子供が
偏差値70前半の都立高校に通ってるけど休み時間に勉強してても別に浮かない感じだそうです。
都立は学校が多いから
偏差値2〜3で輪切りにされててほぼ同程度の学力の生徒があつまります。
佐原高校の
偏差値は65だけど中の生徒は50半ば〜70前半ぐらいの分布だと思います。
そういう意味ではトップ校〜中堅校の生徒がいっしょくたに集まってる感じの学校だと思います。
トップ校の生徒にとって勉強は当たり前のことだけど、中堅校の生徒にとっては勉強より部活頑張ってる方がかっこいいというのは全国共通。
トップ校ではガリ勉でも馬鹿にされませんよ、むしろ一目置かれます。
佐原高校に入学時点では東大を狙えるような生徒でも、よっぽど強い意志を持ってないと残念な結果になってしまうと思います。環境ってとても大事。まあ、与えられた環境のなかで精いっぱい頑張るしかないんだけどね。
そう、この高校は入学時に旧帝早慶を狙えるような生徒や
偏差値40半ばの生徒は絶対に入るべきではない
習熟度別クラスじゃないからこれらの生徒が一番損をする
逆に
偏差値50前後は地方国公立狙いで丁度いい
ただし、地方国公は就活で物凄く苦労するけどね
廃校になった中学出身の先輩の独り言。進路は、旭農高、小見川高、佐高の選択肢があった。旭農は二年先輩が東北
大学に現役合格していた。小見川は近かった。佐原高は千葉大医学部現役合格の先輩や東大法科現役合格の隣の叔父などの出身校だった。母親は小見川に入って農業の婿になることを強引に勧めた。反発もあり結局は佐高に入った。佐高ではあまり優秀でないものの、入学時から「俺は東大に入る。」と高言し、一浪して東大経済に入った面白い奴もいたが、私は野球部や下座俱楽部で楽しんでいた。野球部での利得は通信簿で体育に5がついたこと、お蔭で小学校を通じて初めて通信簿がオール5となり、高校3年間オール5は続いた。東大医学部に入ろうと願書を出したが、金もなく母親も反対し医者への魅力もなかったので試験日前日別進路に変更した。大学へは実家からの補助は皆無だったので浪人は出来ず、貯めた高校時代の奨学金10万円を持って入学したが、学生運動ばかりで授業は4年間殆どなかった。その上、大学院修了段階になって初めて自分は勉強が好きでないことを悟ったので、教授推薦の国立大助教授の職を断り就職した。就職後は、飄々と言いたいことを言って過ごしたが、大半が面白くもない人事系や管理の仕事を与えられた。採用
面接では、旧帝大からの応募者が多かったが、最近の東大生は面白味がなく、東大の名がなかったら採用はしない人が目立ち、採用しても多くの東大卒がダメになっている。学生時代からの友人の教授にどのような教育をしているのか問うと、友人も嘆いていた。その友人も先日、駒場校舎で退官記念講演を行った。私も社長や
大学の同窓会支部会長を終了する年となった。息子は、私が医者になりたかったことをどこで知ったのか、それを理由に私の母校で内科医の博士になり、アメリカに留学してしまった。私は実家からの仕送りは大学院までの6年間殆どなかったが、遠かったこともあり親の面倒も殆どみれなかった。同じように子供にも援助は殆どしていないので、今後の面倒も期待をしていない。そのような人生から、昔を思い返すと、母親からの勧めの通り小見川高校に入って、農家の婿になるという選択肢も良かったような気がする。婿になっていると両親や親戚、幼馴染などとの頻繁な交流ができた。お蔭で佐原などの故郷を失ったような気もする。小見川高に行った親友が関東の国立大に入学、銀行勤めしているので、小見川高校に入った私が本当に婿になったのかは分からないものの、佐高に入ったことで大学進学が既定路線となった気がする。ただ、佐高には面白い友人も多かったし、学校やクラブも面白かったので、人生にとってマイナスではなかったような気がする。欲を言えば、卒業後のOB会や同窓会をもっと活性化して欲しい。小見川高校や旭農高への選択肢も良かったような気もするが、大学は、入ろうとすればどこでも入れるし、金がなくても何とかなる。要は本人次第だと思うが、どの人生が良いかは別問題だと思う。