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清水谷高校のWiki
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基本情報
date:2019年1月31日 (木) 11:17 (UTC)
'''大阪府立清水谷高等学校の人物一覧'''(おおさかふりつしみずだにこうとうがっこうじんぶついちらん)は、大阪府立清水谷高等学校およびその前身校の主な出身者・教員・関係者などについての一覧である。

政治

・ 山本孝史 - 元参議院議員、元衆議院議員(高20)
・ 中野隆司 - 大阪府議会議員、大阪維新の会所属
・ 山本健治 - 元大阪府議会議員、元高槻市議会議員、フリーライター
・ 長谷川俊英 - 堺市議会議員

行政

・ 有冨寛一郎 - 元総務省総務審議官
・ 谷口禎一 - 元外務省駐イスラエル大使、駐ニュージーランド大使、在米国ボストン総領事、関西担当大使
・ 廣瀬徹也 - アジア・太平洋国会議員連合事務総長。元国際連合開発計画東京事務所長、外務省駐アゼルバイジャン大使

経済

・ 尾崎公子 - 大阪商工会議所女性会 名誉会長、オザックス取締役相談役。旭日双光章受章(本科37)
・ 平田泰章 - 元神戸製鋼所(神鋼)副社長。担当部長として、神鋼ラグビー部を率いて、初のラグビー日本一を達成
・ 岡野忠雄 - 元JR貨物常務取締役
・ 森正行 - コネテレ社長、テレビプロデューサー
・ 橘田喜和 - 元野村証券副社長(高10)
・ 川端嘉人 - 現代美術アーティスト、缶詰バー「mr.kanso」を展開する「クリーン・ブラザーズ」創業者
・ 田中由弘 - たこ焼きチェーン「大阪アメリカ村甲賀流」代表取締役社長

学者

・ 森本治枝 - 女性数学者の草分け。夫も数学者森本清吾、子は「森本おじさん」こと天文学者森本雅樹、西洋史学者森本芳樹など
・ 磯部琇三 - 元国立天文台准教授、日本スペースガード協会会長
・ 小田章 - 元和歌山大学学長(高14)
・ 松岡博 - 元帝塚山大学学長、元大阪大学副学長、弁護士(高9)
・ 島崎靖久 - 千里金蘭大学理事長・学長。山形大学名誉教授
・ 入口豊 - びわこ成蹊スポーツ大学学長。大阪教育大学元理事・副学長(高21)
・ 服部正平 - 東京大学大学院新領域創成科学研究科教授(高20)
・ 林祥剛 - 病理学者、神戸大学名誉教授(高25)
・ 小畑力人 - 観光学者、元和歌山大学理事、大学入試改革で著名(高17)
・ 杉本末雄 - システム制御工学者、元立命館大学名誉教授、GPS研究で著名(高17)
・ 碓井照子 - 奈良大学文学部教授、GISの先駆者、元GIS学会会長(高18)
・ 伊藤忠通 - 奈良県立大学学長(高24)
・ 堀口安彦 - 大阪大学微生物病研究所教授、分子細菌学の専門家(高30)
・ 養父志乃夫 - 和歌山大学大学院システム工学研究科教授、ビオトープの専門家(高28)
・ 山手正史 - 慶應義塾大学法科大学院教授(高27)
・ 宇佐見太市 - 関西大学外国語学部教授(高20)
・ 上善恒雄 - 街づくり・ユビキタス研究、大阪電気通信大学教授(デジタルゲーム)
・ 安井重哉 - 公立はこだて未来大学教授。ソニーVAIOUIなど設計。デザイナー
・ 谷口真由美 - 大阪国際大学准教授
・ 瀬尾芙巳子 - 京都大学名誉教授
・ 矢野米雄 - 計算機科学者、徳島大学名誉教授(高16)
・ 澤田淳 - 京都第二赤十字病院前院長、京都府立医科大学名誉教授
・ 高垣忠一郎 - 臨床心理学者、立命館大学名誉教授(高14)
・ 岡部守 - 農学者、東京農業大学名誉教授(高16)

