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育英高校のWiki
育英高校 ナビランク(163位/5677校中)
基本情報
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Infobox 日本の学校
校名:育英高等学校
過去校名:私立甲種育英商業学校
育英商業学校
国公私立:私立学校
設置者:学校法人武井育英会
理念:各有能(おのおののうあり)
校訓:責任を持つ・希望を持つ・誇りを持つ
設立年月日:1915年7月3日
創立記念日:10月7日
創立者:庄野一英
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
学科内専門コース:総合進学コース
文系進学コース
理系進学コース
特別進学文系コース
特別進学理系コース
高校コード:28518J
学期:3学期制
郵便番号:653-0855
所在地:兵庫県神戸市長田区長尾町二丁目1番15号
緯度度:34緯度分:40緯度秒:6.8
経度度:135経度分:8経度秒:5
地図ズーム:13
中心緯度:34.66
中心経度:135.147
mobile:http://www.ikuei.ac.jp/i/welcome.htm

'''育英高等学校'''(いくえいこうとうがっこう)は、兵庫県神戸市長田区長尾町にある私立高等学校。

沿革


・ 1899年 - 庄野一英により「数英漢学会」として創立。
・ 1900年 - 「育英義会」と改称。
・ 1902年 - 「私立神戸育英義塾」と改称。
・ 1915年 - 「私立甲種育英商業学校」設立。
・ 1920年 - 「育英商業学校」と改称。
・ 1930年 - 現校地に移転。
・ 1944年 - 失火により校舎本館全焼。育英商業学校を廃止、「綿華女子商業学校」を設置。
・ 1946年 - 綿華女子商業学校を廃止、育英商業学校復活。
・ 1947年 - 新制「育英中学校」を併設。
・ 1948年 - 新制「育英高等学校」となる(商業科・普通科)。
・ 1956年 - 育英中学校、生徒募集停止。
・ 1957年 - 第1期校舎建築完成。
・ 1959年 - 第2期校舎建築完成。
・ 1961年 - 第3期校舎建築完成。
・ 1963年 - 第4期建築(体育館)完成。
・ 1964年 - 第5期建築完成。図書館移転。校舎落成ならびに創立65周年記念式典挙行。
・ 1968年 - 寄宿舎兼合宿所「青雲寮」完成。
・ 1975年 - 育英高等学校、商業科の生徒募集停止。
・ 1979年 - 須磨区友が丘に第二グラウンド(野球場【両翼92m、中堅112m】、陸上競技トラック、テニスコート、付属施設等)完成。
・ 1983年 - 第二体育館兼小講堂(剣道場、柔道場、多目的フロア)完成。
・ 2004年 - 全館エアコン導入工事完成。
・ 2015年 - 男女共学となる。
・ 2017年 - 第二グラウンドに卓球場完成。

校風・特徴


私立甲種育英商業学校
開校間もない頃の日本は教育勅語の奉読中の動作不敬を問題視する時代背景にあったこうした動作不敬の問題視は後の育英商業学校時代にも続いていき、育英商業学校では3時間ほど立たされる懲戒を受けた生徒も存在した。。

育英商業学校
1923年に兵庫県立第一神戸中学校出身の池長孟校長が就任してからは昼弁当立食については第一神戸中学校に査察にきた文部省の大島義脩視学官にその存在を問題視されている。また当時の新聞に「神戸中学は壮士の養成所なり」と批判的な記事をかかげられたこともあったなどして昼弁当立食は当時、社会的に批判が少なくはなかった。。季節を問わず生徒は校舎外での弁当の立ち食いを強制され、寒い日も湯茶の配給などは行われず、水道の蛇口に並んだ。雨天の日に限って講堂の使用を許可され、校務員室で生徒は大きな薬缶から白湯を弁当箱の蓋などに入れてもらえた。

1937年には政府による戦争とそれを支える体勢の構築に国民を総動員する政策が次々と実施されることになり1937年9月から始まった国民精神総動員運動や1937年5月の文部省による全国の学校への『国体の本義』の配布など。、育英商業学校にもその思想統制の影響はおよび、学校の雰囲気はより厳粛なものに変わっていった。

