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先輩の合格体験

高校受験ナビに寄せられた、先輩の合格体験談です。

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合格高校:膳所高校(滋賀県)
名前:宵千先輩

目次
1.受験勉強において
2.入試当日の注意
3.自分のエピソード

〜受験勉強において〜
とはいったものの、後述(エピソード参照)のような俺には、とてもじゃないがまともなアドバイスをすることはできないな。俺に言えるのは、た〜〜のしい高校生活を送っている自分を想像するのが、精神的には効果テキメンだぞ、ってことと、「落ちる」って未来は頭から捨てて(この3文字は禁句、いわゆるタブーにするとなお良い)、この先には「合格」しかないんだと思い込むようにすることぐらいかな。特に後者はすっげー大事だぞ。「俺、落ちるんじゃないかな」とかバカみたいなこと常日頃漏らしてる奴は、まずダメだ。あ、学校説明会みたいなのは、絶対に行けよ。
悪い、本当にこれだけしか言うことねぇorz

〜入試当日の注意〜

1.起床
戦いは朝起きたときから始まっている。一発目のテストが始まる9時には脳も起こしておきたいので、何かあったときにも備え、余裕を持って2、3時間くらい前には起きておこう。家が近いからといって絶対、ギリギリに起きるのはやめよう。恐怖の遅刻の可能性も高くなるし、頭がうまく働かない。

2.朝食
朝、胃が重たくなるようなものを食べていくのは避けよう。試験に集中できないぞ。

3.持ち物
偉そうに持ち物なんて書いたけど、プリントも配られると思うし、大体の人はしっかり用意して行ってくれるだろう。その上で一つだけ言わせてもらいたい。
「腕時計は絶対に忘れるな!」これだけ。なんでこんなに念を押すのかというと、ズバリ膳所高校の受験会場には時計が無いからだ。もし、忘れたら…どうなるかは、わかるよな?

4.出発
会場(高校)へ行くには、必ず公共の乗り物を利用すること。家の車で行こうとした場合、例えば大雪で進めなくなってしまって遅刻してしまい、試験が受けられなくなってもそれは認められない。公共の乗り物、例えば電車が雪で運行を一時中止したため遅刻した、これは認められるのだ。

5.休み時間の過ごし方
意外と知らずに受ける人も多いんだけど、一般選抜入試は必ず、
国語数学⇒社会⇒理科⇒英語
って順になってて、各テストの間には20分休憩がある。
特色選抜入試では、
総合問題1⇒総合問題2⇒小論文
となっている。ちなみに総合問題1とは文系問題、2は理系問題。こちらも間に20分の休憩。
それから、理数科を受験する場合、一般では数学と理科、特色では総合問題2の配点が高くなっているので特に気合を入れてほしい。
では休憩時間のすごし方だが、まず、やってはいけないこと。

一、今終わったテストで、気になるところやわからなかったところを参考書などで 、あるいは友達と確認する

これはね。わかってても結構やっちゃう人は多い。わかりきったことだけど、これは何の得にもならない。これならトイレにでも行ったほうがいい。あ、トイレはちゃんと行っとくんだぞー。

二、周りの人はできたのかなーと気にする

これもダメだ。みんなは何も喋らないし、早速次の科目の勉強に取り掛かっている人も多い。加えて、仮にも「偏差値70ほどもある膳所高の受験者」という先入観で、余計に周りは皆天才のように思えてくる。もしもその前のテストがあまりできなかったのに、そんな周りを見てしまうと、ものすごく自信がなくなってしまい、以降のテストに集中できず、結局全然解けなくて不合格、なんてことも十分ありうる。

結論、友達も含めて周りは気にせず、自分だけの世界に入って大人しく次の試験勉強をするのが俺は一番良いと思う。でも、試験勉強といっても一瞬でたくさんの知識を詰め込むのはダメだ。余計に混乱して大変なことになるから。やるならふと気になった単語や語句をサッと確認するくらいがベスト。あるいは、「もう己は結果を残すのみ」と精神統一するのもアリだと思う。

