確かに以前は
偏差値は70はないものの千葉・船橋・東葛飾に次ぐそこそこの高校でした。それが、体育専攻の教師が校長になったり、政治的に偏った思想の教師が多かったり(卒業式に於ける日の丸・君が代問題)、いつの間にか3年生の演劇が恒例化(3年生夏休みにまるで便利出来ない)したりで大学進学実績が落ちてきました。
そんなわけで成績優秀な中学生や進学塾担当者は国府台を避けるようになったのが一番の要因です。
それで、国府台高校では「復権国府台」を目指しているわけです。
約37年前は、薬園台と同じレベルで
偏差値65くらいでしたね
国府台の凋落振りは寂しい!!
復権国府台は最早無理の 状態になってしまっている!!
3年生の演劇等は自由参加にするとかして、勉強に励んで欲しい。校風に流されていると後で大変なおもいをするからね。
「今を大切に」!!
付け焼き刃だけど、
制服を一新してはどうかな?
あの制服は地味過ぎる。
どんな形でも人気がでたほうがいい。
指定校推薦はいい大学が揃っていると聞いたことが有るけど、もっとアピールしたほうが良いのでは?
生徒を第一志望の大学に本気で行かせてあげようと思っている教師が少ないんですね。
数年居れば他校へ人事異動になってしまう公立高校ではそう思っている教師が多いのは事実ですが・・・。
教師が一丸となって「進学第一」を掲げた授業をすればすぐに復権国府台は出来る筈です。
かつて3年間だけ実施された学校群入試の影響も有りますね。
国府台は昔がかなりレベルの高い高校だったから、昔を惜しんで今を残念がる卒業生がいろいろ書き込むんですね。
復権すると良いですね。
高校三年間はアカデミックな雰囲気を存分に満喫して、一浪して早慶マーチに入るのが王道パターンでしたが、昨今の日本の経済情勢ではそんな贅沢許されないんでしょうね。
9月の鴻陵祭のために3年の夏休みに劇の練習をしているそうです。これでは難関大学に受かるわけありませんね。
そうすると成績上位の中学生は入学してきません。どんどんレベル下がりますね。
昔は演劇祭が無く合唱祭だった。合唱祭に戻す。
隣の中学を和洋国分校舎に移転させ、ここに付属中学を設置する。将来、医科歯科大校地があけば、本校グランドにする。
夏冬春の休みには、予備校講師を呼んで希望者に補習をしてほしい。市川市に高レベルの高校がないのは寂しい。近隣市に負けるな。
昔の敷地図によると、当初は第一中学部分を含み江戸川まで高校敷地だった。その後、中学に割譲したので狭くなった。この敷地を返してもらうことが必要。
平成30年度県資料によると、高大連携は東葛京葉地区で断トツに一番多い。千葉大、医科歯科、法政、国学院、東邦、千葉商科、和洋、麗澤の8校と提携している。
令和4年度県立高校改革推進プラン第一次によると、国府台は令和6年度から教員基礎コースを設置するね。
国府台復権には、まず演劇祭を合唱祭へ変更すること。女子制服を一新すること。第一中学を入学選抜できる付属校にするかまたは第一中学には国分に移転してもらい跡地に県立付属中学を設置する。休みには予備校に補習してもらう。
以上ができれば、復権する。演劇の好きな生徒は演劇部に入り発表すれば良い。
昭和56年度の国公立大学合格者数は116名と3桁合格者数だった。昭和62年度も93名。
在校生には言いたい。「3年の夏に演劇祭準備をするのは人生に致命的マイナス。」「目をさませ」「受験勉強が好きか嫌いかが3年の夏でわかる。」「受験勉強が自分にはむいていることがわかる人もいる。」「演劇祭は自由参加にしたら」「目をさませ」クラス団結は合唱祭でもできる。
演劇祭の歴史は、昭和47年から起きた校舎の国分地区への移転問題と密接だ。移転に対して49年に生徒会が反対決議をした。50年夏にPTAが承認決議した。これで移転がなくなった。昭和50年秋に演劇が1クラス実施、51年に全クラス実施となる。平成15年度より3年生の総合科に演劇がなった。現在の総合科内容は不明。その後の演劇祭結果として本校に来るような生徒が私立か他校へ向かい、またレベルダウンにより本来着任できなかった教員も着任できるようになった。大人は本校生の情熱を利用している。だから、復権を言う校長がまともである。目をさませ。3年の夏に演劇準備をするのはまともではない。出演者になりたいのは少数と聞く。
公立高校凋落作戦が過去50年間実施され、その主戦場が国府台だ。昭和47年から50年にかけての移転問題、昭和50年から53年にかかる学校群。これで人気が落ちた。最後に昭和51年から開始された3年生演劇祭だ。自発なのか他者の誘導があったのか不明だが、青春の思い出の皮をかぶった餡は人生破壊のオウンゴールだ。いまだに洗脳は解けない。毎年オウンゴールを入れ続けている。目をさませ。3年生でやることではない。
昭和50年に3年の1クラス演劇実施。この時に1年生は学校群入学者、昭和51年3年全クラス演劇実施で1年生2年生は学校群入学。何かあったか?まさか演劇祭開始と学校群が結びつくとは。47年間続く演劇祭は学校群の置き土産だった。そろそろ演劇祭は終了しよう。目をさませ。
どういういきさつで演劇祭が開始したかは現在では調べられないが、この時1年生か2年生が演劇を実施するやり方であれば、凋落はしなかった。学校群入学の下級生たちと3年生の間で、3年生演劇が決まったのは奇異な感じがする。思い出つくりなら3年生に限定されない。1年生2年生の方が勉強に被害が少ない。結果として3年生の受験結果が〇がるのは誰でもわかる。未必の故意か?47年間も流されているな。演劇祭について自分の頭で考えろ。目をさませ。たとえ分断が出ても乗り越えろ。
国府台高校、進学校体制を敷いて在校生に思う存分勉強させてあげて欲しいですね。
今の進学実績じゃあどうしようもありません。
昭和40年代に東大理科三類(医学部)に千葉県から合格者が出た。千葉高、木更津高、国府台高校だ。
国府台高校には進学校に復権して欲しいですねぇ。
今や、大学進学面では国分が肉薄してきている。私たちの時には
数学は習熟度別クラスの授業だった。綺麗ごとではない、やる気の無い生徒と一緒にされちゃかなわない。1〜3クラスぐらい難関大学進学クラスー設けて勉強に力を入れて欲しいです。
5年春は、千葉大4名、北大、東北、九州、都立大各1名。早大3,慶大2名。ここから、毎年上昇してほしい。やはり4年春が最低だったか。演劇祭は無くしてほしい。
今年から、都立高校15校(2番手3番手高校)は予備校講師を呼んで、無料の校内予備校を土曜日に開設する。千葉県及び国府台高校もそれに続いていただきたい。演劇祭は無くせよ。
自分の時代もゆるくて父兄からは評判が悪かったという話は聞いている。当時1浪して早慶理科大マーチ辺りが多かった。自分も浪人するのが当たり前と思ってたので、今考えると恵まれてたのかな。
5年春最終結果は、千葉大4名、弘前大2、北大、東北、新潟、農工、都立、九大、宇都宮各1名、早大4、慶大3、上智5,理科12、明治44,青山10名か。進学補講の成果が少しでてきたか。別件だが、東大理科3類(医学部)には、昭和40年代1名以外にも、昭和50年代か60年代に1名合格者が出た記憶がある。