200名)が発足。
・ 2005年(平成17年)
  3月、東棟が完成。
  8月、南棟が完成。
・ 2006年(平成18年) - 3月31日、最後の卒業生を送り出し、岡山県立矢掛商業高等学校が閉校。
・ 2009年(平成21年) - 4月1日、類型3コース制(探究・総合・ビジネス)を開始。(全日制普通科・単位制・定員160名)
・ 2011年(平成23年) - 4月1日、地域ビジネス科を新設。定員を普通科120名、地域ビジネス科40名とする。
・ 2014年(平成26年) - 1月22日、「矢掛高存続協議会」が発足し、初会合。
・ 2015年(平成27年) - 3月6日、岡山県立矢掛商業高等学校の跡地を矢掛町が一般社団法人「バート・インターナショナル」に無償貸し付けすることを締結。
・ 2018年(平成30年) - 2月28日、事業が軌道に乗らずバートインターナショナルが矢掛商業高等学校から退去。矢掛町長(2018年現在 山野通彦)の決断によりバートインターナショナル(代表理事 片山敬済)へ交付された補助金の経緯が不透明と問題となっている。

運動部

・ 軟式野球部
・ ハンドボール部
・ テニス部
・ サッカー部
・ ソフトテニス部
・ バスケットボール部
・ バドミントン部
・ バレーボール部
・ ソフトボール部
・ 卓球部
・ 陸上競技部

文化部

・ 書道部
・ 吹奏楽部
・ 箏曲部
・ サイエンス部
・ 美術部
・ 茶道部
・ 報道部
・ビジネス研究部
・ 囲碁・将棋部
・ジャズバンド同好会

環境への取り組み


・ 2009年にユネスコ・スクールに認定
・ 生徒会による駅の清掃活動等
・ 環境授業の実施
・ 川レンジャーによる小田川整備

著名な出身者


旧制中学時代の卒業生を含む。
・ 矢吹憲道(岡山円通寺第28世住職、広島市教育課長・社会課長等を歴任、原爆孤児救済に尽力)
・ 蜂谷道彦 (医学者、内科医、被爆時の広島逓信病院院長。被爆体験記『ヒロシマ日記』の著者)
・ 岡ノ山喜郎(元大相撲力士)
・ 池田道孝(衆議院議員・元岡山県議会議員)
・ 横溝亮一(音楽評論家)

外部リンク


岡山県立矢掛高等学校


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