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先輩の合格体験

高校受験ナビに寄せられた、先輩の合格体験談です。

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合格高校:米子東高校(鳥取県)
名前:Never Give Up!!先輩

タイトルは気にしないでください。
10歳から米東だけを追い求めたしがない男子生徒の自分語りです。

僕は勉強が嫌いだった。それでも、小学生の時はほとんど100点だったし、中1の最初の頃は上位5%くらいには入っていた。全ては順風満帆だった。しかし
そう、あれは忘れもしない中1の2学期期末テスト。数学で学年平均を大きく割り込んでしまったのだ。あの時は泣いた。2時間くらい泣き続けた。と親は言っているが、自分ではどのくらい時間が経ったかなんて気にならないくらい泣いた。5教科合計で399点、初めて400点を下回った。
そこから先は、取り留めのない日々が続いた。中1が終わり、中2も部活に明け暮れていたら過ぎ去っていた。
中2の春休み、中3になろうかという頃。僕は、塾の世話になることになった。別に行きたくもなかったが、親が強制的に僕を連れていった。そこで、世界が一変した。
もともと田舎住まい(米子市外)で、他校の生徒がどんな風な勉強をしているのか、どのくらい賢いのか、全く想像できなかった。いや、しようとしなかった。「レベルが違う」そう感じた。勉強量、そして才能も、自分とは異質、というか、どう形容すべきか分からないが、とにかく覆しようのない、とてつもない差をありありと感じとった。
5月、最初の実力テスト。176点だった。塾で友達と話すと、彼は206点だという。彼は人数が多いG中の生徒で、学年では20番くらいだとか言っていた。愕然とした。僕の中学に、200点を超えた生徒は誰一人いなかったのだ。
7月の実力テストで、僕は197点を取った。これが僕のベストスコアとなる。だが、中途半端な点で自信をつけてしまった僕は、(部活の引退が8月まで長引いたこともあり)夏休みを棒にふってしまう。
8月の実力テストは160点、塾で提供されたデータには、内申と合わせて「米西にすら届かない」。無情な現実が突きつけられた。
秋は、特に特筆すべき進歩も退化もなかった。実力テストは、平均点に関わらず180点付近で推移していた。
冬休み。Twitterを始めたり、ラブライブにはまったりして、宿題すら終わらないまま3学期が始まった。更に言うと、塾で模試を受けたのだが、米東はE判定だった。生命がEならそうも絶望はしないが、普通コースがEだったのだ。合格可能性29%だそうだ。
1月。ニュースではセンター試験がどうのこうのと騒がしいが、中3生は米北、松蔭の特進の入試で忙しい。殆どの生徒にとってこれが初めての入試。
結果は、B特待。総受験者数は約600人。僕は165点をとって、165位につけた。なにか、165という数字を妙な縁を感じた。偏差値は、数学が50を切ったものの、社会なんかは60くらいまで伸ばせた。だが、併願校別順位は下半分に入っていた。
2月は、学年末テストがあった。自己ワーストを40点も更新した。学年の中でも3分の1に入っているかどうか。
倍率を見て、志願変更の時期。それでも、僕は米東しか見れなかった。9月に、中学時代の憧れの先輩に数年振りに偶然出会い、その時に言われた。「米東で待ってる」「また一緒に部活しような」敬愛すらする先輩を裏切り、西に逃げるくらいなら、東を受けて落ちた方がずっといい、そう思った。それに、僕自身、10歳の頃から追い求めた米東を受けずに終わるわけにはいかないと決めていたし、受かる見込みが低くても、やらずに後悔するよりやって後悔した方がいいと思い、親や塾、学校の大人たちの反対を押し切って米東を受験することにした。
当時の僕は、過去問を6年分解いた平均点が170ちょい、内申点は86点というレベル。塾で聞いたボーダーは280程度、僕の持ち点は256点。受かる気はしなかったが、3月に入ってからの約1週間は、食事、風呂、睡眠、勉強………本当にそれしかしていなかったように思う。最後の追い込みをして、ついに運命の日を迎えた。
ガチガチに緊張していたが、頭の中は存外リラックスしているようだった。
その日のうちに自己採点をさせる塾は鬼畜だと思った。震えながら回答と解答を照らし合わせていく。
結果は、193点。過去問平均が170、実力テストの平均が182ということを考慮に入れると望外の結果だが、内申点が異常に低いため、合計しても279点にしかならない。五分五分だな、と思いながら合格発表まで待った。
合格発表当日。親は車に残し、一人で正門を抜けた。しばし待つ。
教師がパネルを持ってくる!
生徒が群がり、歓声が飛び交う!
カメラのシャッター音が無数に聞こえる!
混乱状態である。人が集中しすぎて、近くに寄っていくことができない。モヤモヤしながら、人が散り始めるまで時間を過ごす。
隙間を見つけ、体を滑らせて人の波をかいくぐると、不規則な数字の羅列が目に飛びこんでくる。探す、ない、違う、そこは生命のゾーンだ、どこだ、ある、あった!!
思わず涙ぐむ。実った。ここまでこれた。よかった。今ごろ、親は何をしてるだろうか。車で待ってるんだろうか。そうだな、そうに決まってる。早く車に戻ろうかな、いや、点数開示に行ってからだ。
既に長い行列ができていて、見知った顔もちらほらと見受けられた。
開示。193点。どうやら自己採点はジャストだったようだ。面接はB、まあこんなもんだろう。279、多分ギリギリだったんだろうな。
車に帰ると、親が泣いた。写真を見せたのに、自分の目で確かめるだとかほざいて走って行った。早く家に帰ってゲームがしたかったのだが。

以上です。長くなりました。ここまで見てくれた人はいるかな?長いからね、いないかな?どうかな?
結局何が言いたかったかというと、内申86でも、模試E判でも、最後まで諦めなければ何が起こるかわかんないよって。そういうことなんですよね。
みなさんの、健闘を祈る。

入学してから留年しそうになって、今年もか、と思いながら受験生並に勉強したのは、また別の話。
機会があればいつか披露してみようかな………

オススメの参考書など:

特になし

通塾経験: あり
家庭教師: なし
通信教材: なし
得意科目: 社
苦手科目: 数

投稿日:2018/03/09



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