上記の卒業生の方が言われるのは本音です。大学というのは、もしかしたら人生における本当の友人に会える機会であり、人生の最も有意義なときです。私は、残念ながらそのような友人が少なかった。というよりも、尊敬できる友人に会えなかった。
早慶にも優秀な学生が多くいます。しかし、その反対に、この人は本当にここの学生かと思うような人もいます。残念ですが、事実です。
特に、私立大学の場合、2〜3科目に特化して、一般入試を受験するか、OA入試で
小論文と
面接で無事入学するか、指定校推薦で入学するか、付属校から繰り上がりで入学するか、現在は多くの入学方法があります。特に、OA入試は、帰国子女(バイリンガル、男性ももちろん含みます。例えば、親が商社で外国勤務となり、家族ごと一緒に外国に住むなど)に有利な
英語等が話せれば、絶対的な武器になります。
極端に言えば、
英語の1科目で入学できるということになります。
小論文は、
家庭教師や塾で要領を指導してくれます。早い話が、
数学や理科、日本史が出来なくても、もっと極端に言えば、漢字をろくに書けなくても、
英語、ドイツ語等が、スラスラできればいいのです。
人間は、総合的な知識で様々な思考が生まれるのであって、極端な知識しかない人は、視野の狭い考え方しか浮かばないと考えられます。
だから、多くの科目を学習することは、決して人間形成に無駄にならないのです。大切なことです。
近頃は、「世界史」を軽視していますが、グローバル化の現在は、むしろ「世界史」を学ばずに、その国で現在起こっている事柄を理解することはできません。
例えば、最近では、米朝会談が不成立になり、さらにシリアで紛争が行われているのはどうしてか、難民が増加しているがどうしてか、イギリスでEU離脱問題でもめているがどうしてかなど、その原因について知るには、「世界史」を学ばなければ理解できないことが、特に現在起きています。だから、必要不可欠なのです。
名大クラスの学生が集う所では、そのような幅広い知識を持った学生が多くいるのです。いいですか、
偏差値病にかかってはいけません。
偏差値が2や3違ったところで、人間としてどれだけの違いがありますか。
偏差値は、10年経てばまた変化するのです。
偏差値というのは、同じ母集団における位置です。国立と私立、ましてやOA入試で入学する学生と一般入試で入学する学生をどうやって能力を測るのですか。
つけ加えるのを忘れていました。大学院は、自分の専門をより詳しく勉強したいので進学するか、もしくは、理系だけど、経済の専門分野や法律を特に勉強したいなどで進学する人もいる。自分の将来のために、幅広い知識を学びたいと考えている人も多くいる。