日体大のエッサッサや
東京農大の大根踊りは知ってますか?
神高体操も同じように伝統です。
神戸高校では「体育」の授業で「神高体操」を全学年で6〜7時間程度おこなっており、評価基準を設けて評価の対象にしています。2018年04月27日回答とのことです。
伝統を感じられていいのですが、評価の対象となることと、女子のジャニー○のコンサート的盛り上がりで変なマウントができちゃうから、嫌に思う生徒も多いと思います。
四日市ドームに昨年から変更になったのは、何度も天候に恵まれなかったからです。
体育祭が四日市ドームになったのは話長々校長おじさんの強行です。
え?!プリントの説明は嘘だったのですか?
話長々って笑笑
四高の子が言ってたけど、ほとんどの先生方が話が手短で要点がまとまってていいって笑
伝統に恥じずって話したら、みんながんばると思ってるんですよ。
中学の部活で伝統好きな先生いた。その前までのやり方変えて、1年前に作ったやり方を伝統として伝えてほしいと言われた。めっちゃどっちでもいいけど。
伝統って、理由になるのですか??
なるようですね。
伝統に対して評価って、訳がわからないと思いませんか?
中学まででは聞いたり、おかしいと感じことはないですか?
評価が苦痛です。
高校の自己アピールの為。自己満足に付き合わされる
これが嫌で受検しやん人もいるのに、まだやってんの?
鈴鹿市ではトップクラスの進学校ですとか、鈴鹿のリーダー的存在ですとか、鈴鹿市民からの評価も高いです、のために神高体操は受け入れなくちゃいけないらしい。俺は体質的にムリだわ、、
さよなら高校生活、さよなら内申、、
ノレなくてハブられる俺が悪いのさ、、
なぜ日本人は「伝統」や「前例」を守りたがるのか? その理由を作家の藤井青銅さんは「伝統マウンティングにある」と考えている。近著『「日本の伝統」という幻想』で体育会系に蔓延する「伝統マウンティング」的に、新入りは先輩より劣った存在だという関係性を構築したがると書いてある。「伝統」維持のための「マウンティング」ではなく、「マウンティング」維持のための「伝統」。
伝統が好きで、とても大切だと思っている……けれど、あなたがどう判断するかは自由だ、というタイプ。面白いことに、ジャンルを極めたプロほど「基本さえわかってくれれば、あとは自由でいい」という人が多い。
反して……だから、あなたもこの伝統に従うべきだ、というタイプは、周囲にも強制したがる。本人は「よかれと思って」いるので悪気はない(だから、やっかいで面倒なのだが)。
タチが悪いのが実はそれほどその伝統へのリスペクトはないが、これを持ち出せば相手は反対しづらいので、方便として伝統を持ち上げている。これが、「社会制度」などの大きな枠組みや個人の心の内面にまで関わってきて、「日本古来の伝統を変えるな」「日本人は昔からそうやってきたのだから従え」「伝統的な文化・しきたりを絶やすな、守れ」となる自分たちが信じ、守ってきたナニカが否定されたように感じ、それは自分という人間を否定されたようにも思うのだろう。場合によっては、自分たちの地位が脅かされることになるかもしれない。既得権益と権威の維持と保護だ。日本の組織はこれが多い。前例踏襲で、変わらないことが第一の目標。「なにもしないことのためにはなんでもする」という、なんだか不思議な労力をいとわない。実はこの人たちが、変革に難色を示すのだ。伝統を信奉するあまり、変わることで生き延びようとする伝統にブレーキをかけ、かえって衰弱の手伝いをしてしまうことがある。いわゆる「ひいきの引き倒し」という状態だ。
さて、神高の伝統はどう伝わっているでしょうか。