済々は運動部が部活に力入れすぎ。クマタカの部活なんて一部の個人競技で強い人と野球・サッカー以外は趣味の集まりみたいなもん。勉強の方手間の気晴らし程度の活動しかしてない。入ってても練習たまにしか来ない人もおるし、それをいちいち咎めるような雰囲気でもない。
2個上のコメ
そうです
戦前の難易度
1高3高>官立医専>海兵陸士と書いてあるけど、本当なの?それなら戦前旧制玉名中(玉名高校)の官立医専と陸士に進学する割合は高かったらしい。明治41年の1回生から10回生までで、5年卒業者で医学部・歯学部(歯学部のみ私立)に72人も進学している。陸士にも26人が進学している。(1学年、郡部の中学だから約45人程度の卒業生です。)3回生(明治43年卒)なんて41名中10名が医学部に進学している。その他も2回生・8名、4回生・12名と医学部に進学している。陸士にも5回生・4名、9回生・5名と進学している。その後も医学部・歯学部進学者は減らず、11回生・6人、12回生・8人、13回生・12人、14回生・6人、15回生・9人、16回生・11人という具合だ。最後に大正9年の旧制玉名中(玉名高校)の進学資料が見つかったので掲載します。
第五高等学校・5名
第七高等学校・1名
熊本医学専門・6名
長崎医学専門・4名
歯科医学専門・1名
熊本高等工業・7名
陸士・2名
海兵・1名
海機・1名
詳しい方、済々黌の戦前と比べてどうかお教えください。よろしくお願いいたします。
追加です。現在はあまり振るわないけど、一昔前の玉名高校の進学実績、結講すごくないですか?九州の郡部(県庁所在地以外)で国公立大学合格者数が150名、200名、250名と1番早く到達したのも玉名高校だったみたいだ。昭和46年・150名、昭和54年・215名、昭和62年・273名と言うように。平成2年は295名が国公立大学に合格している。(生徒数が済々黌より100名少ないです。)昭和50年は九州大学合格者数が済々黌・13名に対し、玉名・14名となっている。何で最近の玉名は今一なんでしょうか?
玉名中学は陸軍の軍人で大佐以上に昇進した卒業生が10名を超えているそうだ。また、海軍の提督を3人も輩出している。(福田良三中将、広瀬藤蔵少将、由布喜久雄法務少将)その内、由布法務少将が海軍省の主要幹部である法務局長を歴任している。熊本県の高校で海軍省の局長を出したのは玉名高校(玉名中学)のみらしい。済々黌は陸軍系は偉い軍人は多くいるけど、皆途中から幼年学校へ転出してしまっているから正式な卒業生(5年卒業)や準卒業生(4年修了)じゃあないんだよね。そこが残念。熊本で正式な卒業生や準卒業生で陸軍で最高位は玉名中の中川州男中将(8回生)、海軍でも玉名中の福田良三中将(1回生・準卒)かな。
熊本高校と済々黌はどちらが上か解らないね。
玉名高校と済々黌はどちらががどちらか見分けつかないね。(権威大好物)
熊高の運動部は突然変異的に実績を残すところが多いですね。最近で言うと2021年のテニス部はインハイ、ラグビー部は7人制優勝・全国出場、総体準優勝・九州出場、2022年の野球部は県ベスト16
あと、済々黌の運動部の熱量=熊高の文化部の熱量だとは思いますけどね。逆に済々黌でも勉強に力を入れている人は思いのほか多いとおもいますが