さていよいよ本題の鹿児島大学医学部医学科の話になるが、ここの入学試験であるが、
英語と
数学の、ここ数年の
過去問を読んでいるが、はっきり言わせてもらうと
英語は易しいと思う。
数学もひねりは少なく、母校の勉学の積み重ねで、今でも十分に満点取れる気がするのだ。息子が受験した帝大医学部と比較すると、今の俺でも一年ほど勉強すれば受かるんじゃないかと思えるほど、素直な問題が多いと思うね。他の学部を受験される生徒さんらと共通問題であるだけに、帝大系の医学部や、かつての国立医科単科大学と比較して、難問奇問が少ない気がする。なぜここに今の甲鶴が進学数を減らしているのか不思議に思うね。もしかすると、いまの甲鶴は俺たちの頃よりも、勉強量が少ないんじゃないかとさえ疑うほどなのだ。あるいはホントは、悠々と受かる力があるくせに、ラサールや鶴丸に対する無意識の気兼ねから、自分は受からないと思い込んでいる生徒さんが多いのかも知れない。昔、漫画ドラえもんで、こんなお話があった。のびた君が水泳で上手になろうとドラえもんにせがむと、自分の家の小さなお風呂が広いプールに見えてくる特殊眼鏡を与えられた。眼鏡をかけると催眠術にかけられたように彼はお風呂で泳ぐことができる。ところが何かの拍子で眼鏡が壊れてしまうとプールが、どんどん広がってゆき、のび太君は風呂から上がれずにお風呂で溺れそうになるという笑い話だ。俺は、今の甲鶴の生徒さんらは時代に翻弄されすぎて、自分は国立大学医学部には絶対に合格できないと思い込む特殊眼鏡をかけさせられているような気がするのだ。甲南より鶴丸の方が顕著かもしれない。そのために、ホントは、ほんの少しがり勉努力すれば受かる力があるのに絶対に受からないという思い込みから、受験相手の難易度を必要以上に下げておられるのではないかと思うんだよね。俺の推理想像では、おそらく母校の先生方は、鹿大医学部レベルの理数
英語科目なら悠々と満点取られるはずだ、少なくともご自分が教えておられる科目に対してならば、俺自身も大昔の二次試験で満点だったんだから。思い込みと言うのは恐ろしい、自分の本来あるべき姿を自分でゆがめてしまうから、未来ある君たちのために一つ面白い話をしておこう。この掲示板は、匿名会話であるからお互いが相手を想像しながら対話する。鶴丸の掲示板では、俺は医師を偽る妄想狂の詐欺師という捉え方をする鶴卒の方々がおられ可笑しく思うことがある。ホントに俺を詐欺師と信じて疑わないので、俺もどう弁明していいのか解らないのだ。ところが、じゃっかん3−4名の頭脳明晰で、東大や京大東京の一流大学を現役入学ご卒業されておられる先生方は、俺の文章を読んだだけで内容を深くご理解され嘘偽りのないことを信じて下さっている。通りすがり1先生、通りすがり2先生らがそうだ。ご自分の強い意志と御努力で最難関を現役で乗り越えられた先生方は、小生の話を読んでも、御自身の体験と比較して真偽をすぐに見分けられるのだと思う。自分で難関を乗り越えた経験のない御方には、そもそも難関を乗り越えるのにどれだけの勉学が必要であるか実体験がないので、俺が一生懸命に、真面目な気持ちで話していることも、医師でもない人間が他人から認められようとして妄想を語っているとしか理解できないようだ。時には、通りすがり1,2先生方と小生が同一人物であるような思い込みをされる御方もおられ、真実を語ることの難しさを痛感する。だが逆に言うと、鶴卒で最も聡明なお二人と俺が同一人物に見えるということは、難関を乗り越える勉学の考え方は、方法を究めるほどに類似して来るのだということが解る。つまり受験勉学成功への道筋は、途中過程では色々な試行錯誤はあるけれども成功した先においては、そこから得られる学問を究める秩序や方法論や考え方は、それほど異なるものではないと思うのだ。最優秀の鶴卒OB先生方や、小生が仮に、甲鶴の生徒さんらのための予備校をつくり教鞭をとったとしても、おそらく彼らや小生はお互い喧嘩することもなく仲良く淡々と授業方針を決めてゆくのではないだろうか。そして彼らが若き日に東大生、京大生、自分が医大生の塾教師、
家庭教師として、多くの教え子たちを難関国立大学へ送り込んだように、青春の学びを一からやり直すことになるのかもしれない。学びて、時にそれを習う、あに楽しからずや。学びの繰り返しは楽しいだろう、そこに必ず新しい発見があるから。
内緒さま
俺の息子のように経済環境が抜群に恵まれて、九州大学医学部在籍中の、優秀で心優しい学生さんが週二回以上
家庭教師として、教えに来てくださり、手取り足取りつまずかないように勉強の面倒を見て下されば、その中で公立高校のカリキュラムを完全にマスターするのみならず四谷学院の秘密兵器を完全に修得してしまえば、難関大学に受からぬ方が可笑しいと思うよね。同じ環境を与えたらおそらく甲南高校のすべての生徒さんが現役で難関に合格するのではないだろうかと思う。鹿大医学部医学科百名突破も夢ではないだろう。そんな素晴らしい環境づくりということを夢見ながら、現実にどうしたらそれに近い環境がつくれるだろうかということを考えてみよう。目指す鹿大医学部医学科合格を想定して。鹿大医学部の