文学・芸術・芸能

・ 森田松子(谷崎松子) - 作家谷崎潤一郎の夫人で、小説「細雪」四姉妹のモデル
・ 山口波津女 - 俳人。山口誓子の妻
・ 大橋敦子 - 俳人。『雨月』主宰
・ 花谷和子 - 俳人
・ 牧野文子 - 詩人、翻訳家。苦楽園開発の実業家中村伊三郎の娘。
・ 山下実 - 作家
・ 桝井寿郎 - 作家、井原西鶴などの日本文学研究者で「井原西鶴賞」を創設。梅花短期大学名誉教授
・ 塚本〜史 - 歴史小説家(高20)
・ 武部好伸 - エッセイスト、元読売新聞記者
・ スージー鈴木 - 音楽評論家、野球評論家、ラジオパーソナリティ
・ 須田泰成 - 脚本家、男性コメディ研究家、放送作家
・ 神田桂一 - フリーライター、編集者
・ 妣田圭子 - 「草絵」画家、舞踏家
・ 木谷千種(吉岡英子) - 画家、美人画。夫は演劇研究家(近松門左衛門研究家)の木谷蓬吟
・ 東孝光 - 建築家、6坪のコンクリート住宅「塔の家」、大阪大学名誉教授
・ 村上勝和 - 演出家、VFX制作
・ 豊竹咲寿太夫 - 文楽太夫
・ 浦田博信 - 作曲家
・ 湯浅富士郎 - オペラ歌手 (高13)
・ 高谷秀司 - ギタリスト
・ 友井唯起子 - プリマバレリーナ。法村友井バレエ団創設者
・ 豊川悦司 - 俳優
・ 安藤亮司 - 俳優
・ 河東けい - 女優、演出家
・ たくませいこ - 女優
・ 中野菜保子 - 女優、劇団上海自転車主宰。作家、演出家
・ 多加野詩子 - 女優、スタント・パーソン
・ 伶美うらら - 元宝塚歌劇団宙組娘役
・ 川西賢志郎 - お笑い芸人(和牛)、漫才師
・ 柴田昌平 - 映画監督(卒業は東京都立駒場高等学校)
・ 沖村志宏 - 映画カメラマン
・ 高田宏治 - 東映作品や角川映画作品の脚本家
・ きだつよし - 脚本家、俳優
・ 桂福車 - 落語家
・ 跡部蛮 - 歴史作家・研究家

スポーツ

・ 肥塚一晃 - 元サッカー選手、サッカー指導者、明星高校体育教師
・ 金光秀憲 - 元プロ野球選手
・ 森山漠 - ラグビー選手

その他

・ 川嶋紀子 - 秋篠宮文仁親王妃の祖母、元眞子内親王、佳子内親王、悠仁親王の曾祖母
・ 小山美秀子 - 宗教法人神慈秀明会創始者
・ 丸岡修 - 元日本赤軍テロリスト
・ 川崎裕子 - 弁護士、大阪弁護士会副会長(高22)

歴代校長・教職員


・ 大村忠二郎 - 初代校長
・ 薄恕一 - 初代校医
・ 藤沢茂登一 - 2代校長
・ 生田鹿之丞 - 3代校長
・ 高柳清 - 4代校長
・ 西由巳 - 5代校長
・ 永井幸次 - 音楽家、大阪音楽大学の創設者、「大阪府立清水谷高等女学校」時代の校歌を作曲
・ 池内友次郎 - 音楽家、現校歌を作曲
・ 吉永孝雄 - 文楽研究者、羽衣学園短期大学(現羽衣国際大学)元学長

校名:大阪府立清水谷高等学校
過去校名:大阪府清水谷高等女学校
大阪府立清水谷高等女学校
国公私立:公立学校
設置者:大阪府
設立年月日:1901年
記念日名称:創立記念日
創立記念日:4月28日
共学・別学:男女共学
課程:全日制課程
単位制・学年制:学年制
設置学科:普通科
学期:3学期制
高校コード:27143J
郵便番号:543-0011
所在地:大阪府大阪市天王寺区清水谷町2番44号
緯度度:34緯度分:40緯度秒:29.5
経度度:135経度分:31経度秒:29.3
地図WikiData:yes
公式サイト

'''大阪府立清水谷高等学校'''(おおさかふりつ しみずだにこうとうがっこう)は、大阪府大阪市天王寺区にある公立高等学校。

概要


全日制普通科を設置している。1995年以降前期・後期の2学期制をとり、半期で単位認定する科目も開講している。2学期制導入直後の一時期65分授業を導入していたことがあったが、50分授業に戻されている。7時限目の開講などにより、他校と比較して多くの授業時間を確保している。