生徒は厳寒期でも毛糸の下着の着用は禁止され、ズボンのポケットは手を入れることができないように縫い付けることになっており、時計・革靴・万年筆などの使用も贅沢品であるとの理由で許されなかった。登校時には正門で週番の上級生による服装・持ち物の点検を受けることとなっており『大正四年度以降 処罰録』によると、処罰の対象となる問題行動で最も多かったのは試験中の不正行為だった。複数人での協力による不正行為もあり、1923年7月には同一クラスの生徒15人が一斉処分されている。他には喫煙による処分も多かった。。点検後、奉安殿に向かって最敬礼し、朝礼・ラジオ体操の後、ラッパ鼓隊の吹奏に合わせて教室まで行進した。校外においても制服・制帽・巻ゲートルを着用し、教師や上級生に合ったときには軍隊式の敬礼をしなければならなかった。また、渡り廊下で処罰生徒名の掲示なども行っていた。1930年2月には衆議院議員総選挙の候補者の応援演説を行ったと思われる生徒が5日間の停学処分を受けるなど、校内で過剰な政治活動をする生徒も取り締まった。

育英高等学校
1969年11月まで丸刈り校則が存在した1963年度当時、生徒間での教師の評判が悪く、管理的で一方的な指導と丸刈り校則を含め不評だった。1963年の夏には全校生徒1552人のおおよそ半数、約700人の生徒たちが自由を求めて決起。体育祭と文化祭を生徒による自主運営とすることを求め、授業のボイコットまでにも発展した。。「厳しさの中に自由あり」「熱血学校」と謳っている。

象徴


校章
校章の中心に「育」という字を配置し「はぐくむ(慈しみ育てる)」ことが教育の中心思想であることを表現している。「育」という字の周囲が菊の花びらになっているのは以前、校地が湊川の畔に位置していた為、その湊川にゆかりの深い菊水に因んであしらったものである。
スクールカラー
「ブルー」
シンボルマーク
「IKUEI」の最初の2文字である「I」と「K」をモチーフに図案化している。「I」の部分は歴史と伝統を一本の芯として表現、「K」の部分は神戸の風に乗って変化する赤いリボンが歴史と合わさり、一つの新しいかたちを創ることにより、男女共学化への歩みを進めることが表現されている。リボンの一部分にはスクールカラーであるブルーが入っている。
校歌
・ 作詞:吉澤義則、作曲:田中銀之助

コース制


第一学年の初めから、総合進学・文系進学・理系進学・特別進学(文・理系選択)コースの四つのコースを設けている。かつては一括して募集し、入学後に本人の希望や能力・適性等に応じて各コースに割り振られていたが、現在は出願時にいずれかのコースを選択している。進級前にテストを受け、そのテストの点数によっては任意、又は総合進学コースへ強制的にコースの変更が行われる場合がある。

総合進学コース(旧・一般クラス)
本学で最も初歩的な授業を行う。進学と銘打つが、就職等の進路にも対応する。生徒の殆どは指定校推薦で専門学校及び短期大学、大学へ進学する。

文系進学コース(旧・語学クラス)
国語・英語・地歴公民の学習に重点を置き、私立大学文系学部を目指す。
理系進学コース(旧・理数クラス)
数学・理科・英語の学習に重点を置き、私立大学理系学部を目指す。

特別進学(文・理系選択)コース(旧・特文クラス、特理クラス)
クラス内で文系選択と理系選択に分かれる(旧制度では文系選択と理系選択とでクラスが分かれていた)。第一学年は文系・理系にかかわらずほとんど共通科目を履修し、第二学年・第三学年で文系・理系の選択科目が増え、目標にあった学習をしていく。国公立大学を目指す。毎月第2・第4土曜日に授業、若しくは進路講演会などがある。

部活動


硬式野球部の1993年の夏の甲子園での優勝をはじめ、全国制覇の経験のある部活動も存在する。

運動部の一部では練習時間の確保のため、総合進学コースの生徒しか入部できない。
・ 硬式野球部
・ 軟式野球部
・ 陸上競技部
・ 剣道部
・ バスケットボール部
・ バレーボール部
・ 柔道部
・ 卓球部
・ テニス部
・ ソフトテニス部
・ バドミントン部
・ 水泳(水球)部
・ ハンドボール部
・ レスリング部
・ 空手道部
・ サッカー部
・ ゴルフ部
・ 吹奏楽部
・ 写真部
・ 囲碁将棋部
・ 美術部
・ 科学部
・ 文芸部
・ 映画研究会
・ 演劇部
・ 書道部