数学、理科の問題は、おそらく母校の理数系トップクラスであてがわれる教科書、参考書、問題集、シラバスプリント類を完全に消化マスターしとけば、とりあえず大丈夫だというのが俺の考えだ。東大医学部を現役合格され精神科医師としてカリスマ評論家としてもご活躍されている和田秀樹先生は、理数科の参考書や問題集は、難問を解くことに時間を潰すよりも、解答解説を何度も読んで書いて理解記憶してしまえと受験対策本に書かれているが、この考え方には俺は自身の経験からも100%以上賛同している。高校の授業では、理数科の教師たちは自分の力で難問を時間をかけて解くことを強要する。まるで君たちがアーベルやガロアやニュートンでもあるかのように。しかし当の教師達は職員室ではしっかりとネタ本を隅から隅まで読んで板書できるように自身を訓練づけてから君たちに授業を施す。そうであるなら解答解説はあらかじめ君たちに与えられていたほうが、先に独学していたほうが効率的にマスターできると思わないかね。もちろん授業にはルールがあるので型破りの方法を勧めているわけではないが、難問を解くことに時間をかけすぎるよりも、解けない問題は後に回して解けるところから先に解いてゆき、残りの時間は教師先生から教わった解放術の復習にあてるとか、独習用の参考書や問題集を、先読みして何度も何度も反復練習し記憶してしまったほうが効率よくマスターでき実力
模試や対外
模試の高得点にもつながると俺は自身の経験からも信じている。自力で出来ないことに無駄な時間を使いすぎて自信喪失になるよりも、出来ないことを教師やライバルに笑われようとも気にせずに、出来るところから解放術をマスターし、教科書、参考書、問題集、シラバスを早め早めにマスターできるように工夫した方が良い。(優秀な
家庭教師がおれば簡単なんだがね。)
英語の場合だと、語彙力を身に着けるには数多くの文章を読むことだと思う。和文訳と語法解説の詳しいリーディングの参考書があれば、赤ペンでアンダーラインを引きながら、早め早めに英文と和文を比較しながら読み比べてゆくと語彙力が急速に高まる。自身の経験では、チャート式の英文和訳の独習書を一冊繰り返し読み切り、内容を完全に覚えこんでしまうと、普段の英文の宿題でも、あまり辞書を引かずともわりかた早めに英文が読めるようになる。この訓練を、高校の三年間続けていた俺は努力のかいあり九州内国立大学の
英語の試験は、ほぼ満点取れるほど実力がついていた。600選の丸覚えも悪くはないが長文参考書を読みこんで完全にマスターする方が、語彙力速読力を身に着ける早道だと俺は信じている。そして前向きで自分に解りやすい独習ほど、意外に時間が早く過ぎ去り気が付けば夜更けまで勉学し続けているのである。小生の睡眠時間は、一日四時間程度、土日にまとめて8−9時間取っていたが、日々が寝たか起きたかわからぬような生活であったが、そのくらい時間をかけて勉学しないと、鹿大医学部の二次試験で満点を取るほどの解法技術を身に着けることは俺の場合は不可能だった。勉学の方法はひとそれぞれだと思うので、ここまでにするがご参考までに小生の我流術を書かせていただいた。では失礼。
さらに芸術に詳しい愚妻は、音楽の世界を引き合いに鹿児島市の受験教育を次のように分析する。彼の有名なジャズピアニストのヨシキは、ショパンやリストの最難曲も美しい旋律で弾かれているが、彼は少年時代日本やアジアを中心とする国際ピアノコンクールで数々の受賞を得ていた。クラシックという王道を進めば、彼は必ずやショパンやチャイコフスキーピアノコンクールで優勝入賞を果たしていたはずである。その彼がなぜに、ジャズに転向したのか理由はひとつ、経済力がなかったからだという。チャイコやショパンで入賞するには、少なくともモスクワ、ワルシャワ、ジュネーブ、パリなどの最高の音楽院でmasterを取得しなければ、そのレベルの演奏技術を身に付けなければ世界と戦うことが出来ない。留学には、大きなマンションビルを二棟建てるほどの億単位のお金が要る。中流家庭の彼の経済環境では、イグザイルの神様になるくらいが関の山だったろうということだ。(彼がジャズ界で、自分の体を壊すほどにストイックになられる御姿に愚妻は心から同情している。経済の壁に阻まれた天才の心の叫びが聴こえるからだという。)このことを鹿児島市の受験教育に置き換えると、今は大都会の最難関に進むには、お金の高い有名受験予備校か有名
家庭教師センターを利用しなければ、不可能に近いほど現役合格が難しくなりつつある。美しい愚妻は、(時々夜のお相手をしながら)小生を金蔓に使うことで息子に惜しみなく金を使えたが、鹿児島市の標準的な経済状況では、とりわけ貧乏人も多い公立受験進学校では、個人のご家庭で大手予備校を利用することには限界があり、それを利用できない貧しい御家庭も無数にあるため、個人や個人の家庭単位の御努力では、天才的な能力をお持ちでもショパンコンクールへ進めなかったヨシキさんと多くは同じ運命をたどるだろうというのだ。やはり県政、県教委、市政、市教委が公立高校と一丸となり、県全体でこの危機難関を切り抜けるという令和維新を起こさなければ薩摩の未来は開けないと言う。真に考えさせられる問題である。