またあなたですか。ここまで来ると人間としていかがなものかと。
まず、AO入試は大学側が認めた正式な入試制度です。受験人口激減により優秀な生徒の青田刈りしたい大学、大学経営上一定数以上の学生を確保したい大学など、それぞれ利害関係が一致しているから採用されており、文科省も認めている正規の試験制度です。
AO入試を受験し、合格するには、秋田県入試で前期試験受けるようなもので、日頃の学生生活や著しい成果を残した学生を受け入れる制度ですから、学力低下の問題とは切り離して考えるべきではないでしょうか?
一般入試であっても約半数の大学で定員割れを起こしており、その点は基礎からやり直してもらうしかないでしょう。それでも合格させなければ、経営が成り立っていかないのですからAO入試はおろか、高校に無試験の推薦枠を設けるしかないと思います。
また、AO入試での南高の好結果を受けてから、急にAO入試への是非を書き込んでいますが、「東京大学ですらAO入試を廃止しています」という全く事実と異なることを書き込むのはいかがないものかと。東京大学にAO入試など過去一度もありませんし、推薦制度の一切ありません。しいて言えば、後期試験で定員の一割をセンター試験で選抜し、論文で思考力を問うもので、かつて、文一、文三は英国社の3科目だけで合格できた時代がありますが、非常に難関です。また高専トップの学生を東大工学部への編入、帰国子女枠が
英語以外で受験でき、課される科目も少ないことからこれらが制度の抜け道であるだけです。
また、早慶でさえ優秀な学生確保に困る中、AO入試に大々的に定員枠をさいており、早稲田大学政経学部でさえ、かつての推薦20%から、50%以上を超えるに至っており、難関上位学部ほど指定校推薦、AO入試によって一般枠を狭めて
偏差値操作しているのが現状です。
国公立医学部医学科であっても推薦枠があるくらいですから、一般入試だけが大学進学の手段ではない、高校時代に学業以外に何か打ち込んできた実績があるか、生徒の人柄を考慮する点で、ペーパー試験だけによる合否よりよほど欲しい学生を獲得できるメリットもあるのです。
最後に一方的な持論の展開は謹んでくただけないでしょうか?切に願います。
この掲示板の趣旨からは外れている質問ですね。
AOに関しては、学力の点から考えると現状は問題あるとは感じております。
ただ大学を卒業して就職の際に、運動部活動の実績が評価される場合も多くみられております。
勉強以外の社会性、粘り強さ、理不尽な事に耐える力は数値には現れません。
それをある程度勘案し、評価したものがスポーツに限ってのAOではないでしょうか?
社会では様々な資質が求められております。
ますます話がずれて行ってしまったので失礼します。
質問者さんの質問から大きくずれてしまいました、ごめんなさい。
大卒の就職に関して言うと、AOより一般入試合格者の方が評価が高いようです。総合力が試されることの多い労働市場では、軽量入試の一芸的なAOでは頼りないというのが世間の大方な見方です。もちろん、例外はありますが。
多様性が求められる時代だからこそ、ペーパーだけでは測れない制度としてAO入試があるわけですね。高校入試でいえば、昨年までの前期日程です。勉学以外に何に打ち込んできたか、これを評価しょうとしているのです。
入学試験は志望校に入る手段にすぎません。要領よく学習して突破してからが本来の学問に力を入れるべきではないでしょうか?AO入試は裏口入学ではありません。立派な試験であって合格しなければ入学が許可されないのも同一です。
その何に問題があるというのか、理解に苦しみます。
さらに、南高の情報と関係のない、AO入試にこだわる書き込みが目立ちますね。南高から難関大学へAO入試、推薦入試が好調であると書かれるや否やAO試験の是非を論ずるのはあきらかな悪意が感じられます。
来年大学受験を迎える親さんに伺いたいのですが、お子さんが目標とする大学でAO制度があって出願要件を満たす(東北大などでは高校の成績がよくないと出願しても落とされるので)場合、AO受験させますか?それとも一般受験のみですか?
