私の桑名高校入学時は四校より高いと言われていましたが、卒業時に抜かされたと当時の先生からお聞きしました。
つまり当時は拮抗しておりよきライバル校の印象があります。現在母校の桑名が2番手校になったのは淋しいです。全く様子が変わってしまった様に感じます。
しかし現在の四日市高校のような猛烈な課題はありませんでした。課題は多いと感じていましたがこのような猛烈さではありませんでした。
当時塾自体も今ほどなかったので、塾に通うことも少なく、自学派が主流でした。放課後の自習室も特に解放されてなかったような気がします。
1群時代の昭和の話ですな。
というか、群制度の時は四高は南高と組まされて桑高と同じレベルに調整されてたんだよ(知ってるとは思うけど)
だから、当時の四高南高桑高を比べること自体意味がない
群制度の方針は地元の生徒は地元へという方針でした。ですので遠距離通学は基本ありません。
四日市は生徒数が多いので四校と南とでレベルを均等に振り分けていました。ですので四校と南は同じボーダーです。
そのような状況下で、私が桑名在学中に高校の先生から聞いた記憶は入学時四校よりボーダーが高かったのに、大学進学実績は四校のが高かった。と聞いております。
私自身が比較して論じようとしてるのではなくそのような話を当時の高校の先生から聞いた記憶がありますよ〜と単にそれだけのことですね。
追伸
四校と南のボーダーが当時同じと書き込みしましたが、たぶんです。そこは、高校の先生から聞いたわけでもありません。
ただ南と桑名とが比較されることはなかったです。
南と四校の知名度は絶対的に当時も四校でした。
だからどのように振り分けられていたのかわかりません。
>四校と南のボーダーが当時同じと書き込みしましたが、たぶんです。
多分ではなく当然同じです。それが群制度の根幹ですから。
振り分けは単純です。
合格者を1番から最下位まで機械的に交互に両校に振り分けるだけです。
通学距離などもまったく考慮されません。
群制度のおかげで桑名、神戸、松阪のレベルがアップしましたが、神戸だけが元のレベルまで下がってしまいました。
川越高校の新設の煽りをモロに受けた感じですね。
南高は群以前は神戸よりランク下でしたが、群が廃止された後もそれなりのレベルを保持してますね。
当時の桑名理数科は今の四日市国際科学くらいのレベルだったの?
当時 桑名理数科はありましたが、四日市国際科学はなかったんじゃないかな?間違っていたらすみません。
群制度廃止により国際科学コースが出来、桑名理数科よりも
偏差値の高いクラス編成を作ったのだと思っています。(憶測)
広い地域からより優秀な生徒が受験できる制度になり、さらに特化した優秀な生徒の育成を目指し国際科学科を増設したのではないかと考えます。私は四日市高校出身ではありませんので不確かです。
当時は今のようにIT化の時代ではありませんでしたしデータの公表をあまり目にする機会は少なかったので、耳にした記憶では、理数科は高かったと思いますよ。
しかし、常にその2校は入学してから、生徒より先生方がよい意味で競ってくれていたように感じていました。生徒は群制度のもとでは越境受験できないので他の地域の
偏差値をあまり意識することはありませんでした。
ご質問に的を得た回答ができなくてごめんなさい。
今ほど生徒や保護者の受験熱、進学熱が高くなかったので一概には言えませんが、桑員のトップクラスは当然のように理数科を目指し、三泗地区(南部の塩浜、内部、楠など)からも優秀な生徒の一部は理数科に来ました。
桑員の生徒で桑高普通科スレスレの人は一郡や、遠方の南高通学リスクを避けて川越を受けました。
理数科40名のうち、ざっと陵成光陵で20%、東員一ニで20%、三泗20%、その他40%といった構成でした。
卒業時の進路についても昔と今とでは比較し難いですが、40名のうち現役では東大、京大、三重大医学部に20%、早慶、他大医学部、名大クラスにも20%ほど行きました。当然前者の中には滑り止めで早慶に受かっている人もいました。
当時の四高・南高の進路実績は知りませんが、東大・京大には桑高理数科の方が現役で多く受かっていたと思います。
1郡時代は国際科学、南の数理なかったの?
