名門女子校の子が自分を超されて調べたら和洋出身だったとかじゃない。この子和洋でこの
偏差値なのになんでなの許せないとか。
勉強だけではなくて才能がある子もいるのかもね。
同じものをみても受け取り方は違う。基本自分の無意識。普段から嘘つかない人は人のことをあまり疑わない。自分が嘘つく人のほうが人をよく疑う。なぜなら自分が嘘をつくからそういう受け取りになってしまう。片方の話だけ聞いていると人間は意見が偏ってしまう。同じ現象をみても本来人によって受け取り方は違うはず。みな同じようにはみえない。みな同じようには受け取らない。本来みな同じようには考えない。通常は。意見は案外人に誘導されやすい。くをみてもくに見える人と算数の小なりに見えるひとがいる。多くのひとはひらがなにみえる。なぜなら文を読んでいるから。でも、小なりといってたら小なりに見えてくる。ひげを生えている人がたとえ正義の紳士だったとしても、誰かがあの人もとこのあいだまでホームレスで嘘つきだと言ったらみなそう見えてくる。だれかが噂を流し家なかったらしいよっていえばなおさら。彼は自分の悪評を聞くことはない。でだれかがホームレスだったの?彼は違いますといった。なぜ嘘つきといわれるのでしょうか?ホームレスだったんじゃないの?彼は、へ?なに俺は家あるけど?エリートだった。彼は自分がホームレスと思われていたことを知らない。え?なんで俺が嘘つきって言われんのと。家あるし、かれはホームレスなんて一言もいってなかった。勝手に周りのうわさが、俺家あるしって。は?ただひげがはいている紳士だった。っていう地味に怖いはなし。ひとはきいたみた情報を確かなもとしてそのラベリングどおりにみたいものがみえてしまうもの。