6.テスト中
まず、地味に大事なのは、受験番号を書くこと。これは一番最初にやっておいてほしい。万が一、書き忘れても席順に回収するから前後の番号でわかってくれるとは思うが、学校側としては社会人としての印象は悪いと思う。
次に、わかる問題または得意な分野の問題、漢字や語句の問題から解いていく。これは鉄則のような気がする。点を取れるところでとらないといけない。先に難問を何十分も考え込むようなことは絶対にするな。
それから、変に難しい知識はよっぽど自信が無い限り使わないこと。入試で採点官に一か八かの勝負を仕掛ける必要は全く無い。書いてる内容は合ってるのに、漢字が間違ってる、スペルが違う、とかだけでペケ喰らうの悔しいだろ?
あとは、できるだけ空白は作らず、全欄を埋めるようにすること。これは特に記号問題で言える。わからなくてもたった一文字のカタカナあるいはひらがなを書くだけで点がもらえるかもしれないというのに、何も書かないのは勿体無さすぎる。

7.テスト終了
当たり前だが、チャイムと「やめ!」の合図で素早く筆記用具を置いて書くのをやめること。合図があったのにいつまでもしつこく書き続けるのはすごく印象が悪い。机の上に受験番号貼りつけるからすぐわかるぞ。ただ、どうしても、本当にあと1単語とかであれば、ばれないように書き続けよう。でも決してやりすぎてはいけない。
ちなみに、テスト受ける「受験会場」と、20分休憩の間休む「待機会場」みたいなのがある。面倒だがいちいち移動する。

読み苦しいかもしれないが、勘弁してほしい。

〜自分のエピソード〜
2008年4月
小学校を卒業した俺は、県立守山中学校を受験したが、普通に落ちてしまい普通の地元の市立中学校へ進学した。さらに、小3から続けていた京進も継続することにした。
入学してすぐ、なぜか他の部も見に行かずに陸上部に入ってなぜか長距離走の道を選んだ俺は、とにかく朝練から走りまくってた。で、すぐに初めての中間テストを迎える。が、結果いきなり460越えだった。すごく嬉しかったのを覚えてる。期末も、同じくらいだった。しかし、授業態度がすこぶる悪かったため(居眠りしまくり)、内申はテストのわりにあまり良くなかった。「あんなに授業寝てんのにどうしてそんな点が取れるんだ」と友達には妬まれた…のだろうか?理科なんか90点と96点だったのに5段階評価の3がつけられた。結局内申は45点中32だった。ちなみに、そのときはもちろん高校入試のことなんか頭の片隅にも無かった。だが俺は、ストレートに科目ごとの評価が数字で表される成績表を見て小学校との違いを痛感した。
夏休みが来た。めんどくさい宿題は夏休みの定番だ。もはやこれが無ければ夏休みとはいえないほどになってきた。お決まりの読書感想文はいつものようにif話で矢理終わらせ、自由研究はほぼWikipediaをコピペして終了。ワークは答え丸写しだった。しかも適度に間違えておくとかせずに全部○(ワークの答え丸写しは高校生となった今でも現在進行形である)
夏休みは、部活に明け暮れた。
そして2学期からは反省し、うざいほど発表したがる、表面上だけは結構真面目な生徒となった。とはいえ、そんな俺にも限界はあった。精一杯がんばってるのに、どうしても内申は39までしかいかないのだ。今思えば、いかんせん俺には理科でも社会でもいまひとつアイデアが足りなかったのだろう。
陸上はバリバリやっていて、小学生のときまともに運動していなかった俺でさえ持久力だけは結構なもの(といっても1500m 5分10秒程度。でも中学校入学当初は7分23秒だった)になった。駅伝には同じ中学生とは思えないくらいめちゃ速い先輩がたくさんいて出られなかったが、控えとして出場選手の応援やサポートに回った。だが近畿駅伝ではそんな先輩達のチームを軽々と超えるようなチームが次々と現れ、俺は駅伝の恐さを知った。肌はますます日焼けで黒くなり、ふくらはぎの筋肉は鉄の如く硬くなるばかりだった。
こうして俺の中学最初の一年は終了した。
定期テストは落ちすぎず、かといって伸びず、ず〜っと見事にそのくらいのまま(卒業まで続く、ただし最高479、最低447)だった。それもそのはず、俺は昔から塾でも学校でも「やれ」といわれる教材以外する気は微塵も無かったのだ。