川越高校の歴史は浅く 群制度撤廃後に出来た高校ではありませんか?
国際科学コースは群制度廃止後につくられました。
レベルの高い競争を避けた群制度をしてきた公立高校の進学実績ががた落ちし、クラスを学力で分けた私立高校(北部でいえば暁)の進学実績がのびてきたから、四日市高校も群制度廃止にあたってよりレベルの高い競争をさせる試みでしょう。
ちなみに、私の年の国際は半分が東大京大医学部にいったので当時の理数科より進学実績はよかったようです。まあ受けれる人の人数を考えれば当然でしょう。
私は群制度がスタートする前々年の四高の卒業生ですが、当時はっきりしてたのは先生方の諦めムードです。
2年後には四高はまったく別の高校になってしまうと多くの先生は嘆いてました。教師としてのモチベーションが下がれば進学実績も当然落ちてしまいます。
ましてもう一方の南高は当時菰野高校の一つ上のランクですから、今の西高かそれ以下のレベルです(関係者の方すみません)
津地区は新設の津西高校との振り分けですからまだよかったのでしょう。先生方は危機感というより本当に諦めムードでした。
そんな中で桑高の理数科も普通科も一気にレベルが上がりました。
以上、最初の質問者の方への回答です。
上の方の意見は本当に参考になります。
「昔は桑高も四高ぐらいのレベルだったんだ」と声高々と言う桑高出身の大人がいましたが、群制度の真っ最中でそんな事情も知らない人の声だったんだな、と思いました。
四日市南に関しては四高と群制度で組んだおかげで今があると言っていいようですね。そこまでとは知らなくて驚いています。
中高一貫の私立校が進学実績をのばし、群制度以前とは状況が違いますが、少しでも当時に近づいていければいいなと思いました。
それと同時に四高の歴史を感じましたし、当時のことを知れてよかったです。
もっとこの世代の方々に広い範囲に真実を話してもらって、今の若い親子の世代にその事実を認識してもらえたらいいのになあ、と強く思います。
>「昔は桑高も四高ぐらいのレベルだったん>>だ」と声高々と言う桑高出身の大人がいましたが、群制度の真っ最中でそんな事情も知らない人の声だったんだな、と思いました
当時群制度の生徒の立場で流れを把握できることはなかなか困難な時代であったことをご理解していただきたいと思います。またその歴史をたどることの機会は今の時代のように恵まれていません。
二つ前の方のご意見(群制度以前の方のご意見)を知ることが出来私もよかったと思います。
最初の質問者さんは群制度時代のレベルを質問されたいたのでそれにお答えできるならばと思って投稿した訳です。上の方の「声高々にそんな事情も知らないで」というご意見は失礼に感じます。
「声高々と言う桑高出身の大人」とはここにコメントされた人のことではなく、実際わたしの周りにそういう人がいたということです。
誤解を招いたならすいません。
ここにコメントにしている方々は自分が知っていることを敬意を持って伝えようとしているので「声高々」とは思いません。
↑了解しました。少し感情的になりごめんなさいね。
追伸
でも声高々になるのは、四日市が素晴らしい高校でそこよりも秀でていた時代の桑名を誇らしく思うのは母校であるなら当然な心理としてそんな表現になるんじゃないかな?少なくとも私はその一人です。そんな人たちを皮肉るのはどうかと感じます。四高とは切磋琢磨していたいいライバルなんだよ。四高のことを敵対しているひとばかりではありませんよ。ただあなたの周りの人はどうかはしりませんが。
それが群制度によってじゃないならともかく、群制度によって四高が南高と組まされて、そのおかげで四高南高桑高が同じぐらいのレベルになったことを誇らしく思うのはまだ群制度の真っ最中なら分かりますが、今もなおそれを言い続けるのはおかしいと思います。(それも桑高同士で言ってる分にはいいですが、四高やその他の人に言うのは誤解を招きかねません)
