ちょうど1990年に受験生でした。
うる覚えですが、当時は併願というものはなかったような・・・。
スポーツ推薦の専願とかはあったと記憶してます。
また、私立は公立高校の結果後に受験という形で、絶対に落ちることができない状況でした。
なので、県高落ちもしくは学区一番校落ちは明訓。南、中央(当時は中央は南と同じくらいレベルが高かったです)落ちはよほど自信がなければ明訓は避けて第一といった感じだったかと。。。江南落ちで明訓の選択はなかったと記憶。
さらに、当時は第二次ベビーブーム世代終わりの時期でしたが、子供の数も今の倍いたので受験競争が激しかったです。
偏差値がどのくらいかは覚えておりませんが、当時の方が若干学力は高かったんじゃないかな〜と思います。
そうでしたね…私立の併願ができなかったので公立1発勝負でしたね。ですから無理なく確実なところへという時代でした。
定員も県高(普通科しかありませんでした)で495でしたが、子供の数が倍いましたから、倍率は今よりも高かった記憶があります。中学浪人も珍しくなかった時代でした。
偏差値までは覚えてませんが、当時の公立上位4校の合格の目安は(当時は1教科50点で250点満点でした)
県高210 南195 江南、中央180あたりと記憶してます。
中央は南ではなく江南と同じレベルでした。いずれにしても今よりも数段レベルは高かったです。
明訓は上位4校を合わせた感じで幅があり、今と変わらないと思います。(今は上位3校なのかな?)