7日の説明会にもう一度参加されてはどうですか?
3回目の方が より詳しい説明がされるようですよ
大阪の助成金うらやましいですね 私も奈良です。。。(涙)
専願はやめたほうが身のためですよ。地獄のような学校です。
どこの学校でも 合う合わないはあります
金光八尾がものすごく肌に合っている人もいますから 地獄かどうかは人それぞれの感覚になるとおもいます
もしここに書き込みされるのなら 具体的に書いてもらいたいです
学校の内情は 部外者にはとっても知りたい情報ですので・・・
この学校は合格実績を上げたいだけで 生徒を一人一人の人間として扱わず 道具とおもっているのです。この学校で学んで良い大学に行っても 大学や社会でつまずく人が多いようです。将来も自立できないようにおもいます。
私立ですので 合格実績をあげたいのは当然です それはどこの学校でも大差ないでしょうね 商売ですから・・・
大学や社会でつまずく・・・将来自立できない・・・ それはaiko氏個人の思い込みなので ここで書くべきことではないですね
高校を商売なんて言う先生のいる高校信用できない。では生徒は物ですか?生身の人間です。
金光の先生が商売と言ったわけではありませんよ 私がそのように認識しているだけです 一般的な感覚かと思いますが・・・
実際 進学率が下がり生徒が集まらなくなると学校は潰れてしまいます ボランティア事業ではありませんので。。。
私立専願で進学される人は そこが魅力で行くわけでしょ? 難関私学や国公立に行けるよう全力で頑張ってもらえると思って・・・
もう高校生なんだから それくらい分からないと・・・ 誰も生徒を物扱いしているなんて書き込んでいませんよ
社会の流れを理解するのも学生の勉強の一つですよ
教育熱心()な方が好きそうな学校です。
学校のカリキュラムは時間を大量にとって、
詰め込めるだけ詰め込むという、いわば誰でもできるものです。
ここに書き込まれている人がいるように、
それこそ当たり前のことをさせているだけなんで、どこでもできます。
通学に時間取られるくらいなら、
近場の学校通って浮いた時間を勉強に使った方がマシです。
そんで頑張ってある程度成績上位に食い込めば、関関同立が見えてくる程度ですが、
今、関関同立出た程度じゃ意味ないですよ。
社会の構造的に大卒の人材の能力が、
社会人一般として求められているものでは、
ありませんので、いわゆる圧倒的な過当競争気味です。
つまり、まあ関関同立程度の人材は、
普通にいらねってレベルです。
大企業なんかに入ってしまったら、
業績傾いた時に、追い出し部屋行きです。
そっから先を狙うなら、
効率よく勉強をして行かないとダメなんですが、この学校は100の成果をあげるのに、
150〜200の努力をすることを美徳としています。
はい効率無視ですね。
本来限られた時間で効果をあげていくなら、100の成果を上げるのに必要な努力や時間を100から80→60と減らしていって、浮いた時間を気分転換や、次の勉強に充てる必用があるのですが、
そういったコツなどを教えてくれたりとかは、一切ありませんでした。
たぶん今も変わってないと思います。
後まあ生徒を商品や道具のように扱っているとの書き込みを見かけますが、
それは当たり前です。
社会に出るということは評価を受けるということです。
ですので、先生たちにとって生徒は自分の評価に跳ね返ってくる大事な商品であるべきなんですが、その自覚が足りてないですね。
あとまあ、学校なんで自由平等博愛みたいな理想が掲げられてると思いますが、
基本社会ってのは、お金という評価をみんなで協力して融通しあうものではなくて、
法律に触れない程度なら、どんな手段を使ってでも良いので奪い合うものです。
なんなら権力を持てば法律すら書き換えようとする奴すら出てきます。
社会ってのは基本的には不平等、不条理、非合理的なものです。それをキチンと教えてくれる学校はありませんが、この学校は逆説的、潜在的にそれを教えてくれてます。入って中で味わう、不平等感や不条理なことや、非効率的なこと、
それは社会に出た時にもっと味わえます。
ただまあ、それに関してもどこの詰め込み型の学校でも大体同じだと思いますが、、、
後まあ効率無視の詰め込み型の、勉強の弊害に関してですが、
今、と言うか何十年も前からですが、
スポーツにおいては、科学的なトレーニングというものが取り入れてられています。
一時戦後からしばらくは、
精神論に偏った、やればやるだけ強くなる
みたいな、スポ根が流行ってましたので、
当たり前ですが、潰れる人が続出します。
今でなら、それは指導者の勉強不足や、指導力不足で責任を問われたりしますが、
当時ではそれが、当たり前でした。
で、今現在なんですが、
スポーツのトレーニングは一流になればなるほど、体を鍛えるのに鍛えすぎるのではなく、必要な負荷を必要なだけかけるようになってます。
時間対効果などにも気を使い
