総合選抜時代、長崎5校は国公立大現役合格数を競い合い数字上げるために、生徒が望まない大学でも半ば強引に受験指導してました。沖縄県の琉球大学の本土からの進学数いつも1位が長崎でした。単独選抜になると西高は国公立大が国立難間大に変わっただけで体質はかわってない。本人が志望しない学部、学科への進学は大学中退の大きな要因です。特に理系だとモチベーション上がらない時点で留年可能性強いから。知人で九州大学は農学部なら通るからと電子工学志望だったのに変えさせられ、合格入学しましたが、全く興味のない専門分野の勉強に身が入らず留年が続き中退したのがいます。
古い人間の想い出話です。私の頃はいわゆる総合選抜制。西を希望しましたが当時の新設、山の上高校へ回されました。志望は超難関校、できれば九州を出て首都、古都あるいは商都をめざし、がんばりましたが一歩及ばず。後悔しているのは高校で、同じ志の仲間が少なかったこと。切磋琢磨がありませんでした。これからすれば今の西高は理想的です。天国です。
学費も安いし交通の便も良い。学部より大学のブランドです。社会に出ればすぐわかります。卒業して幾星霜。定年も近くなった我々に聞いてください。ご父兄、本人の迷いも晴れます。評価してくれるのは大学名です。勿論その先には本人の実力が重要です。どのような分野でも学問は無限です。学問は常におもしろい。面白くなければ学問では無い。農学、工学、医学、理学、大差ありません。わたくしの子どもは何とか貴高校へ入れて頂きました。結局、九州から出られませんでしたが、充分頑張ったと感じます。負けるな。なんとか中央を目指せ、偉くなって、学者になるか、権力の座について、そして郷土の星となって長崎を盛り上げてほしい。西に入れて頂いた時。子どもに言い聞かせてきました。今の西高の方針は正しい。進学指導の先生、支持しますよ。自信を持ってください。さもなくば今の志望校制度が無意味になる。不満があれば出てゆけばよいのです。私どもの無念を晴らしてください。
私も社会人として、学校のブランドは大きいなと感じます。
よぼど、何かの資格をとりたいとか、確固たる希望があれば別ですが、そこまで固執していないなら、ランクの上の学校に行ったほうが将来的に就職にも有利です。
学部まではあんまりみんな気にしませんし。
こじまよしおも早大だけど、教育学部で、教員免許とれなかったと言ってました。
でも早大卒芸人ってしか一般的には知られてません。○○大法学部の方が
偏差値高くても全国的には○○大卒より早大卒のほうが、別格扱いなんですよ。
先生の言うことも一理ありです。したがうかどうかは、本人が決めればよいだけです。
私の子は、まだはっきりやりたいことが決まっていないので、できれば、旧帝国大を目指すよう話しています。地方国立大とは世間の扱いが違いますから・・・・
上のような理屈です。
総合選抜時代には、自分の希望より上の大学などではなく、本人の希望を優先する・・・これが西高のよさでした。担任によって多少の違いはあったかもしれませんが。なんといっても「自律の園」でしたから。どこまでそうだったかは別として・・・。現在は、HPを見ても、このようなやり取りを見ても変わったのだなぁと隔世の感ありですね。在京同窓会の会報誌をみて、昨年同級生と話したのですが、進路情報で、難関大とそれ以外の国公立大学という分け方している時点で、かつての母校とは違うなと。
個人的には、本人が医学部に行きたければ目指せばいいし、他の学部もしかりと思います。親が決めることでも、担任が決めることでもない。
偏差値でいえば、国公立と私立は同等に考えられるものではないが、そう受け取る人も世の中には多く、母集団が違うからという話をしても分からない人も多いですから、何を基準にするかは、自分で情報収集すればよいことです。それができるかどうかが大切なのでは?
親は、そういうことを教えればよいと思います。担任がなんと言おうと、志望校を決めるのは本人。そこがはっきりしていれば、親子で悩む必要なんてないはずだし、結局合格できるかどうかは
模試の
偏差値と相談すればよいだけのことでしょう。
旧帝大目指せるなら目指せばよいし、理系の場合、昔から地方の国立大学と一部の上位私立が就職には有利。それは昔から変わらないです。
文系だと、上の方が言われている感じでしょうか・・・
大学に行って何がしたいか、はっきりしなくても、自分が目指せそうで、なおかつ自分が学びたいと思える学部を希望する、時代が変わってもそれでいいのでは?と思います。
総合選抜時代と現在の西高では全く異なる高校になったということに理解が無い所謂卒業生が多いですね。あの頃はとか、我々の頃と比べてとか、既に死語に近い。学校名を変えないと、極めて重大な誤解が生じます。いつまでも母校、母校なんて言ってると在校生からボコボコにされますよ。