一応申し上げておきますが、横浜〇嵐は私立大学は最終手段になっている高校です。早慶あたりに行きたいと思って入学している生徒は皆無かと。
翠嵐の学年
偏差値50くらいの人だと早慶に受かったら良かったね。という感じです。翠嵐は上位層と中位層以下では全く別物です。上位層は早慶受かってあたりまえですが、中位以下はのべた通りです。中の下位からはマーチがスタンダード。下位になるとマーチに受かるかどうかです。というか下位になるとまじめに勉強してないです。
誤解を防ぐために言うと下位でも勉強はしてますがきちんとしてないということです。
湘南は一人一人が頑張るからね。
翠嵐とも違うし、他の高校ともちょっと雰囲気違う。
高校なのに大学みたいなところがある。
その上部活や行事もやらなきゃだし、歴史がーOBの方々がーと独特。
でも、入学してから両校では
偏差値が5くらい離れてしまう。もちろん翠〇が5くらい高くなる。
日頃の努力の差が卒業時までに進学実績でも出てしまう。
生徒たちが自主的に国立大学を目指すのが良い学校の証拠
翠嵐は強制的に国立受験させるのか?
翠○、殆どみんな国公立大志望という事。
進路は、自由に決めなさいというのが校長先生の方針らしい。
翠嵐はカリキュラムのせいでほぼ強制的に国公立を受けさせられますが生徒はそれを自分で決めたことだと錯覚しています。
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偏差値レベルの高い高校で2高学力者の集積度の高い高校ほど3進学校なら難関国公立大学、国公立医学科を目指す生徒が多いのは全国どこでも、公立、私立、国立大学附属に関わらず同じです。
何も言わなくてもおのずと目指します。
湘南は123で翠嵐にかなわないだけです。
だから、受験結果で負けているんです。
昭和50年代前半までの湘南と令和の湘南が質が変化した別個の学校です。
今なら翠嵐のようなやり方の方がいいように思います。
湘南は個人が個人として多方面に頑張ることを要求されますが、社会で必要とされるスキルが磨けるかというとそうでもなく、効率が悪いとも言えます。
あと、湘南も落ちこぼれる人多いです。
東京にも当てはまりますが、東大国公立医に受かる力のある子達が中学受験で私立や国立大学附属へ多くが抜けるから高校受験に残る高学力生徒の絶対数が昔より激減。
首都圏全体に当てはまります。
学区廃止で少ない高学力生徒が横浜翠嵐に集約化していますが、もともと横浜と川崎北部に学力上位が多いので遠い湘南を選ばなくなっているのも事実。
難関国立大学や国公立医学科の進学で私立と張り合えるトップ公立がないと高学力生徒の公立離れに拍車をがかかり、翠嵐や日比谷の伸びはそれを食い止め力になっています。
埼玉の浦和もそうです。
学区細分化以降の神奈川県はそういう状況に陥りました。
勉強のかなり得意な子が100%私立流出ではなく、公立に来る、公立も選択してくれるという意味です。
公立で勉強がかなり出来る子達に応えられる教育を提供できる学校の存在。
翠嵐はその役割を認識して変わり、湘南には役割が困難になりつつあるということでは?
どうしても昭和50年代前半までの湘南の状況と今を比べて、あれこれ言われてしまいます。
昭和50年代の卒業生です。私のころは神奈川県の最優秀層が湘南に集まっていました。しかし、今はどうでしょう。学力層が段違いです。そんな生徒たちに昔と同じことを要求することが無理です。三兎を追えと今でも言っているようですが、現実社会での人間関係はむしろ個人主義的になっていて湘南的価値観が通用しなくなっています。これからは翠嵐高校の時代になっていくでしょう。確かに50年代までの湘南と今の湘南は名称と所在地が同じだけで別物です。あと、在校生・卒業生でなくても湘南の校歌は学校HPでも知ることができますが、歌詞がもう今の湘南には合っていません。
↑それを言っちゃあおしめえよ。