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津和野高校のWiki
津和野高校 ナビランク(4556位/5677校中)
基本情報
Infobox 日本の学校
校名:島根県立津和野高等学校
国公私立:公立学校
設置者:島根県
学区:全県学区
全国募集あり(30%以内)
併合学校:島根県立津和野第一高等学校
島根県立津和野第二高等学校
設立年月日:1908年(明治41年)9月5日
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
学期:3学期制
高校コード:32131B
郵便番号:699-5605
所在地:島根県鹿足郡津和野町後田ハ12-3
緯度度:34 緯度分:27 緯度秒:40.2
経度度:131 経度分:46 経度秒:9.37
地図WikiData:yes
公式サイト

'''島根県立津和野高等学校'''(しまねけんりつつわのこうとうがっこう, Shimane Prefectural Tsuwano High School)は、島根県鹿足郡津和野町に所在する公立の高等学校。略称「津高」(つこう)。

概要


歴史
1908年(明治41年)に開校した「鹿足郡立高等女学校」を前身とする。1948年(昭和23年)の学制改革の際に新制高等学校「島根県立津和野第二高等学校」(女子校)が発足した翌年、旧制中学校を前身とする「島根県立津和野第一高等学校」(男子校)と統合され、男女共学の「島根県立津和野高等学校」(現校名)となった。

設置課程・学科
全日制課程 普通科

教育目標
・学業に情熱を傾け、真実を追求する態度を養う。
・個性を生かし、自主自立の精神を養う。
・健康に心掛け、明るく豊かな心と情操を育てる。
・勤労に重んじ、博愛奉仕の精神を育てる。
・学業尚び、独創的で視野の広い人間を育成する建学の精神を維持する。

校章
地名「津和野」の由来であるつわぶきの葉を背景にして、中央に「高」の文字を置いている。

校歌
作詞は川上清吉、作曲は長岡敏夫による。歌詞は4番まである。歌詞に校名は登場しない。1番に「西周」、「森鷗外」が登場する。

沿革


前史
・1786年(天明6年)- 津和野藩第8代藩主亀井矩賢により藩校「養老館」が創立される。
高等女学校・新制高等学校(女子校)時代
・1908年(明治41年)- 「養老館」の教育精神を継承し、藩校の跡地に「'''鹿足郡立高等女学校'''」が開校。
・1922年(大正11年)4月1日 - 県立移管の上、「'''島根県立津和野高等女学校'''」と改称。
・1941年(昭和16年)4月1日 - 本科卒業生を対象に補習科を設置。
・1943年(昭和18年)4月1日 - 補習科を廃止し、その代わりに専攻科を設置。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
 高等女学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
 新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野高等女学校併設中学校、以下・併設中学校)、高等女学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 高等女学校3・4年生はそのまま高等女学校に在籍し、それぞれ4年生・専攻科生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
・1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
 高等女学校が廃止され、新制高等学校「'''島根県立津和野第二高等学校'''」(女子校)が発足。
 ・高等女学校専攻科修了者を新制高校3年生、高等女学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
 ・併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第二高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に高等女学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
旧制中学校・新制高等学校(男子校)時代
・1925年(大正14年)4月1日 - 「'''島根県立津和野中学校'''」(修業年限5年)が開校。
・1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この年の入学生から修業年限が4年に短縮される。
・1944年(昭和19年)
 4月1日 - 前年に閣議決定された教育ニ関スル戦時非常措置方策により、修業年限4年施行の前倒しが行われることとなる。
 8月1日 - 学徒動員が開始。
・1945年(昭和20年)
 3月 - 決戦教育措置要綱が閣議決定され、同年4月から翌年3月末まで授業が停止されることとなる。修業年限短縮の前倒しにより、4・5年合同の卒業式を挙行。
 4月1日 - 授業を停止(期間は1年間)。
 5月22日 - 戦時教育令が公布され、授業を無期限で停止することが法制化される。
 8月15日 - 終戦。
 9月 - 授業を再開。
・1946年(昭和21年)4月1日 - 修業年限が5年に戻る(4年で卒業することもできた)。
・1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施、新制中学校の発足)
 旧制中学校の生徒募集を停止(1年生不在)。
 新制中学校を併設し(名称:島根県立津和野中学校併設中学校、以下・併設中学校)、旧制中学校1・2年修了者を新制中学校2・3年生として収容。
 併設中学校はあくまで経過措置として暫定的に設置されたため、新たに生徒募集は行われず(1年生不在)、在校生が2・3年生のみの中学校であった。
 旧制中学校3・4年生はそのまま旧制中学校に在籍し、それぞれ4・5年生となった(4年修了時点で卒業することもできた)。
・1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革(六・三・三制の実施、新制高等学校の発足)
 旧制中学校が廃止され、新制高等学校「'''島根県立津和野第一高等学校'''」(男子校)が発足。
 ・旧制中学校卒業生(5年修了者)を新制高校3年生、旧制中学校4年修了者を新制高校2年生、併設中学校卒業生(3年修了者)を新制高校1年生として収容。
 ・併設中学校は新制高校に継承され(名称:島根県立津和野第一高等学校併設中学校)、在校生が1946年(昭和21年)に旧制中学校へ最後に入学した3年生のみとなる。
・1949年(昭和24年)3月31日 - 併設中学校を廃止(旧制4・5年から新制3年への修業年限の移行が完了)。
新制高等学校(男女共学)
・1949年(昭和24年)4月1日 - 高校三原則に基づく島根県内公立高校の再編により、上記2校が統合され、男女共学の「'''島根県立津和野高等学校'''」(現校名)が発足。
・1951年(昭和26年)4月1日 - 商業科を新設。
・1952年(昭和27年)4月1日 - 家庭科を新設し、普通科・商業科・家庭科の3科を有する総合制高等学校となる。
・1953年(昭和28年)4月1日 - 定時制六日市分校を設置。
・1958年(昭和33年)4月1日 - 定時制六日市分校を島根県立益田産業高等学校七日市分校(現・島根県立吉賀高等学校)に移管・統合。
・1963年(昭和38年)4月1日 - 家庭科の募集を停止。
・1965年(昭和40年)3月31日 - 家庭科を廃止。
・1975年(昭和50年)- 新校舎が完成。
・1979年(昭和54年)- 新寄宿舎「つわぶき寮」を開寮。
・1990年(平成2年)8月 - 第72回全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園大会)に初出場。
・1999年(平成11年)- 高校魅力アップ事業「津和野学'99」スタート
・2003年(平成15年)4月1日 - 商業科の募集を停止。
・2005年(平成17年)3月31日 - 商業科を廃止。
・2008年(平成20年)9月 - 創立100周年記念式典を挙行。

部活動


運動部
・野球部
・バレーボール部
・陸上部
・卓球部
・弓道部
・ソフトテニス部

文化部
・吹奏楽部
・合唱部
・美術部
・グローカルラボ

著名な出身者


・ 桑原史成(報道写真家)
・ 田中誠(テノール歌手)
・ 舛成孝二(アニメ監督)
・ 橋本以蔵(脚本家)
・ ムラムラタムラ(お笑い芸人)

外部リンク


島根県立津和野高等学校


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