高校の
国語の授業は自分で大事と思うことを自分なり記録をとるものです。
先生の板書を単純にうつす作業をしたりはしないはずです。
「凄まじく板書が下手」
先生は生徒に黒板に書いたことをそのままノートに写すことを望んでいないはずなので、板書が下手というより、自分でノートをとる力を磨くことを要求してるのではありませんか?
国語は自分でノートの記録を工夫するするので黒板をたんに写しても無意味だから それでいいのではないですか?そもそも板書にこだわる必要はないですよ。
私にとって板書なんてどうでもいいです。
先生だって そのつもりだと思っています。
自分も進学校卒業ですが、
国語の先生が担任で板書なんてほとんどなかったです。子供の担当の先生の板書が雑でも気になりません。
大事なのは熱のこもった授業展開をしてくれているかだと思っています。そのことが板書と比例してきれいな見事な板書であれば申し分なく満足するかもしれませんが、そんなカリスマ的な教師は少ないと思っています。
板書がうまければいい訳でもないですしね。
まあ 返信で事実確認はいまのところとれてないですね・・・・・
質問者さんはそのことを自分のおこさんからきいたのであれば、授業が下手で解り辛いと言っているのであれば、先生は変わらないと思うので、その上で対策練ることがよさそうですね。