昭和50年代は門司区の中学生は門司区内の公立高校しか行けませんでした。
偏差値から言うと門司高校→大里高校→門司北→門司商業の順。因みに大里高校は
偏差値57〜60位の子が行くまあまあの進学校でした。国立大学にも40名以上送り出していました。九州大学や早稲田や東京6大学にも行く子も少なくなかったです。私は大里高校卒業して中央大学に進学しました。しかし、門司区内の高齢化に伴い第二学区が無くなり、児童数が劇的にへったあおりで門司区内の中学生は小倉や戸畑の高校も受験できるようになり、今までは本来なら大里高校に行く子が小倉西や東という進学校へ行くようになりました。それに門司商業と合併してもっとレベルが下がったのも原因です。同じ事が門司高校でも言えますね、、、今は門司学園ですが対した進学率ではありません。(昔は65近い難関校でした)私が大里を卒業した昭和50年代は
偏差値は60近くあったのに今は48です。悲しいですね。
あなたの文章力からは、
偏差値60の雰囲気を全く感じないのですが、なぜそんなに上から目線なのでしょうか
偏差値とか頭が良いとか、そんな学校では無かったですよ!私は1986年に卒業しましたが、ミュージシャンになるとか何とか生意気な事言っていた人も多分どうもなってないでしょう。唯一小浦君だけが、頑張ったと思いますよ。同窓会や学校合同のやつもあったみたいですが、いい年寄りが、昔話してそれでどうするつもりですか?過去に生きるな!人生は一度きりと思いますよ!悔い無く暮らして下さいね!それではさようなら!