1901年に大阪府清水谷高等女学校として現在地に開校した。開校の際に大阪市立第二高等女学校(1900年開校)を吸収合併する形になっている。

同窓会組織は清友会と称する。同窓会はかつて清友学園高等学校(のち公立に移管し大阪府立清友高等学校)を運営していたことがあった。

開校の経緯

1900年2月、当時の大阪府知事・菊池侃二が『大阪府教育十カ年計画』を策定した。当時高等女学校の生徒や入学希望者が急増していたことをふまえ、府費で高等女学校を大阪市内に増設することを決定した。

一方で『大阪府教育十カ年計画』では大阪市内の中等教育について、大阪府は普通教育学校を中心に運営し、大阪市は実業教育学校を中心に運営することを原則とした。このことにより大阪府が高等女学校を一元的に運営することとした。

1900年時点では府立高等女学校は存在せず、大阪市内には大阪市立第一高等女学校・大阪市立第二高等女学校の2つの大阪市立高等女学校が存在した。大阪市立第一高等女学校は現在の大阪府立大手前高等学校の前身であり、大阪府立として創立したが1889年に大阪市へ移管された経緯がある。大阪市立第二高等女学校は1900年4月25日、大阪市南区千年町(現在の大阪市中央区東心斎橋2丁目)にあった千年小学校(大宝小学校分校)の元校舎を使用して開校した。

従来の大阪市立の高等女学校2校は1901年4月に大阪府へ移管されることになった。その際に大阪市立第一高等女学校は大阪府中之島高等女学校として、再び大阪府立として移管・改編設置する形とした。また大阪市立第二高等女学校は新設の府立高等女学校に合併させる形で生徒を編入する形を取ることとした。

新設の府立高等女学校は、大阪市東区清水谷東之町(現在地)に設置することに決まった。同地は江戸時代には武家屋敷が存在し、明治時代には日本女子大学校(現在の日本女子大学)の開設予定地となっていた。しかし同校は東京・目白に開設されることが決まったため、清水谷に高等女学校を設置することにした。

1900年9月5日の文部省告示194号により、新設府立高等女学校の1901年度の開校が認可された。新設の府立高等女学校の校名は当初、大阪府第一高等女学校と告示された。しかし大阪府ではその直後、旧制中学校・高等女学校(1901年4月開校予定の学校含む)について、設置順の番号で名付けられていた従来の校名を廃止し、1901年4月より学校所在地の地名からとった校名へと一斉に改称することを決定した。このため開校直前の1901年3月12日付で大阪府清水谷高等女学校の校名が告示された。

1901年4月15日に大阪府清水谷高等女学校として開校した。その2ヶ月後の1901年6月3日には、大阪府立清水谷高等女学校へと改称した。1901年4月8日に文部省令第11条が出され、中学校・高等女学校などの名称について「○○県立・○○郡立」などの形で設置者の名称を冠することが義務づけられたことに伴うものである。文部省は各道府県に対し、命名規則に沿っていない既存校については6ヶ月以内に変更することを指示した。大阪府はこの指示を受け、同年4月に改称したばかりの「大阪府○○中学校/高等女学校」の校名について、「大阪府立○○中学校/高等女学校」へと一斉に再変更することになった。

清水谷高等女学校

1916年には創立15周年記念として、同窓会・清友会の運営により、私立大阪技芸女学校が東区清水谷東之町で開校している。大阪技芸女学校は1921年に清友会の運営から離れている。

1924年には鉄筋コンクリート校舎への改築を実施している。従来の学校敷地の一部を玉造警察署の移転地として割くことになり、創立以来の校舎の老朽化も相まって、中層の鉄筋コンクリート校舎として改築することになった。

1929年には昭和天皇即位記念として、南河内郡恵我村(現在の松原市)に郊外農園を開設した。農園は1938年に中河内郡八尾町大字山本字東通南3丁目(現在の八尾市山本地区)に移転した。しかし山本の農園は大阪電気軌道(現在の近畿日本鉄道)から鉄道の引込線用地として譲ってほしいと要請がきた。代替地として中河内郡曙川村大字柏村(現在の八尾市柏村町)の土地が提供され、1942年に曙川村に移転した。郊外農園敷地はのちに清友幼稚園となっている。

1941年には紀元2600年記念事業および創立40周年記念事業として、同窓会・清友会により私立清友学園高等女学校(のちの大阪府立清友高等学校)が設置されている。

太平洋戦争に伴い1938年以降生徒の勤労作業がおこなわれるようになり、1944年には3年生以上の生徒が枚方造兵廠へと通年動員された。

1945年6月1日の第二次大阪大空襲では校舎や講堂・倉庫を焼失した。この空襲では、校内にいた職員1名と生徒4名が死亡するなどの人的被害も受けている。同年6月15日の第四次大阪大空襲でも校舎に焼夷弾が落下して出火しているが、このときは人的被害はなかった。