主な不祥事


・ 1973年 -
  5月22日までに育英高等学校の集団万引き事件を内偵していた兵庫県警少年課と長田署は、野球部員7人を含む二年生ばかり23人を窃盗の容疑で補導した。姉崎岩蔵校長は問題を重視し、同日、第55回高校野球選手権・兵庫大会の出場自粛を表明した。日本学生野球協会は硬式野球部に1年間の対外試合禁止の処分を下した。
・ 2004年 -
  5月12日夕方、柔道部の練習中に一年生の男子生徒(16)が顧問の男性教諭(28)に技術面での指導に従わないことを理由に数回殴られ、顔面骨折の大怪我をしたことが6月11日判明した殴られた夜、寮に戻った男子生徒は頭痛を訴え病院に運ばれ、別の病院で検査したところ顔面骨折が判明し、手術が必要と診断された。10日間入院し、一時は左目が単眼複視に陥ったが回復した。。これを受け、学校側は教諭を処分する方針と発表した。中島寛校長は「体罰は絶対に許されないことだ。教諭の指導を徹底し、再発防止に努めたい」としている。育英高等学校と顧問教諭は男子生徒と両親に謝罪した。
  9月1日、軟式野球部内で一年生部員が同級生部員に暴力を振るったことをきっかけに、二年生部員4人が加わって殴る、蹴る、バットで殴打するなどの集団暴行が発生した。日本学生野球協会は11月10日、東京都内で行われた審査室会議で軟式野球部に9月6日から6ヶ月間の対外試合禁止の処分を下した。
・ 2006年 -
  6月19日午後8時頃から10時30分頃、硬式野球部の一年生の男子生徒(16)が明石市魚住町の自宅近くの路上で、自転車に乗っていた女子中学生に後ろから走行中の自分の自転車を追突させ「足が痛い。自転車を運んでくれ」などと騒いで、近くのスーパーのトイレに連れ込んだ上、襟を掴み「大声を出すな。しばくぞ」と脅し、無理に体を触らせるわいせつ行為をした育英高校野球部わいせつ事件
・ 2007年 -
  育英高等学校を運営する学校法人武井育英会の武井宏之理事長らが大阪国税局の税務調査を受け、長男である宏之理事長の父親、武井功前理事長の遺産相続をめぐり、約2億1000万円の申告漏れを指摘されたことが7月2日判明した2005年7月に3人の名義の簡易保険や有価証券など計約2億1000万円を相続財産から除外し、遺産総額を不動産を中心に約5億6800万円、相続税を約7000万円と申告した。同国税局が2007年2月から税務調査し、宏之理事長名義の預貯金6口座、計約2600万円について「宏之理事長の幼少時から預けられており、父親が形成した遺産」と指摘。宏之理事長は「父の生前に贈与を受け、贈与税も納めており、死亡時には私たちの資産になっていた」と反論したが、同国税局は「贈与の証拠がなく相続財産に当たる」「父親の資産を宏之理事長名義に分散することで、遺産を圧縮した」などと判断し、重加算税の対象とした。また約2億1000万円のうち生命保険の掛け金や別の預貯金などの約1億8400万円の申告漏れも指摘した。。宏之理事長は税理士を通じ「国税当局と見解に相違があったが、指導に従い修正申告した」と述べ、修正申告に応じた。
・ 2011年 -
  1月13日午後1時20分頃に発生した出火元であるバスケットボール部室を含む部室3部屋での火事兵庫県弁護士会は「証拠もないまま火災の犯人と決めつけている。恫喝行為で生徒の自尊心を傷つけており、教師という優越的地位を利用して、教育機関として許される懲戒行為の範囲を明らかに逸脱し、人格権を侵害している」「教諭らに対する監督義務違反」などとした。同会の調査に対し、育英高等学校は「粗野な言葉で傷つけた」と事実関係を認めている。また、同会に対して生徒指導部長は「傷つけたのであれば、申し訳ない」と述べている。。
・ 2022年 -
  9月1日から12月14日にかけて男性専任講師が神戸市内の金融機関窓口で、一年生の教材購入費や英検などの模擬試験の受験代を管理していた法人口座から、ギャンブル目的で11回に渡り計約688万2000円を出金し着服した男性元専任講師は「競輪・競馬などのギャンブルに使った」と容疑を認めた。。

高校関係者組織

・ 同窓会
  「火垂る会」と称した同窓会誌の販売、卒業証書ホルダー贈呈、卒業生講演会などを行っている。
・ 育英高校硬式野球部OB会
  硬式野球部における資金面の支援を行っている。

学校長


!!氏名!!在職期間!!備考
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初代
庄野一英 1915年7月3日 - 1923年4月1日 創立者
1923年4月1日に脳内出血再発により死亡
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二代目
池長孟 1923年10月29日 - 1942年3月31日 美術品収集家
1923年6月12日に理事就任
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三代目
武井尹人 1942年3月31日 - 1960年3月30日 学校法人武井育英会初代理事長
二代目理事長である武井功の父
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四代目
永松忠雄 1960年4月1日 - 1970年3月31日
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五代目
姉崎岩蔵 1970年4月1日 - 1979年3月31日
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六代目
松田毅 1979年4月1日 - 1987年3月31日
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七代目
中野紀一郎 1987年4月1日 - 1991年3月29日
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八代目
森下一男 1991年4月1日 - 1994年9月30日 持病により1994年9月30日退職
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九代目
森木畯一 1995年4月10日 - 1998年3月31日
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十代目
石井邦道 1998年4月8日 - 2001年
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十一代目
中島寛 2001年4月 - 2006年
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十二代目
阪本勝彦 2006年4月 - 2017年
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十三代目
内橋紀裕 2017年4月 - 現在

