理数科卒です。昔話になりますが、我々のころは東大・京大・国立医学部などそれなりに名のある大学に合格していたので、現在とのギャップは否めません。大学がすべてではありませんが、その後それなりに社会的な立場や責任を持って、社会人やっています。
大学がすべてではありませんが、後輩の皆さんも高い目標を持って頑張ってほしいものです。
自立創造・向学求心です!
創立から間もない時期にあの坂を登っていたOBです。卒業後鹿児島に居住することもなく鹿児島を訪れることもあまり無いまま間もなく還暦を迎えます。当時校内の施設やグランドを生徒が整備することがままあって、文字どおり自分たちでこの学校を作り伝統の始まりにいることを実感していました。ブレザーや妙な制帽姿を奇異に見られることがあっても自分たちは誇りを持っていたものです。学校が何処にあるかとの質問に動物園の隣と答える地勢的不利や、厳しくて行きたくないよねとの世間の評価は何十年経っても同じでしょうか?
偏差値や大学進学動向が高校の価値ならば当時と比べても振るわないのでしょうが、今の錦江湾にも魂はあるのではないでしょうか?いいものを持ってるんだと期待し応援してます。
その昔、学区外からは公立高校に入れず、鹿児島市外の優秀な中学生は公立の進学校に通うことができなかった時代に、錦江湾高校の理数科は学区の区別なく入学することができた。元々理数科限定の寮があったのも遠隔からの生徒のため。今ではいわゆる5%枠で鶴丸に合格する優秀な生徒が錦江湾の理数科に集まっていたわけだから、その頃と比べてレベルが落ちるのは当然。生徒のポテンシャルが違う。
鹿児島市内南部の普通科公立高校の中では、最低レベルの生徒が集まる学校になっています。原因はひとえに「立地条件」。
交通の便の悪い学校は廃れていく…錦江湾に限らず、すべてにあてはまる大原則です。
甲陵・鹿児島東…かつてはそれなりのレベルの学校でしたが、通学が不便で、生徒の減少にともなって定員割れを起こし、一気にレベルが下がって、甲陵は廃校、鹿児島東はもはや見る影もありません。
市内中心部にある交通の便のいい普通科高校が2〜3校なくなれば、錦江湾にも生徒が流れざるを得ないでしょうが、それでも一番喜ぶのは私立高校で、中央駅から1時間近くかかる通学の不便(当然通
学費用もかかる)は、何物も乗り越えられない高く大きな壁でしょう。
もう一つは学区の縛りの緩和ですね。地方の中学生が市内の高校に入学するには、錦江湾の理数科しか選択肢がなかった時代と比較するのがナンセンスだと思います。
OBが一番いい時の思い出で「なぜこんなにレベルがさがったのか…」などと言っているようではダメですね。
鎖国していた時代に偉そうにしていた武士が、特権をすべて失って、その多くが没落した…それと同じ「時代の流れ」です。
子どもの数はピーク時の3分の1…その時代と同じ物差しで測ることが可能だと思っている大人が一人でもいる限り、錦江湾の…と言うより、鹿児島県の教育の復権はないと思います。
「既得権益」を守るためなら、未来への展望などそっちのけという、廃れていく地方に共通してみられる特徴です。
鶴丸と甲南を閉校にするぐらいの勇気があれば、何か変わるかも知れないと思いますが、同窓会の年寄りが黙ってないでしょう。言い出した人は確実に暗殺されますね。
1980年代後半から1990年代にかけ受験競争が激化した時代、そうですね錦江湾高校理数科の10期生から20期生ぐらいにかけてだと思います。その当時は悪名高い5%枠なるものがあり鶴丸高校に地方から入学するにはかなり障壁があったと思います。錦江湾高校の理数科は当時定員が80名ありまた学生寮を備えていましたので県内一円離島も含めハイレベルな中学生が集まってきていました。しかしその5%枠もなくなり鶴丸や甲南、そして私立高校の台頭もあり時代に取り残されていったのだと思います。また立地条件が平川の僻地にあり通学に時間がかかるということもあり少子化の昨今受験生から疎まれてしまったのではないでしょうか。学歴が全てではありませんが悲しいかな日本と言う国で立身出世するには学歴は大事です。