毎年かは不明ですが子供の時は1年生の学年主任の先生が卒業中学校に行かれて(かなり遠方の場合は電話で聞かれるそうです)担任の先生や部活の先生、該当の先生が出張等でお留守の時は校長先生に生徒の中学時代の様子を聞かれたそうです。
国泰寺から遠い中学校出身ですがたまたま下の子供の入学後4月か5月頃に主任の先生を中学校近くでお見かけしたので子供に確認させたら上の用事でとお答えがありました。
入学後、はるかぜ合宿や体育祭に向けての行進練習等お忙しいバタバタの最中にそのような事まで!と驚きましたが、安心して子供を任せられる学校だなとつくづく思いました。
子供から聞くだけですが国泰寺の先生は細やかでよく見てくださってるなという印象です。
わからないときには直接、中学校に出向いて校長、担任などから話を聞くことがあります。特に不登校やいじめ被害者であったと思われるお子さんの場合などです。また入学後、残念なことになったときにもあります。ただこれは国泰寺高校に限らず、公立高校ではどこでも同じです。
あの全校回りですね…あれはちょっと違うんです。
広島県は文科省通達に従い「相対評価」をなくして(いわゆる
偏差値輪切りの全廃)内申書をオープン化、代わりに各県立高校は各中学校に学校情報の提出を求めるようにしたことからなんです。要するに、例えば各中学校は各中学校の5段階評価の根拠を各県立高校の求める形にして別途、提出しないといけない。けれども同じ県立高校でも中学校に訊きたいことは各高校それぞれに別ですから、結局、中学校は生徒ひとりひとりの希望=受験校に合わせてひとつひとつの作成になり、中学校側の作業量は莫大なもの、高校側も各中学校から提出されたデータをもとに「平均化」の作業が発生、これもまた莫大な作業量となりました。さらに国泰寺高校は県立、中学校は主に市立で、先生は県職と市職で全く別。ご協力感謝を兼ねて、意見伺い(自校からはどのくらいの質問までであったらあまり負担にならないかの意見聴取)で挨拶回りをしているというわけです。
まあ、内申書開示裁判で行政側が敗訴したこと、またこうすれば一部のところ、具体的には定員割れを起こしたときの合格最低点や、人物評価の方法など、個人の利益にかかわる、かかわりかねないところを除いて高校入試の全体を公開できる、さらに何と言っても細かな個人別評価を徹底できる利点があることから、広島県は全体として国の方針通りにしているわけですが、中学校、高校ともに負担が大きくなり、作業担当者数が増えた、結果、かかる費用=税金も大きくなったでまた別の問題発生です。このことから別の行政体、例えば大阪市などは通達に従わずに(通達は命令ではありませんから、従わなくてもよい。)今も相対評価のままとしていたりもします。
「内申書なし」=当日試験のみにしてしまえば一挙解決なのですが、内申書廃止について国民は「NO」ですし、増税もまた「NO」、ならば全中学校で「統一定期試験」とすればどうかなどという意見も今、出てきていますが、これはそもそも憲法違反の乱暴な意見(前提として、例えば「国定教科書制度」としないと不公平になる。そんなことは絶対にできない。)で、どこまでも難しい話なんですね…。
まあでも根本はこの50年に渡り、義務教育が荒れている、それを半世紀経っても解決できないことから、社会、当然、高校も中学校を「信用できない状態」になり、こうなったということで、もうタイガイ「先延ばし」はなしにして、考えなきゃいけないと思うのですがね。