なぜなら今はもう群制度が廃止されて桑高や南高を四高が抜いて元の関係に戻りつつあるわけです。桑名に住む人も上位のほとんどが四高にいきます。つまりこれは群制度によって強制力がはたらいていたから桑名の上位層が桑高にいっていたに過ぎないのであり、桑名に住む人すら桑高より四高の方が魅力があると判断しているという証拠だと思います。群制度時代の人間なら今のこの有様を誇らしく思うのではなく、むしろ情けなく思うべきだと思います。群制度の時の話が今の生徒に何の関係があるんですか。南高にも同じことが言えます。
ですから今は誇りにも思うというよりかは、四高にはない良さをこの2校は追求すべきでしょう。私は皮肉っているつもりはありません。むしろ群制度時代の話を未だ誇りに思い、今の正確な情報とはずれた情報を流す方が皮肉っていると思います。(当然一部の人だと思いますが未だにそういう人はいます)
群制度の時代生徒だった方の中に、現状を知る機会が与えられていなければ、自然なながれであり故意に今の正確な情報と外れた情報を流しているとは限らないのでは・・・・
現状の認識がある方なら思慮深い話をされるかと存じますが。
現状を知らないのなら高校受験について安易に広範囲に話すべきではありません。
「現状を知らない」ということに気づかず故意ではなく言ってしまっているのなら、その人たちも含めて注意喚起しているわけです。
また、現状を知っているにもかかわらず思慮深い話が一部だと思いますがいるのです。
訂正
思慮深い話ができない人が一部だと思いますがいるのです
おそらく群制度の年代は30代半ばから50代半ばの人の発言で、昔はああだったこうだったと言いたがるもの。あなたが注意喚起なさるのはご自由ですが、昔をかたるのも自由ですから。また現状を知りながら一部のかたは思慮深い話ができない人を許せないあなたも、ストレスためないようにして下さいね。
このあたりでこの話 質問者さんから話題からずれているので終りに私はしますね。
昔を語る程度のものでわたりは注意喚起しませんよ。
本当に一部のノイジマイノリティーに対してだけです。
そしてそれにあなたは当てはまってませんよ。
あらゆる情報が錯綜してる中コメントするからにはそれを正して、正確に伝えたいだけです。思慮深い話ができない人が許せないわけでもありません。
いくつか前に書き込んだ名無し卒業生です。
学校群になる前の四高の話をあとひとつだけ書かせてもらいます。
私の学年では成績上位に桑員地区の人や菰野の人が目立ちました。
常にトップの人も大安町の人でした。
四日市高校は四日市市外からの通学者に支えられていたような感じでした。
群制度によって桑員の優秀な人達が四高に来なくなったのも痛手だったと思います。
当時の序列は理数科>桑名普通>1郡>川越だったの?
川越はそのときないよ
いえいえ、うちらの時代には既に川越はありましたよ〜 1990年前後における入試ボーダーラインはその序列で間違い無いです。
ただ、四日市在住の学生が学力だけを理由にわざわざ桑名普通科を受けに行くほどではなかったかも…
「当時」がいつの事なのか明確でないのに「あった」とか「なかった」とかおかしいでしょ?
つーか、質問が悪いです。
しかも「群」を「郡」って間違えてるし。
ああ1990年代の話をしてるんですか。
それ以前にコメントされてる方たちはもっと前の話をしてると思いますよ。
「当時」とはその時のことだと思いました。
80年代、四日市在住で、東大目指していた子は1群には進学しなかったの?高田6、暁6年制が強かったの?
公立中学に進学したら大抵1群いくでしょうに
群を避けて桑高理数科に行った人もいるのでは?
それはあるね
だからそんな時代の四高と桑高比べられても困る
せめて桑高理数科と一群全体の上位40人とかを比べないとフェアじゃない
均等に割り振ったというわりには
南が四日市を進学実績で上回ったことはなかったのって
成績超上位者は四日市、下位は南送りにされていたのではと思ってしまう