清水谷高等学校

学制改革により、1947年に過渡的に併設中学校が設置され、旧制高等女学校2・3年相当の生徒が新制中学校2・3年として移行した。1948年に新制大阪府立清水谷高等学校が発足した。

1948年4月28日には、近隣の大阪府立高津高等学校(旧制大阪府立高津中学校)と、新制高校1年・併設中学校3年の生徒および教職員を交流し男女共学となった。旧制清水谷高等女学校生徒はくじ引きにより、新制高津・清水谷の両高等学校に振り分けられた。男女共学を実施した4月28日を、新制高等学校としての創立記念日と位置づけている。

また1948年4月から、校舎の一部を新制大阪市立天王寺第二中学校に貸し出し、同校と同居した。当初は新制中学校への校舎全面転用による清水谷高等学校の廃校も検討されたが、校舎転用は一部にとどまった。新制中学校は1951年8月に独立校舎を建てて退去している。

1962年には音楽学科の設置構想が持ち上がったが、実現はしなかった。

1969年には学園紛争の影響を受け、一部生徒グループが学校をバリケード封鎖する事件も発生している。

1987年には校舎改築の調査費が計上され、校舎改築が具体化した。1990年より改築工事が始まり、1995年4月15日に新校舎竣工式典が実施された。

1995年度には2期制・65分授業が導入された。65分授業については大阪府立大手前高等学校とともに、大阪府立高等学校では初めての導入となった。また2期制についても、前年度の1994年度より導入していた大阪府立布施高等学校・大阪府立天王寺高等学校に次ぐ、大阪府立高等学校では3例目(大手前高等学校と同時導入)となっている。65分授業については2007年度より、通常の50分授業へと戻されている。

年表

・ 1900年4月25日 - 大阪市立第二高等女学校が大阪市南区千年町で開校。
・ 1900年9月5日 - 大阪府第一高等女学校として設立認可の告示。
・ 1901年3月12日 - 大阪府清水谷高等女学校の校名が告示される。
・ 1901年4月15日 - 大阪府清水谷高等女学校として現在地で開校・授業開始。開校の際に大阪市立第二高等女学校を合併。
・ 1901年6月3日 - 大阪府立清水谷高等女学校に改称。
・ 1901年6月12日 - 開校式を実施。
・ 1929年 - 郊外農園を開設。
・ 1945年6月1日 - 大阪大空襲で校舎等被災。職員・生徒5名死亡。
・ 1948年4月1日 - 学制改革により大阪府立清水谷高等学校となる。
・ 1948年4月28日 - 大阪府立高津高等学校(旧制高津中学校)と生徒・教職員を交流し男女共学化。
・ 1948年4月30日 - 校舎の一部を大阪市立天王寺第二中学校(1949年大阪市立高津中学校)が借用。
・ 1949年 - 郊外農園を廃止。
・ 1951年8月24日 - 高津中学校(現・夕陽丘中学校)が独立校舎に移転・退去。
・ 1962年 - 高校生急増対策として校舎増築。
・ 1995年 - 2学期制を導入。新校舎竣工。
・ 2003年 - 文部科学省から学力向上フロンティアハイスクールの指定を受ける(同年度より3年間)。
・ 2007年 - 国立教育政策研究所教育課程センターより、教育課程研究校に指定される(2007-08年度)。

出身者


大阪府立清水谷高等学校の人物一覧

交通


・ Osaka Metro長堀鶴見緑地線 玉造駅より西へ約600m
・ Osaka Metro谷町線・長堀鶴見緑地線 谷町六丁目駅より東へ約700m
・ JR西日本 大阪環状線 玉造駅より西へ約900m

参考文献


・ Cite book和書
author:大阪府立清水谷高等学校百周年記念事業実行委員会
year:2001
title:清水谷百年史

・ Cite book和書
author:大阪府立清水谷高等学校
year:2011
title:清水谷はひとつ 深める力、時代へ繋ぐ 大阪府立清水谷高等学校創立110周年記念誌

・ Cite book和書
author:新修大阪市史編纂委員会
year:1994
title:新修大阪市史 第七巻
publisher:大阪市史編纂所

・ Cite book和書
author:大阪府立清友高等学校50周年記念事業実行委員会記念誌委員会
year:1990
title:はばたく清友50年 - 創立50年の歩み

注釈

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外部リンク


大阪府立清水谷高等学校
同窓会・清友会


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