その頃は地域で辰巳、西、明倫で選んでた時代ですね。進研ゼミの同じ
模試では錦=辰巳>西>明倫の点数が教師の中で話題になりました。
その後国立の合格者で、明倫>>西の時代もありました。
辰巳、明倫の没落で生徒が集まりやすいので昔より良くなってると思います。
昔のほうが受験厳しいですよ。昔の中学受験の人数と上位高の割合を比較すれば今は上位高はかなり入りやすいし、大学も昔は一般入試が多く、大学の定員少なくも受験生はかなり多いですからね。少子化で広き門です。かといって社会では実力主義ですから学歴に見合う能力が無い人は厳しいです。ちなみに金沢大学のレベルも相対的に下がってます。昔は錦でも合格者は20名いきませんでしたし、昔の先生の話では桜でも限られた上位しか行けませんでした。公立落ちても私立があるからなんて時代ではなかったですし、金沢高校の特別な進学クラスでも実績なかったです。明倫辰巳ができた頃はそんな時代ですか。その頃はたしか辰巳、西、明倫の順番でした。辰巳西は滑り止めが星稜が多かったはず。多分お母さんの頃のほうが大変な時代でしたよ。知人は実力テストで370点位で錦微妙で辰巳に行ったはず。二水は400位で受けてる感じ。500名の中学で40位が泉丘の目安,二水は80位が目安、錦120位が目安、それに辰巳、西って続いてた感じかな。ちなみに錦だと金大は厳しいって思われてた。それを考えたら今は大学も入りやすいよ。だから頑張れ!