「2ちゃんねる」の他の名門校のコピペを校名だけ「済々黌」に書き換えたんだね
「知名度は世界的」→「知名度は県内限定」(熱心な高校野球ファンの間でのみ全国区?一般的には読み方すら解らない・笑)
「あらゆる街を歩くたびに」→「市内北側の町を歩くときに」
ルーテルの横を歩くたびにだろ?
熊高の横はこそこそ歩くんだろ?
大丈夫か?
本当に大丈夫か?
暖かくなるとこんなのが発生するから気を付けないと。
熊高にはリアルでこんな人がいるよ
医者になって女にワーキャー言われるのが士君子の鑑らしい
俺、アメリカに留学したことあるけど、済々知ってる人何人かはいたぞ
「2」は適当なこと言わないでくれる?一応、俺ら熊高の兄みたいなもんだから、こっちまで傷付くんだけど
ぴろりs
確かにww
それは認めるww
海外駐在員生活を永年してきましたが「熊本出身です」と云えば必ず「高校は済々黌ですか?」と聞かれます。
だからと言って何と言うことは無いのですが、でもやはりうれしいもんです。
良い意味で伝統校としての誇りをもてる高校です!
熊高の人間としては済済黌が兄とか思ったことないし興味ないよ。学内じゃ済済黌(笑)って感じだし
↑学校の名前だけで判断するお前の人間性が(笑)って感じ。お前何様?
>学内じゃ済済黌(笑)って感じだし
こういう奴に限って学年300番以下で熊大現役合格も危かったりするんだろうな(嘲笑)
現役熊高生ですが、いつから済々(笑)って風潮になったの?
兄と思うかどうかは、人それぞれだろうが、済々を馬鹿にするのはどう見ても間違ってる。
それに、そういう「風潮」ではないよ。嘘は止めよう。
僕は逆に済々を尊敬してる。
偏差値や進学実績はこっちの方が少し良いけど、それはこっちがいわゆる受験エリート校だからだ(もちろん、有能な人材もいる)。
それに比べて、済々は運動もできるし、就職時の進路は済々の方がいい。
実際、去年済々は文部科学省にSGHに指定された。熊本日日新聞社に「難関」と評価されたSGHだよ?
あと、歴史がある。熊高は所詮分校。ブランド力が違う。残念だけど。
そこまで自虐的にならなくても・・・
熊高もいい高校だと思いますよ。
そもそも、熊高はその済々の分校じゃないですか。親が名門なら子も名門ですよ。
熊高は済々黌の分校ではないし、子供でもないですよ?
済々黌が、第一済々黌として、分割されたのは1900年のことですし、なぜ創立115年のところを132周年と数えるのかはもう触れないでおきますが。
「親が名門」の「親」とは同心学舎に源を発したもともとの済々黌のことかな?
それなら、現済々黌も熊高も、もともとの済々黌の「子」と言えるのかもしれないですね。
「サンデー毎日」(2015年4月5日号)に、「1900年に済々黌から分離した第二済々黌が熊本だ。その際、生徒を振り分けたが、バンカラ気質を済々黌に残し、ジェントルマンのような人物を第二に移したと言われている。」と解説されていました。
「分校ではない」というのは持論ですか?
済々さんはこの前130周年を迎えましたよ。熊高は110周年くらいですか?これは一般的な事実だと思うのですが・・・ まさか社会全体が歴史を間違っているとでも?
本当に優秀な人間というのは、心に余裕がありますね。会話をするとよくわかります。
相手の意見を尊重する「そうなんですね」のような相槌に続いて自分の意見を述べますね。
逆にあらまぁ残念!という人は、多くが相手の意見を否定する「ていうか」という言葉からコミュニケーションの返答が始まります。
偏差値もさることながら「徳を積む」ということを意識しながら高校大学時代を過ごし、将来は、尊敬されるリーダーになって欲しいです。
確か済々がそういう人をsg事業で作ろうとしてたな。そのこと?
熊高も見習えばいいけどなww
高校時のSG構想は最難関大学進学志向とは相容れないから熊高では少しばかり厳しいかと・・・
明治33年
熊本県中学済々黌が二分割され、
第一済々黌として熊本市黒髪で発足
たしかに名門ですよ
ホームページの「学校沿革」にも以下の通り記載されています
明治33年(1900年)4月
城南分校を県に寄附し独立の県立中学校(熊本県第一 中学校、12月より熊本県八代中学校と改称)とし、
本校を二分し第一済々黌、第二済々黌と称し、
第一に天草分校、第二に城北分校を附属させ、
第一は黒髪村 の新校舎に移り、第二は元の校舎にあり、
更に済々黌一切を挙げて県に寄附し、恩賜金と済々黌の名を存続せしめる条件で
12月1日より本分校とも全く県立と なり、
第一済々黌を熊本県中学済々黌と称し、
第二済々黌を熊本県熊本中学校と称し、
共にもとの如く分校を附属させる
済々黌は、堂々と「創立132周年」と言って別にかまわないのではないでしょうか
むしろ熊高が「創立114周年」と自称するのは、なぜでしょうか
「たとえ世に知られなくとも社会の礎たれ」という野田校長の教えからのつつしみ深さなのか、
「同心学舎」に源を発する歴史に頼らないという意志の表れなのか
歴史と名声は第一済々黌にお任せし、新しい学校として自らの歴史を作っていきたかったのかもしれませんね
済々黌と熊本高校、どちらも素晴らしい学校だと思いますよ
なんだかんだ言って、両方Sレート高校。
残念ながら進学実績的にも現状はそんなものなのでしょうね・・・全国上位200〜300位
進学実績ならそうでしょうね。学校側も本気で進学実績上げようとしてるとは思えませんし。まあ部活動時間削って授業時間増やそうとしても主に体育会OBが反対するので苦肉の策としての朝課外なんでしょうけど…
↑の続き
済々黌の授業時間の少なさは自分の在学中先生方も散々指摘されていたが、やはり伝統校故の保守体質が改革を妨げてると。あと県教育委員会のお達しか学校の自主規制かは分からないが課外で授業を進めるのは禁止されてるらしい。要するに熊高を始め大半の進学校が高2までに全範囲を終わらして高3からは受験対策に専念できるのに対して、済々黌はセンターギリギリまで授業での基礎定着と課外での応用力の強化を並行してすることになる。結果基礎が不十分のまま受験を迎える。
長文すいません
熊高はもともと課外がないので、規定内の授業数だけで2年までで全範囲を終わらしている
頑張れば済々黌でもできるんじゃないか?
応用力を付けるには自分でやればいいのだから、課外で個人の勉強時間が削られてしまうのがネックかも?
ただ、部活動の終了時刻は熊高の方が早いと思う
夏期:7時、冬期:6時半と聞いた
そこが差がつく一番の違いか
少なくとも高校総体の成績は熊高より済々黌の方が上ですね
まあそれがどうしたという程度の成績ですが
熊高のHPに日課時限がありました。それによると月水金は65分授業が5限、火は65分授業が6限、木は65分が6限ですが最後は総合学習なので実質5限。以上を計算すると1週間で1690分授業があります。
一方済々黌は月水木が50分が6限、火金は50分が7限ですが最後が総合学習なので実質6限。以上を計算すると1週間で1500分授業があります。
朝課外は上記の通り授業を進められないのと、熊高は分かりませんが体育・芸術などの実技授業、熊高の異常なまでの授業進度を考えると両校の授業進度の差は授業時間の差以上のものがあると考えます。当然それだけが合格実績の差が付く原因ではないでしょうが・・・。