著名な校内硬式野球部監督

・ 日下隆(元プロ野球選手)
・ 藤村雅美(元アマチュア野球選手)

政治家

・ 掘井健智(日本維新の会衆議院議員)
野球

・ 佐藤平七(元プロ野球選手)
・ 酒沢成治(元プロ野球選手)
・ 織辺由三(元プロ野球選手)
・ 永井進(元プロ野球選手)
・ 戸梶正夫(元プロ野球選手)
・ 土井正三(元プロ野球選手)
・ 井上勝巳(元プロ野球選手)
・ 今西和男(元プロ野球選手)
・ 鈴木啓示(元プロ野球選手、300勝投手)
・ 竹田和史(元プロ野球選手)
・ 小林晋哉(元プロ野球選手)
・ 山本雅夫(元プロ野球選手)
・ 石井邦彦(元プロ野球選手)
・ 菊村徳用(元プロ野球選手)
・ 大川章(元プロ野球選手)
・ 田中力(元プロ野球選手)
・ 山崎章弘(元プロ野球選手)
・ 横谷彰将(元プロ野球選手)
・ 大塚光二(元プロ野球選手、現東北福祉大学硬式野球部監督)
・ 戎信行(元プロ野球選手)
・ 衣川幸夫(元プロ野球選手)
・ 大村直之(元プロ野球選手)
・ 井戸伸年(元プロ野球選手)
・ 藤本敦士(元プロ野球選手、アテネオリンピック銅メダリスト)
・ 松本幸大(元プロ野球選手)
・ 栗山巧(プロ野球選手、2000本安打)
・ 飯田龍一郎(元プロ野球選手)
・ 若竹竜士(元プロ野球選手)
・ 井上公志(元プロ野球選手)
・ 青山誠(元プロ野球選手)
・ 平岡敬人(元プロ野球選手)
・ 矢野雅哉(プロ野球選手)
・ 内藤航世 (海外プロ野球選手)
柔道

・ 篠原信一(柔道家、シドニーオリンピック銀メダリスト)
・ 齋藤涼(柔道家)
・ 納庄兵芽(柔道家)
・ 正木健人(柔道家、ロンドンパラリンピック金メダリスト・リオデジャネイロパラリンピック銅メダリスト・東京パラリンピック日本代表)
・ 北薗新光(柔道家、ロンドンパラリンピック日本代表・東京パラリンピック日本代表)
バスケットボール

・ 塚本清彦(元バスケットボール選手)
・ 熊谷宜之(バスケットボール選手)
・ 大西崇範(バスケットボール選手)
・ 田中範昌(バスケットボール選手)
・ 松崎賢人(バスケットボール選手)
・ 藤本巧太(バスケットボール選手)
・ 藤本裕(バスケットボール選手、モントリオールオリンピック日本代表)
・ 千種信雄(バスケットボール選手、ミュンヘンオリンピック日本代表・モントリーオールオリンピック日本代表)
格闘

・ 淺川誠二(ボクシング元日本フェザー級王者)
・ 金本浩二(新日本プロレス・元三代目タイガーマスク)
・ 井上智裕(レスリング選手、リオデジャネイロオリンピック日本代表)
・ 中村昌永(空手家)
・ 高橋昭五(レスリング選手)
芸能

・ 安尾信乃助(お笑いタレント)
・ 神戸佑輔(ナレーター・スタジアムDJ)
・ 大津光央(小説家)
その他

・ 素野福次郎(元TDK社長)※育英商業学校
・ 中川信夫(映画監督)※育英商業学校
・ 淡路仁茂(将棋棋士、九段)

弁護士会による意見書

・ deadlinkdate:2022-04-10

論文

・ accessdate:2019-04-20

書籍

・ asin:B000JAHMNE
校誌

・ ncid:BA46599024
・ 闘魂 : 育英商業・育英高等学校硬式野球部85年史、神戸市立図書館ネットワークサービス書誌番号 1102345851

関連文献


・ id:神戸市立図書館ネットワークサービス書誌番号 1101127968

外部リンク


・ mobile:http://www.ikuei.ac.jp/i/welcome.htm
・ 育英高校放送局(校内施設の説明等を行っている公式チャンネル)
育英高等学校 同窓会
育英高校硬式野球部OB会
Navboxes
title:部活動実績


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