2009年4月
クラス替えもあり、また新しい1年が始まった。まだ高校受験のことは全く頭に無かった。相変わらず内申点も39のまま、普通に日々が過ぎていった。
そんなある日俺に大きな出来事が2つ起こった。
ひとつは、陸上部部長に就任。これは予想外だった。というかあのときの俺はどうかしてたに違いない。
先代部長が引退後、当然ながら俺達の代で部長を決めることとなった。だが、なかなか決まらず皆困り果てていた。先生も誰か、やってくれないか、とやはり困っていた。だって、部長なんて面倒くさいだけなんだもの。皆の気持ちは一緒だった、、、はずだった。だがそのとき、一人の男が名乗りをあげた。
「俺がやります」
そう、その男こそ、この俺だった。
みんなは一瞬驚いた。俺だって、自分で驚いていた。なぜ?
先生も、「おぉ、やってくれるか」といい、部長はめでたく俺になり、じゃあ副部長は、というと、副部長なら良いぞということで二人がすぐにやってくれた。きっと俺は内申書に書いてほしかったのだろう。ただ「陸上競技部部長」と。
もう一つは、とある委員の委員長就任だった。あのときの俺もどうかしていたのだろう。生徒会に入りたいと思っていたなんで。生徒会がかっこいいとか思っちゃっていたなんて。たぶん、俺は内申書に書いてほしかったのだろう。ただ「委員長」と。
そこから委員長、部長のダブルパンチで俺の日々は超忙しくなった。それでも、テストの点数と成績は決して落ちなかったし、何より日々が充実していた。
駅伝では、遅いほうのBチームで走らせていただいた。結果は残念だったが、楽しかった。

このあたりから、俺の生活は変わり始めた。
そのきっかけは・・・。。
俺は、12月ごろになってなぜか「けいおん!」というアニメを知り、ただ「キャラ可愛いな」とか思いながらyoutubeで観ていた。今思えばそれが、俗に言う深夜アニメへの入り口だった。しかも運悪く、といっていいのかわからないが、そのころ初めて書店でラノベというものを見つけてしまった。「本でアニメが読める(?)なんて最高やん!学校でも読めるし」と思った俺は、ラノベに強い興味を持ったのだった。でも、絵がちょっとなぁ・・・公には出しにくいとは思っていた。
2年生から選択授業というのがあって、そこではクラス関係なく仲良くやっていた。そして俺も、同じクラスになったことも、話したことも無かったNくんと次第に親しくなっていった。この12月ごろにはだいぶ仲良くなっていた。俺はある日Nに聞いた。
「なんか、ライトノベルっていうのあるやん。あれって面白いんかな?」
するとNはこう言った。
「え、俺読んでるで。あれはおもろい」
それを聞いた俺は、すでに周りにライトノベルを読む人がいたことに安心し、早速、唯一知っていた「涼宮ハルヒの憂鬱」シリーズを4巻から全て購入した。1〜3巻はアニメを見たので買わなかった。
読んでいくうち、俺はその中のキャラの一人、「長門有希」に強く影響を受けてしまい、「無口ってかっこいいな」と思うようになってしまった。それどころか、自分も真似して普段は全く自分から話さないようになった。友達から話しかけられても、「うん」とか「そう」とか「ふーん」としか言わないようにした。それが続いたせいで、また少し前から俺は、ゲームの改造を友達に見せつけるなどしていたこともあり、だんだんと友達がみんな、幼稚園から仲が良かった友達すら引いていったのがわかった。しかしNとだけは話が弾んだ。ついに一緒に帰っていた友達も、何も言わずに俺を放って勝手にみんなで帰ってしまうようになった。次第に一人で帰るのが平気になった。ちなみにNとは家の方向が違ったし、Nには他にも友達がたくさんいた。何より俺は、Nと帰るほどは親しくなかった。俺は友達がいなくなっていたことも気にせず、というより気付かず、黙々とラノベを読み続ける日々を送った。もちろん、学校ではわざと無口を演じて。俺は、毎日学校に来るのではなく、ラノベの中の世界に行っていたようなものだった。ほとんど人と話さなくなったため、俺は本当にコミュニケーション力が落ちていた。人と関わらなくなったから、生徒会の仕事もうまくできない。部長として部の皆を引っ張る仕事は元からあまり向いてはいなかったと思うが、以前は下手なりに必死にがんばっていた。でもそんなやる気はとっくに無くなっていた。そんな中Nとだけは話が弾んだ。
また、走る意欲だけはなぜか健在だったため、きちんと練習だけはこなしていた。走るのはずっと大好きだった。
また、テストの点数と成績は決して落ちていなかった。
そして俺は、ついに3年生となる。