東北大を例にしたのは今回南高のAO合格が多かったためで、他に理由はありません。
私なら、息子が目指す大学にAO入試制度があれば、積極的に受けさせます。なぜ志望校受験のチャンスがあるのにそれを捨てなければならないのですか?私の頃はAO入試などなく、大学推薦も志望校枠になかったので、すべて一般で受け、志望校には遠く及ばず不合格でした。しかし浪人の1年間は本当に自分でもよく学習したと感心するほど頑張り、結果的に合格できました。
ここで主張したいのは、入学すれば推薦だろうが一般だろうが関係なく全く全く同じ立場だということです。同級生が推薦組だの、一般受験組など全く関係ありません。
入学試験は目的ではなく、あくまで手段であると割り切る方が賢明です。本当の勝負は、大学入学後にいかに学問するか、サークル活動、ゼミでかけがえのない仲間を作るか、社会人の前段階として教養、専門分野を吸収し、今後如何にすのスキルを活かすかの方が遥かに大切だと思うのです。
入試は単なる入学の手段であって目的ではありません。そこを勘違いすると誤った方向に行く可能性があるので要注意です。
↑様へ
2つ上の投稿者です。私も↑様同様AO制度があり資格があれば受けることを勧めると思います。
この話題を立てた方は(たぶん↑の方とは別人と思いますが)AO推薦制度に否定的なのでどうするのかなと。
あと私のころにもAOはありませんでした。一般でした入学してからも周りが一般か推薦かは気にしてませんでしたね。当時は。
AO入試の導入で大学はどう変わったか?
これを読んで頂ければ全てがわかります。
法政大学川田教授は<私は
英語を教えていますが一回音読を聞いたらその学生がAO入試か一般入試かすぐにわかります。AO入試入試組はローマ字さえも読めない学生が多いです。第二外来語なんてなおさら無理>と批判する。
AO用の本は山ほどある。大学の青田買い高校の進学率のためにとありますよ
AO入試批判するな。秋田高校は東北大に9人もAOで受かってるんだ。その他有名私立も指定校でけっこう決まっている。AOを批判するということは、秋田の誇りである秋田高校を批判していることになるんだぞ。それは日本でいう天皇を侮辱していることと同じ!
大学教授や専門家が批判している事。
現実にAO廃止がその証拠
<AO入試学生は漢字を書けない。語句、語意の知識がほとんどなく一般入試学生と同じ講義は無理。大学側(教授)にも限界がある。方便な口だけで入学する学生はその後が大変だ>京都大学教授 コメント
2つ上。AO批判が何故天皇屈辱に飛躍するのか?秋田高校が秋田の誇りだとの定義はどこか?
話題の飛躍(天皇屈辱)が分からない。
↑ 2つ上を3つ上に訂正
このスレ主のAO入試に関するネガキャンは,今年南高校からAO入試合格者が激増して以来、急に主張しだしたことですから聞く耳持つ価値すらありません。南高を叩くことだけに生き甲斐を持つ人物ですから。
確かにAO入試の弊害は特に慶應義塾大学のSFCで危機感を持っていると主張してますが、しかし現実は、外部受験者の凋落が止まらず、結局現行通りAO入試は存続しています。また、制度でAO入試に受かる層の生徒は、それなりに何かに打ち込んだ実績があるはずで、ペーパー一発勝負至上主義者には受け入れられないようですが、放っておきましょう。
今現在、正規の試験としてAO入試がある以上、その制度を有効に使った方が賢明だと思います。なんせ大学入試は合格しないと意味がありませんから。だからこそ、チャンスがあれば果敢に挑戦すべきであって、一般で合格したから入学後優秀である保障なんてどこにもない、というか、専門課程に進むまでに逆転してるバターンは珍しくありません。まずは入学試験突破に全力で挑むことが大切だと思うのです。
AOを今でもそう考えているなら貴方の自由ですが、現実で週刊誌、新聞記事、テレビ等のマスコミもAO問題を取り上げています。
ある週刊誌、テレビには
現在の大学の7割が一般入試以外の入学。
この層は勉強が苦手、勉強が嫌い、もしくは勉強をしない。推薦組は部活や生徒会の評価もあるがAOにはしれすらない。従来だと大学に入れなかった層と考えられます。
各大学(未だAO導入)の学力低下の原因がこのAO組
結局、秋田南からはAO、推薦で、東北大学、
国際教養大学にそれぞれ何人合格したのですか?
数字がないので、またホラフキが始まったと言われてますよ。
秋田南エ作員がホラフキなのは有名な話
なんせ自作自演ばかりやっているんだから
秋田南高出の秋田南エ作員による、明桜高、秋田高、秋田北高、横手高、本荘高、秋田中央高、和洋高、国学館高、ノースアジア大学などへの中傷はひどすぎますね。
上の3つは負け惜しみの自作自演です。