何の順位が1位なんですか?
済々黌は、130年以上の伝統があり、熊高や地方の進学校も済々黌の分校だ。そうゆう意味では熊本県No.1の学校ではなかろうか。本来なら学力の面でも一位でないとね。済々黌生健闘を祈る。
「熊高が済々黌の分校である」と言っている人が多いようだが
もともとの「済々黌」が移転するときに
「第一済々黌」と「第二済々黌」に分かれたでのはないか
後に
「第二済々黌」は「熊本高校」に名前を変えて
「第一済々黌」「第一」を外して「済々黌」になったのではなかったかな
もともとの場所にあるのは「熊本高校」の方で、黒髪にできたのが「済々黌」
「済々黌」の分校として「天草高校」が付属し
「熊本高校」の分校として「玉名高校」が付属することとなった
まあ、どうでもいい話だと思っている人は多いのだろうが…
もともとの場所にあった「熊本高校」も
その後、大江に移転したので、正しい「沿革」を知らない人が多くなったのかもしれないな
1900年、当時の済々黌の生徒数があまりにも多くなり、「中学校編制及設置規則」に反するようになったため全生徒を二分割し第一済々黌と第二済々黌とすることになった
第一済々黌には文武両道やら士官学校やらを目指す生徒が多く進み、
第二済々黌には旧制高等学校を目指す生徒が多く残った。
つまり両校の関係は本校・分校という関係ではないので、これを「一幹両枝」という。
その後第二済々黌が熊本高校(熊本中学)に改名しても進学熱の強い生徒は
熊本高校に進み、文武両道な校風を好む生徒は済々黌に進むようになった。
だから上級学校への進学実績は差があるが入試難易度はそれほど変わらない。
もともとの済々黌には多くの美術品があった。済々黌分離の時に両黌で「形見分け」が行われ、多くは熊本中学が所蔵することになる。
素心人の書は勝海舟の書。「飾りのない潔白な心の人」という意味。
ほかに三條実美、井上毅、副島種臣、山岡鉄舟、徳富蘇峰らの書がある。
県の考えとしては
校名を「済々中学」と「熊本中学」とするものであったが、
熊本中学の初代校長となる野田寛先生が、 伝統ある「済々黌」という校名を残さなければいけないと主張して
「熊本県中学済々黌」 「熊本県熊本中学校」となった
※間違いがあれば訂正をお願いします
済々黌の名前を残すことを条件に県立に移管したと聞きました。ただOBや学校関係者からは不満も多かったようです。
済済黌が一番なのは県内での派閥と知名度ではないかと・・・
熊本高校の正門の門柱には学校名はどこにも書かれていない、
野田先生は、他人に知られなくとも着実に心身を鍛え、この日本と社会に貢献する「士君子」の象徴にされたのだと思います。
なぜ1番とか決めたがるのかが分からん。
熊高も済々黌もどちらも良い学校、それでいいじゃん。
済々黌は持ち前の行動力とOBの強い結束で政界・財界に、熊高は医療界・学界・官界に強い。
うまい具合に共生してると思うんだけどなあ…
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