続きます。
県立高校の教員は全体への奉仕者であって一部(個人)への奉仕者ではありません。ですから生徒ひとりひとりを救うことはできず、その義務も責任もありません。
ですが、こういうことは別です。つまり、ひとりの生徒を救うことにより、その子が将来、全体を救うことになる、結果的に全体への奉仕となるのです。
実際、教師も人間です。全ての生徒を教え、全てを成功に導くことなどできはしません。しかし、全ての生徒を成功するように導く努力をし、その結果として、たったひとりの生徒でも将来成功させる、社会貢献に成功させたならば、それでその教師はその職責を果たしたことになるのです。
何でこれが今の先公どもにはわからないのでしょうかね。昔の高校の先生方はどこでもよくわかっていらっしゃいました。
お父さんが病死された貧しい家庭「お母さんに渡して下さい」と担任の先生から封筒を渡された同級生、中には足らない2年分の
授業料が入っていました。禁を犯し、こっそり先生方がカンパされたものでした。その子は医師になり、今、離島医療の最前線に立っています。
教師以前に人間、助け合いってものはそういうものではないでしょうかね。
さらに続きます。
千葉県で調査結果が示されました。
2017年現在、高校生でアルバイトをしている人にその目的を訊ねたところ、「生活費のため」と答えた人が51%、「進
学費用のため」が18%。
さらに進
学費用をどうするかの質問に対し、親が全てを払えず、アルバイト代や奨学金で賄うという人が半数。
さあ、この厳しい「現実」にどう学校が応えるかだ。県立高校だから当然、応える義務がある。大体、広島県は調査もしていない。怠慢もいいところである。