それでも、熊高、済済黌からは、40点以上離れていたはず。
発破かける為に言ったんだろうと思います。成績上位層除いて大抵の人は熊高や済々に次ぐレベルだとは思ってませんよ。
たぶん、私も同年代だと思いますが、当時(30年くらい前まで)の八高合格ラインは185点くらいでしたよ。
問題も今とは違うとおもいますが、定員も450だったし、入試でも100人以上は落ちてましたからね。
今は、ほぼ全入でしょ?競争がなくなったらレベルは下がりますわな。
凄い…ボーダーが185の時代もあったんですか。
熊高、済々に次ぐレベルと言われたのも納得です。
仰るとおり今はほとんど全入で、期待されてた中学受験をパスした生徒も結果出てないみたいです、、
ちなみに当時は熊大はじめ難関大には何人ぐらい通ってましたか?
母校が衰退してしまう〜。生き残るには進学実績を上げるしかないのですね。。
自分は早々に落ちこぼれた脱落組だけど、同級生に京大卒が3人いる。誇らしい。
私も高校入試の時、中学の担任から「180点では微妙、190点で合格確実」と言われてたなぁ。40代の卒業生ですが、子供が高校入試の時、母校の合格ラインがあまりに低いのでびっくりしました。
そのわりに、国公立現役合格者数は健闘してるのではないでしょうか。
私らの時代は、とにかく浪人が多かった気がします。バブルだったからでしょうかね。
40才なかばですが、当時入学試験の平均点?が済々こうと同じくらいだったと聞いたことがあるんですが・・・聞き間違いだったかも
↑同世代です。熊高、済々、八代、玉名の順でしたよ。少なくとも、40歳以上の人の認識はそうなんじゃないですか?
30代くらいからは第二に追い越されて・・・という感じで、今は・・・。
入試の倍率がほぼ全入ではレベルアップはきびしいです。