体に不必要な負荷はかけさせない
そして、より成長につながるように、休息も必ず取らせます。
ところが、脳を鍛える勉強に関しては、
脳にどれだけ、ストレスをかけようが、
負荷をかけようが、
時間をかけたら脳にそれだけ入るみたいな
精神論が未だに横行してます。
そんなら、まず自分が不眠不休で勉強して、
大学の教授にでもなってろって感じなんですが、まあそこは、先生は偉い(不平等、社会では当たり前)んで、自分はそんなしんどいことはしません。
体を鍛えるのは頭使って科学的に鍛えるのに
、
頭を鍛えるときは、頭使わずに精神論に走る
この学校というか、まあ詰め込み型の学校は全部そうでしょうね。
では、精神論に基づいた勉強から、
効率重視の勉強法に切り替えさせるには、
これは、現実的ではありません。
なぜならそういった勉強法の体系が、
一般には普及してないんで、勉強法の勉強のしようがないとまあ、ほぼ不可能ですね。
いわゆる、モンテッソーリなどの別体系の勉強法もありますが、低年齢から始めるものなので、中高生から始めてどれくらい効果が出るか疑問があります。
Amazon.comの創立者ジェフ・ベゾス
googleの共同創立者サーゲイ・ブリンと
ラリー・ペイジ
wikipedia創設者ジミー・ウェールズ
シムシティなどで知られるシムシティシリーズの開発者ウィル・ライト
現代経営学の父、ピーター・ドラッカー
とそうそうたるメンバーがモンテッソーリの教育法を受けてますが、日本で受けられる所は限られてますし、この学校はそんなもん一切教えてくれません。
つーか存在も知らんだろうと思う。
ただ、それでも今からでもいいから、
ほんの少しでも、科学的な教育トレーニングに切り替えていきたいと言う、在校生がいるなら、
大人には大人の喧嘩の仕方というのがあります。
大人の喧嘩は、落とし所を先に用意をしておくものです。つまり逃げ場所ですね。
正論で論理的に詰めていっても、
立場的に偉い人間を説き伏せることはできません。(これは男女間や利害が対立している関係において一緒です)
ただ、若いとコレをやってしまう
もしコレを読んだ後輩がいても、多分やってしまうんで後で、そんなこと言ってた奴おったなーと、多少覚えておいて下さい。
一つの可能性のある解決法を提示しておきます。
何らかの利害が対立している関係において、自分の意見を通したい場合は、
相手にも利益があるように調整するか、相手にも利益があるように見えるようにすることです。
つまり、この場合ですと、
教育法の改善をすると、もしドラのドラッガーみたいな生徒が出てくるかもよ?そしたら、学校の名前が上がって、指導法を研究した先生の名前も超売れるよ?みたいなね、
ただまあこんな簡単な論法でひっくり返ってくれるほど、日本の硬直した社会構造は甘くはありませんが、まあ高校生の頃にいろいろ挑戦するという意味では面白いかもしれません。
普通の勉強より社会に出た時には、
交渉力、プレゼン力、コミュ力、統率力、企画力が圧倒的に重要になってきます。
高校の教育レベルで必要なものってのは
ほどんどありません。
小学校の読み書きと
常用漢字
一般常識それと
四則演算ができれば、
基本十分です。
Excelとかプログラミングは
できれば、有利とは思いますが、別にできなくてもいいです。
それより、圧倒的に
交渉力、プレゼン力、コミュ力、統率力、企画力の方が必要です。しかし学校教育はそんなもの一切教えてくれません。
そんなものは学校の先生が持ち合わせていませんから教えてくれるはずがありません。
今も学生が、洒落にならないほど時間をかけて修得する勉強の成果というのは、毎年100万人程度の人間が同じような教育を受けて社会に出ているので、
はっきり言っていらないんです。
いらないは言いすぎかもしれませんが、
別に誰だって代わりがきく人材なんです。
まあ平たくいえば、事務処理のエキスパートをつくるような勉強をしてるわけなんですが、会社というか社会においての事務への要求はそんなに高くないし、人数もほとんどいらないんです。でも学校教育はその狭き門用にエキスパートを養成し続けてるんで、それは圧倒的飽和になってしまうんです。
だから大卒ってくくりに入れられてしまうと、それこそ1束何円程度の価値しか見出されなくなってるんです。
そこで、就活をする際には、
セルフプロデュースをして、プレゼン力、コミュ力をアピールしないとだめなんですが、
ここで、まあだいぶん今までの、学校社会と違うということにある程度気づくんですが、
実際に就職したら、追加で交渉力、統率力、企画力が問われるようになる訳で、はっきり言って
学校教育がそれに活かされることはありません。
では、なんでそんな役に立たないもののために若い時代の限られた時間を浪費するか、
それこそ、学校が
社会が、不平等であり、不条理であり、
非効率的であることを学ぶための
最初の登竜門だからです。