おかしいよね。
知らん間に決まっとる、話が進んどる感じで、人物的にもどーなん?って人が混じってる。最初から出来レースなら、あほらしくて、まともな人は来年からも立候補しないだろうと思う。
なんだかなぁ、って感じがしますよね。私の友達2人副グルなれなくて、私自身も悔しい思いをしたので、より納得がいかないです…。頑張ってる人が報われて欲しいのに。
負け犬遠吠えのように聞こえますよ。
これだけの文章ではそう思われるのも無理はないと思います。まず選出の際に、組織票や学級委員との結託等不正があり、また1年の時から課題をしない、校則違反、コロナ禍で対策が講じられている中、お菓子パーティーをクラスマッチ等で行う、周りを見ず騒ぐ…このような人物が選ばれ、予選会や今までの行事を真面目に頑張って来た人が選ばれなかったのに凄く不信感を抱きます。またそれ以降のパート長決めも自分達で進め、公平さを全く感じられないのです。勿論中には素晴らしい人物で、頑張ってグループや行事のために働いてくれてる幹部もいますが、少しモヤッとしますね…
そもそも、1年の時の応援のオーディションの時からもやっと感ありましたよ。幹部が選ぶから、自分の後輩や部のマネージャーを選ぶ率が明らかに高く、その人が3年になってまた後輩を選ぶっていうループ。
だから、ある部活に所属する人が役員を占有し、自分達がやりやすいように周りを仲良しで固めることになってるんだと思います。
しらけてますよ。東の行事は楽しいと聞いて、東を選んで来た人も一定数いる(自分もその1人です)と思いますが、楽しいのは一部の人だけです。じゃあ、積極的に手を挙げればいいじゃん?と言われるかもしれませんが、、、自分達以外の人はいれませんという無言の圧と、もし入れたとしてもあのメンバーの中ではやりにくいなと感じました。
決まったことにウダウダいわずに楽しめばいいじゃん
今の代ってこんな陰湿なの
恥ずかしい
東高の’’自主性’’が個人の為に使われてますよね。例えば応援ならマネやダンス、樽なら吹部、グラ劇はそもそも演劇しか取らなかったりします。そういう風潮の為に、やりたいパートを諦めてきた友達を何人も知ってます。そんなことも知らずに自分の好きな部に入った人達ははなから無理だったんです。無言の圧の上に、教室で大声で決まってもない状態で〇〇が〇〇長、等と話し(それも幹部もいるグループで)、あぁ、私はなれないと立候補を諦める。どうなんだか…
こんなことなら全部先生が決めた方が100倍マシです。
OBOGにそう仰られてしまうのは悲しいことだと思いますが、どうしてもそう思ってしまいます。
’’決まったこと’’も’’決められた方法’’も納得がいかないからです。個人の主観で自分本位に考えていると思われるかもしれません。ですが、やはり’’納得のいく人物’’が’’納得の行く方法’’で選ばれて欲しかったと思うのです。これがある意味伝統だ、と仰られた方が下の質問にいらっしゃいましたが、伝統だからこれで我慢しろ、と言われても腑に落ちません。東高の先生方は東高の伝統を守れとよく仰られますが、これも受け継いでいけと言うことなんでしょうか……
普通、1回自分が大きな役やったら、その経験を活かして次は裏方にまわるとかサブとして支えるとか、全体が良くなるように考えて行動しませんか?で、必要な時は前に出てくる。そのバランスが大事だと思うのですが。
なんで同じ人ばかりが中央に居続けようとするのでしょう。
まぁ要は全ては3年への布石だったということでしょう。自分が3年で幹部やパーリーになれるように。
よっぽどリーダーシップがあって皆が望むならいいですが、自己満ならほんとに迷惑でしかない。
全部自分の思い通りにいく世界なんてないんだよ
まぁあんなん学級委員と繋がってたり、人数が少なかったりで、ちゃんと選ばれることなんて滅多にないんだから、毎年幹部はだいたいろくな大学行かないし、学歴で見返すといいよ。
東大行った人いますけどね!
今年の幹部はC、Dが多いからあながち間違ってない結果になるかも
↑ここまで全員Cラン以下