2010年4月
俺は3年生になった。もちろん狂ったようにラノベは読み続けていた。
大きなクラス替えだったと思う。以前は誰もいなかったアニメ好き&ラノベ愛読者が、二人もいたのだ。それがNと、Tだった。
ちなみに俺は、3年生⇒中学校最後の年⇒来年は高校生
という思考回路により、このとき初めて高校受験に関心を持った。とほぼ同時に、どうやら滋賀県では膳所高校が偏差値が最も高いにもかかわらず、自由な校風だということをネットで調べて速攻で膳所高校に決めた。
N,Tは、アニメ好きといっても「エヘ、エヘ、エヘ」とか「ハァ、ハァ、ハァ、○○たん可愛いよ」みたいなのじゃなくて、本当にただ好きなだけの、普通に明るい奴らだったから、そいつらと頻繁に話しているうちに、俺の無口は完全ではないが明らかに治っていった。だが、一度ぼろぼろに崩れてしまった元の友達との絆を取り戻すことはできなかった。
一学期、テストの点数は相変わらずだったが、内申は40だった。ちなみに実力テストってやつは、470くらいばっかりだった。
そして、夏休みが来た。2年前から変わらず、ワークは答え丸写しで、塾の
夏期講習で勉強する以外は、自宅では指示された教材以外やらなかった。
一応言っておくが、俺は塾の友達のほうが幾分仲が良かったし、俺も楽しかった。Nも同じ塾だった。
俺はそのまま夏を制さずに受験を制することになる。
生徒会活動も部長の仕事も適当にこなし、ついにどちらも引退となった。
引退後は、部活の友達とは一切話さなくなった。
2学期も終わりを迎えた。さすがにみんなピリピリした雰囲気が伝わってきた。余裕ぶっこいてんのは俺と、Nぐらいだった。ちなみにNはいつも定期テスト300点前後だった。
2学期も内申40。
3学期。いよいよ、学校の授業もプリント学習や自習が多くなってきて、みんないよいよラストスパートって感じだった。俺とNは、そんな時間を利用してラノベを読みまくっていた。先生に怒られても無視して、読み続けた。なぜなら、3学期の内申点は入試に関係なくどうでもいいからだった。俺なんか授業50分間ずっと寝てたときもあった。授業でとある高校の過去問をやらされても白紙で終わり、0点を取ってやった。
でもさすがにこのままじゃまずいな、とおもって、俺とNが赤本をやり始めたのが確か1月20日くらいだったかな。
で、結局特色の過去問は一年分だけやって、同志社の赤本は数学を一年分だけやってから入試突入。
特色は落ちたが、同志社は合格だった。赤本勿体無ぇ・・・
で、また俺達2人はラノベ読みまくり、再び2月20日に一般の赤本をやり始めた。
で、今度はちゃんと赤本終わらせて、入試突入。
自己採点400くらいだったけど、無事受かった。
NとTも、それぞれの志望校合格。

2011年4月
膳所高校入学。
最初、みんな何も喋らなくて暗〜い感じだった。
おいおい、俺入る学校間違えたんじゃね?って思ったけど、
2ヶ月経つ頃にはみんな超仲良くなってる。学園祭の打ち上げとかすっげー盛り上がったしww
俺は今、ラノベ読む暇も無いほど勉強忙しいからラノベ読みまくり癖も治ったし、友達も普通にたくさんできて、軽音楽部で楽しくバンドやってる。
今最高に楽しいね。

受験勉強がんばれよ!!

オススメの参考書など:

赤本

通塾経験: あり
家庭教師: なし
通信教材: なし
得意科目: 英
苦手科目: 国 数 理 社

投稿日:2011/08/20



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