ニッポン放送とフジテレビみたいなもんです
違いますよ
分校ではありません
兄弟校です
ニッポン放送=済々
フジテレビ=熊高
上手いこというね!
すみません。そもそもニッポン放送とフジテレビの関係をよく知りません。
分校と兄弟校ってどう違うんですか?
1900年、当時の済々黌の生徒数があまりにも多くなり、「中学校編制及設置規則」に反するようになったため全生徒を二分割し第一済々黌と第二済々黌とすることになった
第一済々黌には文武両道やら士官学校やらを目指す生徒が多く進み、
第二済々黌には旧制高等学校を目指す生徒が多く残った。
つまり両校の関係は本校・分校という関係ではないので、これを「一幹両枝」という。
その後第二済々黌が熊本高校(熊本中学)に改名しても進学熱の強い生徒は
熊本高校に進み、文武両道な校風を好む生徒は済々黌に進むようになった。
だから上級学校への進学実績は差があるが入試難易度はそれほど変わらない。
もともとの済々黌には多くの美術品があった。済々黌分離の時に両黌で「形見分け」が行われ、多くは熊本中学が所蔵することになる。
素心人の書は勝海舟の書。「飾りのない潔白な心の人」という意味。
ほかに三條実美、井上毅、副島種臣、山岡鉄舟、徳富蘇峰らの書がある。
県の考えとしては
校名を「済々中学」と「熊本中学」とするものであったが、
熊本中学の初代校長となる野田寛先生が、 伝統ある「済々黌」という校名を残さなければいけないと主張して
「熊本県中学済々黌」 「熊本県熊本中学校」となった
黒髪に新しくできたのが第一済々黌で、
元の場所には第二済々黌が残ったそうです
その後、第二済々黌も大江に移転したそうです
兄弟校として、仲良くしていったらいいんじゃないかな?
熊高と済々黌の親善試合もいくつかの部活で行われているようだし
保護者によるお互いの授業見学の交流もあるし
なるほど兄弟ですか。
じゃあ兄は済々ですか?
じゃあ、双子校といえば満足かな?
双子はちょっと違うのでは?
第1済々黌・第2済々黌という時代を考えれば、双子という表現が最も適していると思います。
現在の済々黌は名前こそ受け継いでいますが、分裂する前の済々黌そのものではありません。文武両道の精神を受け継ぐ済々と、学業で県内トップであり続ける熊高、この両面が合わさってはじめてもともとの済々黌という一つの学校を表すことができるのではないでしょうか。
そう考えると、一人の人間の右半身と左半身といった表現のほうがしっくりくるかもしれませんね。
「サンデー毎日」(2015年4月5日号)に、
「1900年に済々黌から分離した第二済々黌が熊本だ。その際、生徒を振り分けたが、バンカラ気質を済々黌に残し、ジェントルマンのような人物を第二に移したと言われている。」
と解説されていました。
「バンカラ気質」より「ジェントルマン」の方が成績優秀だったのでしょうね(苦笑)。
え?分校じゃないんですか?
分校じゃないですね
熊高も今の済々黌もどちらも同じく
昔の済々黌の分割校
難しいことは分からんが、歴史的に済々が上、熊高が下ということは変わらないと思う。
歴史的に、どちらが上でもありません
済々黌のホームページの「学校沿革」にも以下の通り記載されています
↓
明治33年(1900年)4月
城南分校を県に寄附し独立の県立中学校(熊本県第一 中学校、12月より熊本県八代中学校と改称)とし、
本校を二分し第一済々黌、第二済々黌と称し、
第一に天草分校、第二に城北分校を附属させ、
第一は黒髪村 の新校舎に移り、第二は元の校舎にあり、
更に済々黌一切を挙げて県に寄附し、恩賜金と済々黌の名を存続せしめる条件で
12月1日より本分校とも全く県立と なり、
第一済々黌を熊本県中学済々黌と称し、
第二済々黌を熊本県熊本中学校と称し、
共にもとの如く分校を附属させる
↓
つまり
分校:八代高校・天草高校・玉名高校 の3校
本校:熊本高校 済々黌高校 の2校
済々黌の公式の文献のどこにも
「熊本高校を分校とし…」との記載はありません
「済々が上、熊高が下」と言う考えが一体どこから出て来るのか不可解だが、そもそも学校を上や下で位置づけるのがおかしいのではないか
本校が上、分校が下、とさえも言えない
上記の5校も、
みな同じ高等学校
上下で言えるのは数値に表れるものはあるかもしれないが、それは言わない方がいいのじゃないかい?